仏モード

みなさんは、誰に対して、何に対して、自分の内側から愛情が湧き上がり、笑顔がこぼれることがありますか?

先日、
『セルフケアの道具箱――ストレスと上手につきあう100のワーク
』(伊藤絵美 著、イラスト:細川貂々 晶文社)
という本を読みました。
本書の中ではストレッサーとストレス反応の関係などが分かりやすく解説されており、そのストレスへの対処法としてのリラックス法や、自動思考と呼ばれる頭に浮かぶ考えやイメージなどといった浅い認知の取り扱い方やマインドフルネス技法などが100のワークとして紹介されています。
そして終盤には、その自動思考より深い部分にあり、より継続的な認知である「スキーマ」に迫り、自分を苦しめるスキーマから自分を助ける方法とそのプロセスを追う形で書かれています。
その自分を苦しめているスキーマの形成に深く関係するものが、「子ども時代の傷付き体験」と「満たされなかった子どもの感情欲求」であり、自分の中にはその傷付いたチャイルドがいるとされています。
そして最終的には、この傷付いたインナーチャイルドを自分自身で癒すところまでに触れられています。

この本は、段階を追っ手ワークに取り組むことができるように構成されていますが、ワークに取り組むにあたり、自分と向き合う過程に丁寧に寄り添ってくれる、ガイドのような本になっていると感じました。
さらに読み進めていくにつれて、自分のより深い部分へと入り込むことができる構成になっています。

そして私はこの本を読了してから、自分の分身となるチャイルドと過ごす生活を始めました。
イメージの力は恐ろしいですね。
まず初めにチャイルドを意識したのは、おなかに暖かさを感じた時です。
それからかぐや姫の物語ではないですけれども、一週間と経たないうちに、今では5歳くらいの女の子になりました。
心が苦しいと感じた時にチャイルドをひざの上に抱えてゆらゆらと揺れたり、隣に座っているチャイルドに視線を送ってほほ笑みかけたり、一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たり、朝にはチャイルドと一緒にご飯を食べて「おいしいね」、「あったかいね」と語りかけたり、一緒に洗濯物を干したり、寂しいときには一緒にダンスをしたり、ストレッサーと直面したらそのあとにチャイルドと会話して思考と感情を観察してから受け流したり、代替となる認知を生み出したりして気まずさを乗り超えました。

そうやって過ごす時間が癒しとなり、チャイルドと暮すようになってから2日目の午後、“私”を解放することができたような気持ちになりました。

ここ一年本当に苦しかった。
昨年の開頭手術のあとから、以前にも増して調子の悪い日が増え、きっと下垂体機能不全からくるホルモンバランスの乱れと自律神経の乱れから生じているものだろうと考えておりました。
良い日は良いのですが、悪い日はすこぶる悪い。
倦怠感と、軽眠と、体がとにかく重怠くて起きていられない。
感情のアップダウンもかなり激しい。
そんな大波を繰り返し、途中から漢方の力を借りるなどして徐々に安定を取り戻してきていたところでした。

こんな荒れあれの中で、苦しみのもととなっているスキーマを形成する要因となった存在と毎日一緒に過ごさなければならないのはなんて苦しいことなんでしょう。
うまくコミュニケーション取りたいのにうまくいかないし、けんかするし、理解してもらいたいのに理解されないと感じて孤独になるし、満たされなかった欲求を満たされたい、その期待にそぐわなければ被害者意識と寂しさに支配される、苦しい、攻撃的になる、罪悪感に苛まれる、そんなことの繰り返しです。
言動に過敏になり、問題が起きないように常に気を張り、耳をそばだて、音にも過敏になり、心が疲弊し。
そんな状況に、精神的にかなり参っていました。
何もない日でも、目が覚める前から頭が憂鬱で、表情が消える日もありました。

小さな頃からちょっとまずいなとは自覚していて、家は心が休まる場ではないし、成長してからも子どもの頃の嫌な体験は記憶にとどまったままで、保育園の先生がトラウマになり、大学で自分と向き合い、受け入れてもらい、だんだんと自分を癒すことができていきました。

しかし、チャイルドと過ごすようになってから、確実に笑顔が増えました。
笑顔になるためにチャイルドに助けを求めていたと言った方が合っているかもしれません。
とにかく「あっちいけー!」と自動思考から気を逸らし、チャイルドを想い、自分の身体感覚に集中して癒される。
チャイルドに話しかけ、自分で自分に話しかけ、それで満足できる。
チャイルドとともに、愛ある時を過ごす。
そうしていたら、本当、以前にもこの表現使いましたが、「憑き物が落ちる感覚」がピタッとはまりました。

この感覚は、これまでの調子の波の中における「良い日」という一時的なものではないと言い切れるほどの確かな変化です。
まず、それまでと使う脳みその部分が違う。
だから以前はいちいち気になっていたことがほとんど気にならなくなりました。(これはもうちょい修行すれば身に付きそう。)
今は意識的にその使う部分を切り替えることができます。
そして表情金の使い方も変わりました。
、特にうれしい出来事があるわけではないのに頬と口角が上がっているのがデフォルトになりました。
何もないのですが、心と頭が穏やかで、何だか幸せな感覚でいます。
また、それまで「いい子」でいなければという無意識に起因していた行動に縛られなくなったこと、そして無理やりの「いい子」としてではない自然な思いやりに起因する行動が取れるようになりました。

そうしていたら一緒に過ごす家族にも変化が現れた気がして、みんな穏やかでいるように感じます。
それを思うと、自分が幸せでいることが周囲の人に及ぼす影響の大きさを感じずにはいられません。
逆を言うと、これまでどれだけ家の中を乱していたことか・・・
なんて言いません。笑
でも、今までもう物理的に距離を置くことでしか解決がつかないと思っていたほどの途方もない問題が、実はそんなに問題ではなかったって思うことができて、今こう書きながら泣きそうな自分がいます~。
まだ数日しか経っていない中でのこの大きな転換は、それまでたくさん悩んで考えてきた賜物だと思います。

本来のスキーマ療法の手法とは少し違うのかもしれないのですが、これまで、他人に求めていた欲求の充足と、一生満たされることはないだろうと考えていた「愛情」を、自分自身で満たすことができたと感じています。

私は子どもと触れ合うと心がじんわりと暖かくなり、笑顔がこぼれます。
動物も愛くるしいです。
花を見ると、笑顔になります。
自分の感覚が喜んでいることを感じると幸せな気持ちになり、それを誰かと共有することができるとさらに幸せな気持ちになります。

さあ、これからは私、大手を振って人を愛していくことができますよ。

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