欲望を満たすだけでは

 久々に会った友達が、彼氏の自慢話をしてきた。お金持ちで、欲しいものはなんでも買ってもらえるし、時間さえあえば、行きたいところにどこでも連れて行ってもらえるらしい。冬期休暇には台湾旅行をすることを約束しているとのこと。
 一瞬「冬休みまで交際が続けば、ね」という皮肉が頭に浮かんで、嫌な気持ちになった。まるで嫉妬しているみたいじゃないか、それじゃ。冷静に考えると、どちらかと言えば、久々に会った友人にいきなり自慢話から始めるその気遣いの出来なさに腹が立って、ちょっと傷つけたくなっただけだと思うが。

 「○○も変なプライドなんか捨てて、いい男探せばすぐに見つかると思うけどなぁ」と、アドバイスともつぶやきともいえないようなことを言い始めた時には、思わずため息をつきそうになった。
 分かったような口ぶりで「欲求不満なんでしょ」と言われて、それを否定できないのも悔しかった。

 幸福とは、欲望を満たし続けることである。そんな品のない定義が頭によぎった。
 人間の優劣は、どれくらい幸福かによって決まる。そんな品のない定義が頭によぎった。
 
 吐き気を堪えながら、笑顔で接する。欲望を満たすこと。我慢をしないこと。自分に正直でいること。そのように生きられるなら、そのように生きていたさ!
「もしよければ、彼氏に頼んでいい男紹介してもらってもいいよ? やっぱさ、同じ穴のムジナって言うじゃん?」
 どこから突っ込んでいいのか分からなかったが、いちいち指摘しても仕方がない。言わんとしていることは分かった。類は友を呼ぶ、ということが言いたいのだろう。いい男が紹介するのはいい男だろう、という話。まったく……皮肉なことだ。私と、目の前の彼女が友であるなら? いいや、単なる表面上の付き合いだ。心の底では、互いに全く繋がっていない。
「私さ、実は好きな人がいるんだ。だから、そういうの、今はいいかな」
「えぇーっ! どんな人? かっこいい? お仕事は?」
「よく知らないんだ。一目惚れみたいなものだから」
「あー。あるよねそういうの。接点はあるの? 見てるだけだと何にも始まらないよ?」
「えーっと。その……歯医者で知り合って。話が盛り上がって、連絡先交換して、何回かデートはしたんだけど……」
「かっこいい?」
「え? う、うん。私、あんまり男の人の顔に興味ないっていうか。多分普通だと思う」
「あー○○そういうところあったもんね。××(アイドルグループ)の誰が一番好みかって話のときに『それ誰?』とか聞いちゃうタイプだったよね」
「うん。不快じゃなかったら何でもいい」
「それで、お仕事は? お金はどれくらい持ってるの?」
「え、えっと。金融関係って言ってたけど、よくは知らない」
「え、それ大丈夫なの? 銀行員とかなら、銀行員だって言うよね? なんか悪い商売じゃない?」
「真面目そうな人だから大丈夫じゃない?」
「えーでもそういう人に限って、ヤバイことしてたりするんじゃないの? あ! でも最近株とかFX?とか、そういうので稼いでいる人もいるんだってね。あ、そうだ。学歴はどうなの?」
「聞いてないなぁ。私が学歴アレだから、その話は避けてた」
「あー……」
 ここで会話が止まるのか、と私はうんざりした。
「まぁ、今日はこの辺で。ありがとね。楽しかったよ」
「うん。ありがとねー。恋、うまくいくといいね」
「うん。そっちもね」
 当然、全部嘘だ。そんな人はいない。めんどくさかったから、話を合わせただけ。

 彼女と別れてひとりになって、学生時代のことを思い出した。話を合わせることができてるつもりだったけど、多分……そんなことなかったんだろうなと思った。彼女は多分、私が嘘をついているかどうかなんて興味なんて、ただ思ったことをそのまま言っているだけなのだと思う。
 そういう単純さが少し羨ましかった。欲望のままに生きて、それで大変な目に遭わず、なんだかんだ幸せそうに暮らしているのが、正直、羨ましかった。金持ちでわがままを聞いてもらえる彼氏のことは正直どうでもいいけれど、でも自由そうに生きているということは、うん。素直に、ただただ羨ましかった。
 私だって、言いたいことを言って生きられるなら、そうしたかったよ。欲望に正直になって、それを満たすために努力ができる人間なら、何も困らず生きられただろうね。笑いたいときに笑って、泣きたいときに泣いて。失敗したら、誰かのせいにして。うまくいったら、みんなに自慢して。そういう風に生きられたら、どれだけよかったか。



 自分の未来を具体的に想像しておくことによって、来るべき空しさに備える。苦しさや切なさ、耐えがたい人生の厳しさに、備える。劣等感にも、嫉妬心にも、備える。
 私はきっとこの先、いろいろな人からこれまで以上に不快にさせられることが増えると思う。「なんで?」と言われることが増えると思う。言われないにしても、壁を作られることだけは確かだ。だってそうだろう? その証拠に、私の文章を読んで受け止めてくれる人は、あまりに少ない。こんなに書き続けて、書き始めたころとそれほど変わらないというのは、なかなかないことなのではないかと思う。というかこのペースで書き続けている人間がそもそもいないのか。何でもいい。私は寂しいんだ。

