初体験と余白【ショートショート】


 はじめてセックスをして思ったのは「やはりセックスというのは、子供を作るための行為でしかない」ということだった。

 俺はもともと快楽にあまり興味がなく、食にも寝具にもこだわりはなかった。食べられればそれでいいし、眠れればそれでいい。
 性欲はあったが、そんなのはひとりで解消するのが合理的だと内心では思っていた。
 しかし、周りの人間はセックスを「精神的な充足」だとか「生きがい」だとか言うから、自分が知らないだけで本当は、性欲は自慰ではなくそのように二人で解消するのがいいのかもしれない、という疑いもあった。

 俺は重いのが嫌いだったし、やるべきことがあった。ここでは説明しないが、俺には人生の目標と言えることがあったし、それ以外のことは全部人生のおまけだと思って生きてきた。だから、俺の行動を縛り付けそうな女は、どれだけそいつが俺のことを好きだと言っても、迷惑でしかなかったし、ずっと避けて生きてきた。

 俺の初体験の相手になった女は、いわゆる「都合のいい女」だった。清純そうな見た目をしていて、基本的に自分からは動かない。かなりモテるらしいが、求められるのには飽きて、一度自分から求めることに挑戦したい、とのことだった。それで、女に対して興味がなさそうな俺に目を付けた、というわけ。
 恋心なんて互いに少しもなく、あるのは将来を見据えた「人生経験」。
 馬鹿馬鹿しいと思う反面、他人から童貞だと馬鹿にされ続けるのもしゃくだったので、手っ取り早く済ませようと思った。

 女の体は、俺が思っていたよりも肌触りはよかった。体の見た目はできものやあざ、毛穴などであまりよくなかったが、興奮でぼやけた頭には、それらはどうでもよい事柄になってしまうようだった。セックスの時は、女がそれまで磨き上げてきた色々な見た目だとか持ち物だとかステータスだとか、そんなものが全部どうでもよくなって、ただ男は、自分の欲望を満たすことしか考えられなくなるのだな、という発見をした。同じように、そのような経験にいったい何の価値があるだろう、ともうんざりした。
 これが、愛する女だったら違ったのかもしれない。でも俺は、誰かを愛したことなどないし、愛せるようになるとも思えない。俺の中に、そういう機能はどうやら含まれていないようである。

「気持ちよかったよ」
 終わった後にかけられたその言葉は、嘘ではないような気がした。
 キスを求められたが、俺は拒否した。なんだかその端正な顔が、不潔な作り物のように思えてしまったからだ。
 彼女はそれ以上何も言わず、ひとりで身支度を始めた。愛情を拒絶されることには慣れている様子だった。

「なぁ。しょせんセックスなんて、子供を作るためじゃないなら、何の意味もないんじゃないか?」
 俺がそう声をかけると、その女は嬉しそうに振り返った。その反応に、俺は呆れた。
「愛情がないなら、そうかも」
「愛情ってなんだ。結局それは欲求不満の一形式じゃないのか」
「そうかも」
 そうかも。その女の口癖。考えるのがめんどくさいから、適当に肯定しつつ、濁す。中身が空っぽなんだ、と俺は思った。
「子供を作るためじゃないセックスなんて、しょせんは二人で自慰をしているだけじゃないか。自慰との違いは、それが孤独であるか孤独でないかというだけなんじゃないか?」
「私、ひとりでいるの苦手だからなぁ」
 だから、男をとっかえひっかえするのか、と口から出そうになったが、抑えた。わざわざ心ないことを言って、傷つける必要はない。
「俺はひとりでいてもふたりでいても、あまり差は感じられない。むしろ、ひとりでいた方が気楽でいい」

 ホテルを出てひとりきりになると、胸に空しさが広がっていった。それは、何か穴が開いたような感覚だった。元々そこにあったものが、失われたような気持ちだった。
 きっと、単純な頭のやつは、この空しさを「孤独」だとか「恋人がいないから」だとか、そんな適当な理由を持ち出して、誰かと一緒にいようとするのだろう。
 でもそうじゃない。これは、この寂しさは、己というものを取り戻したときに感じる寂しさだ。
 これは、何かを失ったから空いた穴じゃない。己という枠を取り戻すことによって産まれた、余白なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?