小説を書くことについて 全然分からん

 分かったことなんて一度もない。

 まず、書くだけなら全然難しくない。会話文主体と独白形式なら、ほぼ無限に書けると思う。(大げさ)
 でもそうやって書いたものが面白いかと言われると、首をかしげる。私自身、どんな気分のときに読んでも「うーんこれはダメだな」と思う文章がある。

 計算して書いた文章も、だいたい面白くない。技巧的に書いたものも、同様だ。おそらく私自身、技巧的に書かれた小説にあまり興味がないせいだと思う。推理小説や恋愛小説、官能小説といったたぐいの小説は、私の好みじゃないし、あまりたくさんは読んでない。(有名どころを何冊か読んだ程度)

 あと、私自身、日本の文学よりも海外文学の翻訳物を読んでばかりだから、表現自体はちょっと日本的じゃない部分もある。日本の翻訳者というのは、正しい日本語については詳しいけれど、豊かな日本語について詳しいかというと、そういうわけじゃない。
 私の日本語は、かなり平易で読みやすいのだが、日本人にはなじみない表現を無意識的に多用する部分がある。これはまさに、海外文学の翻訳物によくみられる文章の特徴でもある。

 だがこれは、欠点ではない。むしろ、日本文学の古典があまり読まれなくなり、海外文学の古典の方に関心が向かうことが増えているのが時代の流れだから、むしろ追い風。
 私の文章自体は、おそらく悪くない。あまり特徴はないかもしれないが……でも「いい意味で個性的。あなたの文章は、あなただってわかる文章」と、褒められたことはある。まぁそれについては、自覚が難しいから保留しておけばいいと思う。

 自分の好きなものを書く、ということなら、私は古典的名作になりうるような作品を書きたい。どの時代、どの地域で読まれても、激しい力によって人の精神を引っ張ることのできる作品を書きたい。
 でも、そういう作品がどのようにできるのか私にはよく分からないし、自分にそれが書けるのかと言われても、自信は持てない。

 今まで私が書いたものは全て、しょせん私という狭い人間の世界で完結した物語だ。凡庸な想像力の産物というか。
 理屈っぽい性格と、ものごとの矛盾によく気が付く性質で、世界観自体を固めたり、不思議現象にそれっぽい理論を付け足すのは得意だから、ファンタジー小説を書くのは向いていると思う。でも私は、その舞台で面白い光景を描くことができない。というか、正直に言えば面白さにあまり興味がない。
 このご時世「面白さ」という点で、数多いる天才たちと争う気にはなれない。争うというか……言ってしまえば、争いにすらならないというか、書ける気がしないというのが正しい。私にはどうあがいても面白い話を書くことはできない。

 面白くしようとすればするほどドツボにはまってつまらなくなっていくタイプの人間なのだ、私は。


 描写についての話をしよう。私は景色の描写がとても苦手だ。できるだけさらっと流して終わりにしたい。
 会話文と、人物の動きだけで世界を作っていたい。景色は、あくまでその暗喩として使いたい。舞台を具体的に指定すると、なんだか窮屈な気がして、人物が自由に動けなくなっていく感じがするから。

 多分プロットをガチガチに固めて、全て計算しつくして小説を書くタイプの人は、むしろ景色の描写を細かくすることで、人物の行動を完全にコントロールするのだと思う。
 私にはそれは向いていない。吐きそうになる。理由は分からない。試してみたことはあるし、できないことはないことは分かったけど、その書き方は私の体に合ってない。死にたくなる。(私、すぐ死にたくなるの……)

 そういうわけで、私が書いていて楽なのは、今書いているような、考えながら書いているような文章と、自然に次から次へと進んでいく会話文主体の小説。

 多分私には、文章力というものがほとんどない。というか、いらないと思っている。
 名作を書きたいなら、当然表現はできる限り平易であった方がいいし、読みやすいことが大前提だ。作者はすごいと思われる必要はない。文章力が高いと思われる必要もないし、実際にそうである必要もない。

 私は小説書きになりたいわけではないのだ。ただ「読み継がれるべき作品」を書きたいのだ。
 それが書けないなら、今私が書いているような愚にもつかないものを自分のために書き続けるだけだ。それは私が他者にアピールするためじゃなくて、ただ呼吸するように、代謝するように、書いているものだから。

 どうやったら優れた作品を世に残せるかというのは、きっと頭で考えて分かることではないのだと思う。

 ただ書き続けていいものだとも思わないけれど……まぁ私は、書かないと生きていけないから、それに関してはあまり考えても仕方ない。思いついた話は、できる限り全て形にする。それが練習になるから。
 いつか自分の書くべきものが見つかったとき、それに自分の人生を全て捧げられるように、準備をしておきたい。

 命は燃やさないと意味がない。まだその方法も方向も分からないけど、練習の仕方は知っている。

 たくさん書こう。私は成功を求めているわけじゃない。意味のあるものを残し、その結果として意味もなく死ぬことを私は欲している。
 私の人生は、無意味だからね。それでいいんだ。

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