メメント
まもなくクリスマスという或る日、ここの館長から連絡があった。
実は八雲図書館に載せてもらうのは1年半振りになる。よく私のこと覚えていてくれたな。
自発的に書かなくなったので、いつやめてもおかしくない。
ところが、風前の灯火になると、誰かが手を差し伸べてくれて、なぜか企画に参加したりすることになる。有難いことでござる。
しかも、彼は「エッセイ」書かない?と聞いた。
今までちんまりとした物語しかここには書いたことがないのに、なぜエッセイだったのか。
だいたい、エッセイというククリは難しい。諸説あると思うけど、私にとってエッセイは、私信なのである。思ったことを綴る、私的で勝手なこと。
何を書こうかと考えた時に、つい先日行った、世田谷美術館の藤原新也氏の「祈り」が浮かんだ。本当はもっと正面から向き合わなくてはいけない重いテーマなのだけど、さらっと書いてみたいと思う。
彼は写真家であるが、非常に文章に長けた方で、文筆家というか思想家である。
私は写真の掲示の文章が気になる性質で、何度も繰り返し読んでみた。
今回の写真展は、彼の軌跡の集大成のようなもので、こどもの頃の話や若い頃の絵画、そして、旅人として世界を飛び回っている写真が多々あった。
中でも彼の書籍で有名なテーマ「メメント・モリ」は強烈であった。大震災、そしてコロナ。あの頃(1983年)より世界は死に近づいている。
メメント・モリとはラテン語で「死を忘れるな」ということ。インドの川岸で息絶えた人や埋葬の写真が多く、日本のものとは異質であった。
自然に人が死ぬということが身近なのはインドなのであろう。
日本において、死者にカメラを向ける風習は一般的な人にはあまりない。実際、私の夫が亡き父の写真を撮ろうとして、私の弟と揉めたことがあった。カメラマンの感覚で記録として残そうとしただけなのに、冒涜されたと思い込んでいた。
死ぬことを深く考えることは、=生きることを考えること、だと思う。
モリの次には「メメント・ヴィータ」があった。カメラを向けた瞬間、そこには「生」がある。結婚式や笑顔の写真は、やはり心が休まる。
「祈り」は生きている時にするものだろうか。祈る人の心が透けて見えるような写真に、ふとそう思った。その手に持った火に、振り返った光に、感じ取るものがある。
いつしか私の周りも、父が死に、友人が亡くなっていく。
直接知らなくとも、今年もたくさんの人が鬼籍に入った。
今年の初めには親友の旦那さんが突然亡くなって、彼女にどう声をかけていいのか途方に暮れた。
生きていくと死が身近になってくる。平均寿命というものがあるけれど、みんながその年まで生きる訳ではない。いつ、誰に、死が訪れるかはわからない。
自分はどんな死に方をするのだろうか、と考えることがある。具合が悪かったり、検診なんかに行くと、もうドキドキが止まらない。
最後の展示は、瀬戸内寂聴さんとの交流の話だった。お二人は手紙の交換をしていた。大きく書かれた言葉「死ぬな」は、「生きろ」より切実で強いメッセージだった。
*
複雑な思いを胸に抱えたまま、上の階の展示を見に行った。
そちらは、萩原朔美さん(朔太郎氏の孫)ともう一方の展示で、定点観測とか雑誌のページとか、不思議な世界が並べられていた。
展示の中に、小さな本のようなものがたくさんあった。
よくよく見てみると、それはレシートや病院の予約票を集めたものであった。
こんなにまめに紙をとっておく人を見たことがない。しかもちゃんと店別に分類されて、スタバのレシートは、ご丁寧に表紙にスタバのマークも描かれている。
壮大なものを見てきた後の、この些末な、けれどどこか愛おしいものを見て、友人と笑い合ってしまった。
達観できない私にとって、いまだに死は怖いものでしかない。
それでも、死ぬ直前まで笑っていられたらいいなと、漠然と思っている。
人生には、情熱をかけて熱く心を傾けるものも大事だけれど、私はこういう他愛ないことでふっと可笑しくなる瞬間がだいすきだ。
こういう時をたくさん集めた本があるといいな。自分が書くものも、そんなものが多い。
そして、すきな色の風に吹かれて、まだこの人生を生きてみたい。そう思った。
藤原新也さん写真展「祈り」世田谷美術館
会期は2023 1/29まで。まもなく終了です。
お散歩写真として追記。
いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。