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23.クリームシチューは子供の好物…とは限らない

モンゴルの諺にこんなのがある。

【顔の広い人は大草原のようで、ひとりぽっちの人は手のひらにすぎない】

人の交友関係を表しているものだけど、私の父は大草原タイプ。

おかげで私の胎教は…という話は、また今度にして、生まれる前から父の周りはいつも他人が大勢いる。
子どもの頃は、大人だけでなく、よその子たちも「おじちゃん」と慕い、まとわりついていたし、父自身も我が子優先というタイプではなかったので、嫉妬という言葉は知らなかったけれど、よその子に慕われ、楽しそうに遊ぶ父の姿を見て、なんだかいつもモヤモヤしていた。

その分、父以外の大人たちがかまって遊んでくれることも多々あったから、トータルすれば相殺されていたんだろうけれど。

幼稚園児の頃、そんな父の友達の中でも、母と結婚する前から付き合いのあるおじちゃんが結婚して初めて、私たち家族を夕ご飯に招待してくれた。

おじちゃんちは、おじいさんおばあさんもいたけれど、子ども用の食事を用意してくれていた。

「むっちゃん、おじちゃんがうめぇクリームシチューを作ったから、うんと食え、なっ!」

クリームシチュー?
なんだろう?

私はそれまでクリームシチューを食べたことがなかった。
青い絵柄のついたシチュー皿に、玉ねぎやにんじんが入ったクリームシチューがよそられて、目の前に置かれた。
初めて見たクリームシチューは、一口食べた瞬間に、私の本能はバツを出した。

あたし、これ食べられない…

けれども、そんなことを言ったらパパとママに怒られる…

どうしよう…

これだったら、ご飯と白菜のお漬物でおししにして食べるだけでいい、そう思った。

けれども、おじちゃんは『クリームシチューは子どもの好物』と思い込んでいるから、ビールを飲んで陽気になった顔でどんどん食べろと言う。

でも、どうしても食べられない。

だけど、それは言えない。

古い家で電灯が点いていても薄暗がりな中、神々しい白さのクリームシチュー。
私には苦痛以外のなにものでもなかった。

たぶん、なんとなく食べずに残してしまったと思う。
クリームシチューは二度と食べたくない。
そう思ったし、家で出ることはまずなかったけど、それから数ヶ月後。

無常にも学校給食は、クリームシチューやハヤシシチューなどなどシチューばっかり。
今と違って、レパートリーなんてなかったんだろう。
目の前が真っ暗になったが、友達の「シチューおいしいよね」という言葉で、いつしか食べられるようにはなれた。

今では普通に食べられるけれど、でもね…

クリームシチューってそんなに子どもの好物なのかしらね?
誰がどこで決めたんだろ?

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