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映画『マイライフ、ママライフ』監督メッセージ原文

令和元年になる時、
平成元年に生まれた人々は30歳を迎える。

思えば平成後期は、
情報技術の進歩と共に
これまで人々が抱えていた問題が、
次々と明るみに出てきた時代でもあった。

「介護」「高齢者」「妊娠出産」
「育児」「労働」「セクハラ」
「人口・少子化」「外国人労働者」 ...

誰もが簡単に情報を発信できるようになり
誰もが簡単に情報を得られる時代になった分、
逆に情報が溢れてしまい、
見る者にとって関心のある情報
肝心の「社会を形作るための情報」は
見えにくくなってしまったように私は感じている。

このような状況下でこれから平成世代は
社会をつくり、支えていかなければならない。

少ない手取りに、税金や年金。
自分一人でも生きるのに精一杯の時代に、
それでも平成世代は前向きに家庭を築き子どもを育てようとしている。

偉い。 独身の私からすれば彼らは偉すぎる。

社畜と呼ばれ組織の歯車としてこき使われ
自分を見失いそうになりながら、
子どもが出来ても預け先の保育園が見つからず仕事にも就けず、
妊娠できたかと思えば無理な働き方を強いられ流産し、
安定期に入っても「妊婦様」などと揶揄され
平穏な精神状態で過ごすことさえ許されない。

公衆の面前で子どもが泣けば
「いい加減にしてくれ」と白い目で見られ、
「黙らせろ」と誰かがため息をつく。
ベビーカーがなければ混み合う電車で子どもを守ることさえできない。

そんな、明らかに荒れ狂っている荒波に、
平成世代は身を投じている。

平成を振り返るあるアンケートによると、
平成は「平穏で良い時代だった」という意見もある中
「人々が不寛容になった時代でもあった」という声も多く残されている。

便利な社会になったはずなのに、
人間のことに関してはまったく進歩していなかった。

昭和世代の体質はまだ昭和のまま。
社会の仕組みは少しずつ変わってきてはいるが、
若い世代の生活はそれよりも遥かに速いスピードで変化している。

女性の社会進出、夫婦共働き、 0歳児保育、
待機児童、 長時間労働による身体への負荷、
流産、ダウン症率増加 ...

「保育園落ちた日本死ね」

その言葉は冗談でも比喩でもなく
働きながら子どもを育てなければならない世代の、
特に女性たちの、心の底からの本音であり現実だ。

私たち平成元年生まれが子どもの頃に体験していたあの頃の社会と、
今は全く違う社会になっている。

片方の親だけが子どもを育てる体制は家庭に亀裂を生み、
もう片方の親だけが働く金銭状況では生活が破綻してしまう。

また、女性の社会進出が進んだのは良いことだと言われている一方、
働く彼女たちにとっては「子どもを持つタイミングを見失う」原因にもなっている。

彼女たちにとって「キャリア」という言葉がもたらす意味も影響はあるが、
そもそも過剰に労働をした上で子どもを出産するというのは
身体的な負荷からみても望ましくない状況であることは誰の目にも明らかであるずだ。

仕事を取るか、妊娠・出産を取るか。

一時的であるにせよ
結局それを選択しなければならず、
女性の人生にはその悩みが常に付いて回っている。

「富国」という言葉は
昔の嫌なもを想起させるので好きではない。

しかし今、この国は「富んだ国」なのだろうか?

豊かであるということは「未来あるものたちにとって希望ある」状態であると私は考えている。

こんなにも子どもが育てにくい国に、彼らに、
希望はあるだろうか?

平成時代が30年の時を経て、
私たちは次にどんな時代を作らなければならないのだろうか?


人が生きるというのは、だた自分が幸せに生きればそれでよいということではない。

命を受けた全ての生き物が持つ使命は、
「次の世代へバトンをつなぐ」ということなのだから。

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