僕君

僕と君17 透明な君とボタン(最終話)


今日は写真の友人と、下町に撮影に行く。

久し振りに乗った都電。
バスのように、降りる駅で停車ボタンを押すんだったね。
一つ前の駅からなんだかそわそわして、僕は落ち着かない。

「ねえ、押していい?」と周りに確認する。
みんな?な顔して、どうぞって言うんだ。
だってさ、ボタン押すの、久しぶりなんだよ。
わっ、押したら喋った。ランプが灯いた……。うぉー。

君はいつだって、押せるボタンなら何でも自分で押したがった。

エレベーターを呼ぶための、上か下かのボタン。
乗り込んだら、降りる階のボタンと、閉めるボタン。

背も届かないくせに、いつだって押したがるから
ひょいって持ち上げて、どうぞって。
僕はいつでも抱っこ要員。

押せなかった時は、まるで僕が苛めたみたいに泣くんだよ。
うっかり君より先に押してしまったら、後悔は果てしなくて。

炊飯器も、風呂のスイッチも、押しボタン式信号まで。
世の中には、実にたくさんのボタンやスイッチが存在する。

今でも僕は、エレベーターのボタンをすぐに押せない。
気づくと何もせずにぼんやり待ってしまって、他の人に怪訝な顔をされる。

どうやら僕は
君を持ち上げないとボタンを押せない体になってしまったみたいだ。

だから、透明な君を持ち上げるイメージを抱いてから
何テンポも遅れて、やっと右腕が動き出す。

さらさらした長い黒髪で、ちょっとクールに立つその横顔。
すらりと成長した君は、もう12才。
最近娘があまり口きいてくれないんだよと嘆く人が多い中
まだ二人きりでも一緒に出かけてくれるから、僕はいい方なのかな。

勿論今の君に抱っこの必要はなくて
そんな日々があったことすら忘れている。
一緒にエレベーターの前に立つと
なんでパパ押さないの? って目で促すんだからな。

パパとかママとか言うと、それは誰かの所有物みたいで
自分じゃいられなくなってさみしいって言う人がいるけど
僕はね、そうじゃないんだ。

確かにパパとママって言葉は、一般的だ。
でも、あの子にとってのパパとママは
僕と君だけで、もうそれで十分なんだ。
呼んでくれるだけで、君が笑顔でいるだけで、嬉しくなる。

僕が僕であることも、君たちがいてくれるから。

そういえば、うっかりエレベーターのボタン押しちゃったママが
どうやって切り抜けたか、思い出した。

瞬時に話作ったんだ。見事にね。
あ、さっき、くまが来て、ボタン押して逃げちゃったみたい、って。
一階の伝説ぐま、外出もできるとは、恐るべし!

それからは、他の誰かが押してしまっていても
くまが押してったーって、きょろきょろわくわくしてた君。
ママー、くま 、今日もいないねー。 逃げちゃうの早いねー。

さすがだ、何もかも、君には敵わないよ。

ぼくが自然にボタンを押せる日は、来なくても、もう構わない。

現実に見えているボタンに、透明なボタンが重なる。

思い出の中の透明な君を
僕は常に胸に抱えて、これからも生きていく。


<完>

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ありがとうございました。 ♡♡♡

いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。