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病弱支援学校を選んだ理由

現在高校1年生のカナがASDだとわかったのは小学4年生の秋です。
それまでも『なぜ?』という行動は沢山ありましたが、なかなかそこに結びつきませんでした。

発達障害だとわかった頃には2次障害も発症していて、カナは苦しくて限界状態、私は娘に特性があることがわかっても具体的にどうしたらいいのか?カナの気持ちも行動も相変わらず理解できず、問題行動を起こす娘に戸惑っていました。

親子で困っていたそんな時に赴任されたのがS先生でした。
S先生はカナの言動や行動、気持ちを私にわかる様に言語化してくださいました。私が先生に最初にした質問は
『どうして先生はカナの事がわかるの?』
だった様に思います。それぐらい理解出来なかったし、困っていたと思います。

カナはどんなにパニックになっても、S先生の声だけには反応しましたし、先生に言われることは出来ました。
先生は私に何度も何度も説明して下さいましたし、私が理解出来るようにと、本や講演会を教えて下さいました。
おかげで私は知る事が出来ましたし、カナは理解者を得ることが出来ました。
この頃先生に言われて、今も私が大事にしている事は、
『地域の中にカナの居場所を沢山作る事。出来るだけ沢山の人と手を繋いで、助けてもらう事』
これはこの先も、私達を助けてくれる大事なキーワードになっていきます。

S先生と出会い、診断がついて服薬も開始した小学校時代ですが、実は親子で黒歴史が盛り沢山です。当時は泣いてしまう話も、今では笑える黒歴史。今回は省略しますが、また機会があれば書きたいと思います。

この頃のカナは、自分を客観的に見る力『内向きのカメラ』が全く機能していなくて、正常な対人関係を築く事が難しく、友達や先生、家族とも頻繁にトラブルを起こしていました。
それでもカナが学校に通えたのは、本人の『学校行きたい!学びたい!』という気持ちはもちろんですが、それを支えてくれるS先生や理解してくださる校長先生が居てくださった事、カナの通う小学校が6年間同じメンバー1クラスの小規模校で、みんなで見守ってくれた事にあります。
そういう訳で、大変だったとはいえ周囲に恵まれた環境にあったカナの中学校選びは、難題となりました。

定型発達の子でも思春期真っ只中になる中学生は、人間関係が複雑になり大変です。同級生が行く地域の中学は小学校3校が一つになる大きな学校だったので、火中の栗を拾いに行き火だるまになるタイプのカナが、苦労する事や不登校になる事は簡単に想像できました。

そこで小規模校になる私立の中学校を見学に行きましたが、カナを受け入れてもらえる環境はありませんでした。
そんな時、カナの主治医から特別支援学校(病弱支援校)を見学して欲しいと言われました。その話をされた日、私は眠れませんでした。ショックで頭の中は真っ白でした。大きな集団の中に入るのは難しいと思っていましたが、まさか特別支援学校を選択するほど二次障害が悪化しているとは、思ってもいなかったからです。


とはいえ足踏みしている暇もなく、早々に見学の申し込みをし、その上で地域の中学校の支援級も見学に行きましたが、
先生の人数が足りない
パニック時に一人になれる部屋が確保出来ないと言われ『遠回しに断られた』と感じる対応でした。

逆に特別支援学校の見学は、私の考えを変えるものになりました。
この時出会ったK先生は、私達の話を丁寧に聞いてくださり、理解してくださいました。そして何より、どこの学校も言ってくれなかった言葉を下さいました。

『カナさんもお母さんもとても頑張ってこられたのですね。ここに入学されたらカナさんの高校へ行きたいという気持ちを大事にして、私達も頑張ります!』

この言葉と出会いは、私にとってカナをこの学校へ行かせる決め手となるのに十分でした。
そして
『Drや先生方と相談して、特別支援学校に進学するのが、カナにとって1番良いと判断したよ』
と本人伝えました。

後にこの時の事を振り返って本人は、
『本当はみんなと一緒の中学校に行きたかったのに、お母さんが勝手に決めたのが嫌だった。
でも今は特別支援学校で良かったと思うし、自分にはここが必要だったとわかる。』
と言いました。

私も当時は悩んだし泣いたし、喜んで入学を決めた訳ではありません。でも今はそこを選んで正解だったと胸を張って言えます。
ですがそれは支援学校を選んだからではなく、カナを大切に思ってくれる先生と、出会えたからです。

でも
私達がその事を本当の意味で理解するのは、もう少し先の事でした。


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