努力というのがよく分からなかった

 私は中学時代、試験前の土日は塾の自習室を使って八時間ずつ勉強していた。朝九時から昼食をはさんで夜六時まで。家に帰ったら、他の人たちとそう変わらない生活。本を読んだり動画やテレビを見たり。
 それが苦だったかどうかは覚えてない。ただ、そうすれば学年トップを狙えるのは知ってたし、実際それで一番を取れたときは嬉しかった。(うちの学年は百五十人生徒がいて、トップ集団は互いの点数を気にしてたし、隠すような人もいなかったから、毎度誰がトップになったかは全員に知れ渡っていた)(今思えば馬鹿みたいなことだけど)

 他の子たちがどれくらい勉強しているかなんて興味なかったし、私はただ与えられた課題をこなしているだけだった。自分なりに、出てくる問題に答えることに集中していた。それが、自分の価値を決めるのだと信じ込んでいた。

 努力だと思ったことはなかったから「今回の期末、頑張ったんだ!」と自慢する友達の気持ちは一切分からなかった。
 私にとって、勉強とは、時間をかければかけるほど点数が伸びるRPGのレベル上げのようなものだった。
 冷静に考えてみると、私は数学と国語はほとんど勉強する必要がなかったから、本当に私が時間をかけたのは暗記科目ばかりだった。逆にいえば、暗記科目にだけ集中していればいいから、他の子たちより勉強をするのは楽だったのかもしれない。

 部活に真剣に取り組んでいる人が羨ましかった。何かやっとけばよかったと思ったことは何度もあるけれど、色々な部活を見に行っても、その中で自分が何かをやっている姿がうまく想像できなかったし、なんだか気持ち悪かったので、結局どこにも入らなかった。
 汗水垂らして、苦しいことを我慢するのは、頑張っているという感じがする。一時期ジムに通っていた時期があるから、その気持ちは理解できる。外を走る時「あの電柱まで!」を何百回と繰り返している時、自分は努力しているという気になる。自分は意味があることをやっているという気になる。でも実際はどうだろう? 実際はただ……自分の精神的な限界を打ち破っているだけだ。ただ、肉体を鍛えているだけだ。それは何のため?

 私は「頑張った」という感覚を信用していない。頑張っても、結果が出なければ意味はない。具体的な目標がなくても、人は「私は頑張った」と思い込み、自己満足する生き物だから。
 すぐリバウンドするダイエットに意味はない。体重は減らすことよりも維持する方が難しい。そして、維持するのに必要なのは努力ではなく冷静な自己管理だ。
 勉強も、私はただ冷静に自己管理していただけだった。そしてそれに……ほとんど意味はなかった。

 両親をはじめ、多くの人が言う。「○○は、中学の時勉強を頑張ってたから、今賢いんだよ」と。私は、それを無邪気に信じられない。もしあの時期に、膨大な時間を勉強に費やしていなくても……いや、違うだろう? 膨大な時間を勉強に費やしたとしても、私は大して賢くならなかった。
 そもそも私は、本当に人並み以上に勉強に時間をかけていたのだろうか? 他人に興味がなさ過ぎて、それすらも分からない。

 ともあれ私の賢さは、幼少期のそれと大差ない。私はただ早熟なだけだったような気もする。自慰を覚えるのも早かった。


 私の中には「頑張りたい」という欲求がある。努力への情熱が、なぜかある。
 私はここまで努力が理解できないと言ってきたが、実際のところそれは「なぜみんな努力をそんな価値あるものとしてみるのか分からない」という意味でしかない。
 私は自分の体や心に厳しくするのは好きだし、成長するのも好きだ。苦しいことを乗り越えるのが好きだし、今までできなかったことができるようになることが好きだ。
 でも私は「こうなりたい」と思って、そういうことをするのがあまり好きじゃない。私はただ、耐えるのが好きなだけなのだ。背負うのが好きなだけなのだ。具体的な目標があって努力をしたことは一度もない。だから、結果が出たことも一度もない。
 ただ私が無理をし続けた結果、私は比較的優れた人間になって、優れた人間として取り扱われて……高校には合格したし、絵や作文で結構大きな賞をとったこともある。どの成功も、欲しかったわけじゃないのに、勝手についてきた。
 私は別に、はじめから何も求めていなかった。求めようとも思えなかった。実際どのような成功も、新しい地獄への入り口でしかない。

 私には嫌いなものがある。働くことが大嫌いだ。人の命令に従うのが大嫌いだ。私は、私を甘やかすのも、本当は嫌いだ。簡単なことが嫌いだ。単純なことが嫌いだ。短気な人が嫌いだ。我慢できない人が嫌いだ。

 私の仕事は全部雑だ。私はその時思ったことしかできない。ただ、その思いついたことにいちいち全力を尽くすだけなのだ。それ以外の生き方を知らないし、できないのだ。

 そうだ。私にとっての「努力」は、エネルギーの浪費でしかなかった。有り余るエネルギーをどこに向ければいいのか、私には分からないから。


 あーもう文章ぐちゃぐちゃ! 何が書きたかったのかも分からないし、どこに向かっているのかも分からない!
 思いついたことをそのまま書いてたらこんなことになった!

 今の私じゃ、これが何なのかよく分かんないや。
 あとで読み返そう。それで、判断しよう。追記待ち。お目汚し失礼。

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