21/08/19|アリゾナに来て思ったこと、雑感
ざっくりとですが、渡米前のイメージと違ったな、こういうところ知れて良かったな、というものをここまでの体験でふんわり書き残しておきたいと思います。
1)そこまでの英語力じゃなくても、聴ければなんとかなる
以前NYやフロリダに行った時も思いましたが、聴き取りさえなんとかなればそれなりにコミュニケーションは出来ます。時間が経てば、聞き取りの勘も良くなってくる気がする…?渡米前にDMMオンライン英会話でフィリピン英語ばっかり聞いていたので、ネイティブの英語が聞き取れるのか若干不安はありましたが、まあ、洋画見る感覚で聴けば自然と耳はスイッチ出来ました。
ただし、聴こうと思って意識をオンにしないと頭には入ってきません。映画館やレストランの雑談が聞き取れるほどでは、ない。
あとこちらに来て意外だったのは、米国在住の日本の方の英語がゴリゴリのジャパニーズイングリッシュだったこと。住んでいるうちに発音とかネイティブ風に変わるのかなと勝手に思っていたのですが、そういうことでもないみたいです。発音の違いって、どうやって生まれるんだろう??
2)このエリアは白人の割合が高く、有色人種は少数派
フェニックスの中心地から少し北上した、富裕層の居住地が多い映画祭会場エリア。都心から離れているからか、地元の方は白色人種の方が圧倒的多数派でした。アメリカといえばもっといろんな人種の方が混ざって住んでいるものかと思っていたのですが(NYやフロリダは実際もっといろんな人種がいました)、ここのエリアに関しては、黒人、ヒスパニック、アジア系の人はほぼ見かけません。
ただ、映画祭の会場には各地から様々な映画人が集まっているのもあり、映画館にくればもう少し多様な空気を感じられます。白人だらけの場所はなんだか自然と居心地の悪さを感じてしまいます。今までこういう圧迫感を感じたことは無かったのですが、改めて「多様な人がいるって大事なことなんだなぁ…」と、日本や東京のことも振り返ってしみじみとしました。
かといって、現地の白人が他人種に冷たい、ということではありません。彼らは皆優しい。ただ数が多いだけ。でもその数の多さが、心理的安全性にこうも影響するものかと、ここに来て初めて痛感しました。
3)車社会と人口密集都市、どっちが地球に優しいのか?
東京と圧倒的に異なる景色。それはほぼ100%の人が車で移動する「車社会」だということ。車のガソリン消費と電車の電力消費、どちらがより環境負荷が高いのか具体的な数字は把握していませんが、一度にたくさんの人を運ぶ日本の電車やバスに比べて、個々に自動車を使うこちら側の方が地球資源的には負荷が高そうな気がします。
人口が密集しているということは、窮屈ではありますがメリットはやはりあると思うんですよね。移動にかかる時間が少なく済むということは、それだけCO2の排出も少ないはず。あと、人が密集していればそれだけ人の流れもあるということで、情報の伝達速度も早まります。実は人間そのものも、知識や情報やウイルスを運ぶ「メディア」なので、(だからコロナの感染速度も東京・大阪は桁違いに早いわけですけど、、)人が多い地域というのは、移り変わりが早く、情報の鮮度も良い場所なのだろうと思います。
情報の鮮度が高ければ高いほど、気候変動や人種問題、コロナ等の危機意識も早く広まる。日本の都市部はITに明るい人も多いですし、フェニックスあたりに比べると人同士の情報の共有がとても早いのではないかと感じました。(もちろん、アメリカの他の州でも東京よりもっと情報伝達が上手く機能している都市は多くあると思います)
そう考えると、日本で地方と都市で情報の格差が生まれるのもなんだか自然なことのように思えますね。人と人があまり接触しないのですから、いくらネットがあるからとは言え、情報が実感として伝わらない部分は大きくあるのでしょう。
4)日本のイメージがアップデートされないのも納得…
よく、外国人が持つ日本人のイメージは古いとか、偏っているとか言われがちじゃないですか。それとまんま同じことを今アリゾナでも体感しているわけですが、こうして考えると「日本にとってのインド(インドごめんなさい、例えです、他意はない)」みたいなもので、外国の人からしたら日本について知る機会なんてほとんど無いのが現実なんだと思います。
JCCの前島さんもおっしゃっていましたが、日本の伝統的な文化や現在の文化について、知ろうと思ってもなかなか情報が手に入らない。日本映画なんて見れる機会は本当にレア。だからまあ、良いか悪いかは別として「世界でそれなりの位置にいる日本について知る機会」として、もしかしたら、偶然応募があったから『12ヶ月のカイ』が選ばれただけかもしれない。
まあ、これで「日本のイメージがアップデート出来た」とは到底思えませんが、「こういうことを考える人が日本にもいるのか…」くらいのインパクトは、残せていたらいいなぁ…と思います。
5)「人」としての表現力の違い
『12ヶ月のカイ』のワールドプレミアや他作品の上映を経て、やはり観客側の表現力が圧倒的に違うなと感じました。これはある意味予想通りでもあったのですが、上映中のリアクション、本編が終わった直後の拍手、その場その場で感情を表に出すという業が私にとってはとても新鮮でした。
ものづくりというのは、作り手だけでは成立しません。受け手がきちんと存在して、違いに影響し合わなければ良い結果は残せない。ハリウッドや韓国映画がこれだけの力を持っているのは、もしかしたらここにも何かヒントがあるのかもしれません。
反面、私たち作り手側もきちんと受け手の存在を見なければいけません。身勝手に撮って、それがいつの間にか勝手に広まるということは、絶対にない。余程ナチュラルに世界を見る力がある超能力者以外は。
さて、アメリカはいま朝。今晩はいよいよFilmmaker's Dinnerです。他作品のどんなクリエイターと話が出来るのか、楽しみですね。
フェニックス映画祭、後半戦行ってきます。
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