雲の上の人
小説をすきになると、俄然その作家がどんな人か知りたくなる。
なぜなら、作品はその作家を通して現れる鏡だから。
どんな境遇に置かれたら、その発想が出てくるのか。
どんな思想を持ったら、その表現が出て来るのか。
凄い作品に出会うたびに繰り返される興味。
たとえ答えなど出なくても、知りたくなる。
作家じゃなく作品で判断するという人もたくさんいるだろうが、私はどうしても言葉の奥にある人が気になってしまう性質だ。
✜
九藤朋さんの文章に出会ったのは、カクヨムという小説投稿サイトだった。
忘れもしない、タイトル『空玩具』
今から4年前のことになる。耽美なだけではない、質感を伴う美。
こんな人がいるんだ。驚きと共に、手が届かないと瞬時に思った。
謎の人物であった。勝手にこちらが恋焦がれる文章。そう、雲の上の人。
そしていちばんすきな『コトノハ薬局』
私にとって、この作品に出逢えたことは、大きい。
有難いことに懇意にしてもらっている。はじめて言葉を交わしたのはいつだろう。すごく緊張していたから覚えていない。気さくに声を掛けてくれたな。
まあ、変わらず「雲の上の人」である。作家になるに相応しい人。だから本になると聞いてとても嬉しかった。
✜
その記念すべき書籍『私の妻と、沖田君』である。
沖田君というのは、新選組の沖田総司である。
彼はもちろんもうこの世の人ではない。幽霊なのだろう。
ある日彼が自分の家にいて、おいしそうに食事をしている。自分の奥方と。
沖田君はにこにことご飯を楽しみに日参してくる。
しかし、あの新選組の沖田君なのだ。このまま何も起きずに済むはずがない。彼が生きた時代を考えれば、甘く済まされない。しかも書いているのは九藤朋さんなのだ。
光のような笑顔を見せながら、影を落とす。この影の部分こそが、九藤朋氏の真骨頂なのだから。
読んでいくうちに、語り手である「私」がだんだんと変わっていく。
どうやら生前に沖田君と関りがあったようだ。少しずつ、黒く濃い文字がふえていく。それは過去の記憶だろうか。
はぁ。ここでため息が出る。
どうしたらこんなに緻密な文章が書けるのか。
以前、朋さんはプロットを書かないと言っていた気がする。感性で、作品の塊が創れてしまう人なのかもしれない。
お、おそろしい人。天才、だな。そしてものすごい努力家である。走るのをやめない。
この本は幾つもの世界が織り込まれ、上質なご馳走のようなのだ。実際、たくさんのご馳走も出て来てお腹がぐうと鳴るのだが。
九藤作品にしては、一話が短い。これは新しい試みなんだろうか。
あの幕末の時代、油断ならない世の中で
腰に刀を差して生きていくことの重みを感じた。
刀を振り下ろす音が聴こえるような気がした。
沖田総司が出て来るとある漫画がだいすきで、ドラマや小説もよく観たり読んだりしたので、人物像は知っていた。
ここでまた私の中に新しい「沖田君」が息づいてくれたようだ。
縁側で一献、やりたいですな。
あれ、そう言えば、妻は誰だったのか私には謎がとけていないよ。
(後日* 解けました! (・∀・)/)
また、しきみさんのイラストが美しい。
表紙だけではなく、たくさん挿絵が入っていて、大変贅沢だ。
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いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。