 正直になった私を好んでくれる人は、本当に少ない。みんな私の周りからいなくなる。それだけが現実なんだ。
 「ありのままでいい」と言う人間ほど「ありのままのあなたは私のありのままとはあまり合わないから……」と言いながら後ずさりする。私のことを見ないふり。知らないふり。

 演技したまま生きられるほど器用でもなかった。努力家でもなかった。性格の悪さを補うほどの才能もなく。あるのは肥大した、強烈な自尊心と、分不相応な美意識、理想。
 自分という存在がいかにどうしようもない存在か自覚したところで、それを治すこともできない。だって、治すために、何ができる? そもそも治して何になる? 私が今軽蔑してやまないあの連中と自分が同化するために、努力して今の自分のダメなところを治す? 馬鹿な! 何を馬鹿な……そんな生き方をして、何になる? それが嫌だったから、死のうとしたのに。



「ものすごく主観的で自分勝手。どんだけ自分のこと見て欲しいんだって感じ。そのくせ『お前らのことは嫌いだ』とか言って、人を拒絶するんでしょ? マジでめんどくさい性格してるなって思う」

「いかに自分が客観的にものを見れるかアピールしてるところが、小物って感じ。なんだかんだ自分がどう思われるか気にしてるくせに『よく思われたいと思っている自分』を認められないから、中途半端なことをやって、それで結果が出ないからって、周りに当たり散らしてる。なんか、生きづらそう」

「わざわざ言わなくていいことしつこく言うよね、この人」

「私、周りに合わせるのそんなに苦じゃないから、そういう風に育ってよかったなぁって思った」

「優しい人なんだなぁとは思うけど、なんかちょっと歪んでる気がする。どうしてそんな風になっちゃったんだろう」

「そんなに激しく言われたら、こっちは何も言えなくなっちゃうよ」

「正しいだけのことって、誰も認めないよね。認める理由がないんだもん」



 寂しいんだ。
 でも怖いんだ。
「実際に、言われるのが?」
 違う! 言われるのは、慣れた。どれだけオブラートに包んでもらっても、伝わるものは伝わる。本音は、勝手に私の心に響き、貫き、傷つける。それはもういいんだ。分かってるから。
 怖いのは、このまま何も変わらないことだ。私は変わりたい。でも、やつらが望むような私にはなりたくない。人から好ましく思われるだけでしかない私なんて、ごめんだ。そんな風になるくらいなら、死んだ方がマシだ。

 苦しいんだ。
「何が?」
 自分が日々、何とか息をするために書き残したものが、どんどん積み重なって、埋もれていって、誰も見なくなって、何の価値もなくなって、いや元々価値なんてないのだけれど……
 結局私は、なんで生きているんだろうなって、分からなくなるんだ。つらくて苦しいだけなのに。こんな風に、書けば書くほど価値が薄れていくような気持ちになる文章を書き続けて。新しく書けば書くほど、古いものはどんどん見えづらくなって、私が大事にしていたものは、次から次へと消えてなくなっていく。感情も、理想も、光景も、意志も、未来も! 私が描いた全てが、どんどん消えてなくなっていく。それが不安で不安で仕方ない。こんな気持ちになるくらいなら、いっそのことこの瞬間に全部消し去ってしまいたくなる。私がこの十カ月で書いた文章の全部を、クリックひとつで全部永遠に戻らないものにしてしまいたくなる! だって……それらはどうせ、そうなるしかないものなんだから。

 悲しい。寂しい。忘れたくない。自分が今までどれだけつらい思いをして、耐えて、耐えて、生きてきたか、忘れないでいたい。そのせいで自分が不幸になったとしても、私の努力や忍耐が、間違っていただなんて思いたくないんだ。
 新しく人生をやり直す勇気がないんだ。私には。結局私は、ずっと自分の過去、はるか昔の感情や意志に縛られて生きている。でもそれを解き放ってくれる人なんていないし、縛り付けているのは他でもない自分自身なのだから、それを自分の意思や感情でどうにかできるわけでもない。

 苦しいんだ。息ができなくなるんだ。空しいんだ。寂しいんだ。どれだけ嘆いても、泣いても、消えてくれないんだ。この気持ちだけは。この、漠然とした不安感だけは! 私の胸を掴んで離さない。

 いつか、安らかな死を迎えることができるということだけが、私の心を穏やかにする。死んでしまえば、もう何も心配する必要はないんだ。不安になることもない。あぁだがしかし……私が死んだ後も、世界は続いてしまうのだとすれば、私が愛している世界のことで、私は結局不安になるしかないのだろうなぁとも思うのだ。

 私が死んだとき、それを喜んでくれる人がいてくれたらいい。心の底から、そう思う。

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