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14.最強の家庭教師?パパと面倒臭がりな性格

本は好きなだけ与えてもらえてたし、庭で自由研究・観察に勤しむという自由学習小学生から、中学生になった時、初めて『受験』ということが視野に入ってきた。
小学生の時よりテストの回数は減ったけれど、かかるプレッシャーは格段に大きくなった。
今だからいうが、成績自体は中の上位置をキープしてて、ベラボーに悪くはなかった。
それでもなぜか、小学生の時はできた理数系が 中学生になった途端、訳わからなくなった。

そこで私は、父に数学や理科(物理の計算)を教わっていた。
父は電気工事士なので、電気数学が得意だったし、私が中学生ぐらいの時は資格を取るために毎晩勉強していたので、夕飯後の座卓に座って一緒に勉強することもあった。

「パパ、数学の宿題わかんないの教えて」

そういえば、父は「おう、見せてみ」とすぐに教えてくれた。
勉強を教わっている時は、弟たちは寄り付かないので喧嘩にならないから叱られない。
そして普段は、弟たちやよその子が、常に父にべったりくっついていて、私はなかなか近寄れないから、父を独占できる貴重な時間だった。

それに友達の中には、夜遅くまで学習塾に通う子もいたが、今みたいに親の送迎義務はなかったから、女の子でも真っ暗な夜道を自転車で帰るなんてことをやっていた時代だった。
それに比べたら家に無料の家庭教師がいるということは相当に恵まれていた。

が、しかし…

父の家庭教師にも欠点はあった。
こんなこと言ったら贅沢すぎると言われるかもしれないが、教わることを教わり、「ありがとう」と他の宿題をするべく自室に戻ろうとすると、そこから今度は電気数学・電気物理の講義が始まる。
「この数式はさ…」とか「この法則は…」と、要するに電気工事士の資格を取る人が学ぶような小難しい話を延々と解説してくれるのだ。

それが毎回。

「パパ、まだ英語の宿題が…」と言っても、「いいから聞け」とエンドレス。
そのうち私は居眠りを始め、母の助け舟が入って講義は終了となるが、もちろん私は他の宿題が終わらない。
やたらと電気系数学・物理の知識はつくが、学校の授業には関係ないし、どこからどこまでが学校の勉強かわからなくて困惑する。

「パパに教わるんだったら、聞くこと以外は終わらせときなね」

毎回、母に言われるが、私も怠け者だから結局、だらだらとテレビ観たり、本を読んだりするうちに、時間は経ってしまい、毎回この繰り返しで、なんとなく教わることは減っていき、勉強もテキトーになっていった。

そのうち3年生になり、初冬の受験追い込み時、あまりにも勉強しなかったら、さすがに父に叱られた。

「そんなに勉強しねぇんだら、学習塾に入れるぞ!」

空っ風吹き荒ぶ夜遅くに、自転車で学習塾なんて行きたくない。

「家で勉強しますから塾だけはご勘弁ください」

私は父に懇願して、そこから必死に受験勉強して、なんとか志望高校に合格できた。
今思えば、学習塾に入った方が賢明だったのではないかと思うけれど、私の小心者で面倒臭がりな性格を両親は利用したのだ。

後年、その話をしたら案の定、両親は言った。
いくら受験が大事とはいえ、私を塾にやる予算は家計になかった。
だから、どうせ「塾に行け」と叱れば、絶対に行きたくなくて「自分で勉強する」って言うと思ったら、やっぱりそうだったとほくそ笑まれた。

まんまと親の手のひらで転がされていたのだった。

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