9 デビルズ・ブリッジ 雨の休息②
「面影を追い続ける男」 9 デビルズ・ブリッジ ー雨の休息②ー
いつのまにか眠ってしまっていた。
久し振りに幸福な夢を見ていたらしい。どんな夢だったか思い出せなくても、あたたかさだけは残った。
雨はすっかり小雨になったので、再び車をスタートさせた。
周りは薄曇りのせいで、一層、その名にふさわしい景色に成りつつあった。
小型車がやっとすれ違える幅の道には、木の枝がせせり出てきて、通り抜けるたびにザザッと音を立てた。
随分前に白い車と行き過ぎてからもう長い間、対向車がないことにふいに気付いた。標識が橋に近付いたことを伝える。
車を止めて、積んであった大きな黒い傘に二人入って歩き出した。
デビルズ・ブリッジは、急に木々が切れた場所からよく見渡せた。古いオリジナルの橋の上に真新しい橋が折り重なって架かっている。
古い橋は土や森から生え出したような茶と緑の自然の色だ。新しい橋は老朽化した下の橋を補強し、人が渡れるように後から取り付けられた頑丈な鉄製で、手すりの部分は真白く塗られていた。
イギリスにもウェールズにも「悪魔の仕業」と呼ばれる場所が幾つかあるが、そんな伝説が残るのは、どこか独特の印象を与える鍵があるからだろう。
ここのキーは橋の下の峡谷にあった。
突然の地震で元は一つだった岩がぱっくり割れたように、不気味に平行したカーブを持つ二つの岩盤。その間を割くように小川が流れる。
「私、前にこことそっくりの景色を夢で見たことがあるわ。あの割れた岩に人が挟まれていくの。とても怖かった」
君もそんな夢を見る人なんだ。俺は心の中で、そうつぶやいていた。
*
白い煙を巻き上げて、蒸気機関車が止まった。こんなところに?
ここが終点らしく、数人の子供を降ろすと、列車はまた元のレールを走り去っていった。子供たちは川の淵で石を拾いながら、一人ずつ橋の脇の階段を昇りはじめた。俺たちはそれに対抗するように反対側の階段を降りて行った。
川の流れとは裏腹な、勢いのある水の音が聞こえる方角へ向かって、渓谷の合間を抜けて進んで行く。人間がやっと一人通れるような狭い場所を、睦月の手を取って歩いた。
「ここって、帰りには貝のようにぴったり閉じてそうじゃない?」
彼女は自分の言った言葉が怖くなったのか、繋いだ手を少し強く握りしめた。冷たい小さい手の感触が頭の先まで届いて、俺は少し戸惑った。
音の源には小さな滝があり、水は一度、器のような泉に集められてから、耐えきれずに溢れ出しているようだった。ずっと眺めていると、水の流れは逆に泉に戻っているようにも見えた。
帰り道は塞がれてはいなかったが、気のせいか行きより狭くなったように感じた。
雨がまた強く降りはじめた。
傘を開き、下からもう一度橋を見上げてみる。
橋の上から子供たちの足音とふざけ声がこだましていた。その内の一人が、通行を閉ざされているはずの下の古い橋を渡っているのが見えた。微かに崩れる音が聴こえる。
危ない!
次の瞬間、誰かの大きな手に突き飛ばされるように、子供が落ちて来た。俺たちは叫び声を上げ、両手を大きく伸ばして走り寄った。
それはとても短い何秒かのことだったはずなのに、とてもゆっくり動いた時間に思われた。四本の手に降ってきたのは、サラサラ音を立ててこぼれてきた砂だけだった。
俺たちは顔を見合わせ橋を振り返ったが、そこにはもう誰もいなかった。どこからが幻想だったのだろう。子供たちがいるところから現実ではなかったのかもしれない。
そして俺は、横にいる彼女も幸せな人間ではないことを知った。
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いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。