拡散する怪異について(blog 1/2)

こんにちは。もうblogの様に書いていく。

数年前に映画館で『貞子vs伽倻子』を観た時、「遂に貞子も動画サイトデビューかー。この前までビデオテープでコツコツ頑張ってたのに、一気に動画サイトかよ!でも今時って感じがする。怪異も時代に合わせて頑張っているんだな」って思った。時代の流れを感じる。

そういえば、時代に合わせて怪異も呪いを拡散する方法も変わってきているなーっと思う。昔は『不幸の手紙』だったし、次は『チェーンメール』、『電話』、『動画』『SNS』でしょ。技術の進歩で遠距離の友人家族、全く面識のない人達と交流が出来る様になった。それに合わせるように『呪い』もより簡単に、多人数に拡める事が出来る様になったな、と。それから拡散する怪異の時代変化が気になったので自分なりに書いてみた。自分の体験や余分な情報あり。参考にしたサイトは一番下にまとめました。


1、呪いの手紙

大正時代に出回った『幸福の手紙』が発祥と言われている。“幸福“という文字があるが文面には「○○人に同じ文面で手紙を書くと幸福になるが、連鎖を断ち切ると悲運がくる」というような事が書いてあったらしい。『不幸の手紙』とさほど変わりない内容である。だが、不幸の手紙にはこの“幸福“部分がないように思える。昭和40年頃に大流行したらしい。多くの人の不安を煽り、罰金者も出た。正直、文通という文化が薄いため、『不幸の手紙』は馴染みがない。僕も小さい頃、文通をしていた親戚がいたが文通ブームは去っており、手紙は年賀状くらいしか送らない時代だった。今では年賀状すら送らず、SNSでポンと新年挨拶を呟くくらいだ。

ちなみに文通をしていた時、相手が手書きで絵を描いて送ってくるのだが、水彩画で季節の花が葉書中央にドンと大きく描かれており、その脇にちょこッと挨拶が書かれているような物だった。僕はそれに便箋1〜2枚に学校であったことを書いて送っていたが、中学に上がった頃には自然とこのやり取りはなくなっていた。文通は僕が小学3年生くらいの時に始まったから、3年位続いていたと思う。SNSの様に手軽で出来るのも良いが、文通は文通で手書きの温かみがあって良いと思う。話がそれてしまったから次に移る。


2、チェーンメール

僕は小学5年生から塾に通っており、夜9時以降に終わる事もあり、連絡用にと携帯電話を持たされていた。当時、周りの友達は誰も持っていなかった。中学に上がると徐々に携帯電話を持つ友人が現れ始めた。2000年に入り数年経った頃、チェーンメールが流行っていた。

流行時期としては1990~2000年の間。内容としては『不幸の手紙』の様に○○人に回さないと不幸になる、というものもあれば「事件にあった被害者の幽霊が犯人を探している、このメールを止めた人は犯人とされ、あなたを頃しにくる」というモノがあった。他には当時流行っていた番組の企画を騙ったメールもあった。個人的には不幸にあいますよーって内容のモノより番組企画を騙ったメールが多かった気がする。実際に◯6の番組を騙るチェーンメールがきた時に友達に回したらめちゃくちゃ怒られた事があった。文面は「番組の企画で期限内で何人に渡るか調査しているので協力してください」的なものだったのを覚えている。大地震があった年には物資支援を求めるチェーンメールがよく回ってきた。

別な場面では『流行り神』という都市伝説を扱ったゲームがあるのだが、『チェーンメール』も取り扱っている。しかもチュートリアル的な立ち位置にだ。実際にプレイした事があるが、チェーンメールは止めたし、まっすぐBAD ENDだったよ。ちなみにこのゲーム、選択肢によって「科学ルート」「オカルトルート」に別れてストーリーが進む。良いゲームだよ♂



後半には『電話』『動画サイト』『SNS』に関する拡散系怪異を書きたいと思います。腹減った。


参考したサイト・資料

Wikipedia『チェーンメール』

国立歴史民俗博物館研究報告 第174集 2012年3月

「幸福の手紙」についての一考察  丸山 泰明氏


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