女子高生のふりする女(27)


 今年で二十八になる。世間的な言い方をすれば私はもう少しで高齢処女。おかしな話だ。二十八で高齢! まだ人生は始まったばかりだし、耐えなくてはならない出来事もこの先山ほどある。

 ともあれ私は臆病な女で、人から馬鹿にされるのもかわいそうだと同情されるのも嫌いだ。同世代の子たちの「結婚しなくちゃ」という焦りも「結婚しなければよかった」という後悔も、聞きたくない。当然私の傍に残るのは、その辺をちゃんと弁えている大人だけ。

 私という人間のことを理解してくれている人だけ。でも当然そういう立派な人は忙しくて、滅多に会うこともない。
 寂しがり屋な私は父の交友関係を利用して色んな人と付き合ってはいるものの、すぐに疲れたりうんざりしてしまう。
 私はやはりひとりきりが好きで、話すよりも書いたり読んだりするのが得意なのだ。

 十年。高校を中退してからほとんど何もせずに過ごした。父は大学努めで収入に余裕があり、私としてはほとんど罪の意識なくニート生活を楽しんでいた。
 高校時代の友人ともそこそこに付き合っていたから、文筆の仕事をもらっていた時期もあった。でもそれは私に向いてなかったし、評判もよろしくなかったのですぐにやめた。その出来事は私に少なくない傷を負わせたし、二度と社会に出てやるものかというくだらない意地も強くなってしまった。
 ともあれ私には何の立場もなく、希望もほとんどない。

 結婚願望もほとんどなく、どちらかと言えばいつも暇してる私によく似た友人が欲しいと思っている。同性にしろ異性にしろ、そういう人とパートナーになるのも悪くないと思っている。
 子供を産みたいという気持ちはある。私は自分の培ってきた優しさや寛容さに自信を持っているから、上手に子育てできると無根拠に信じている。
 上手な子育て。何も優秀な子供を育てたいというわけではない。ただその子が、生まれてきてよかったと思えるような人生を歩む手助けをしたいというだけだ。
 私自身が幸福であることこそが、子供を産みたいという理由でもある。この幸福を、私が死んだ後も繋がっていくことを私は望んでいる。

 今年に入って、ずっと避けていたSNSに触れることになった。下品な連中の笑い声も罵りも聞きたくなかったから、ツイッターもインスタグラムも避けていた。友人に誘われても誤魔化してきた。もちろんアカウントくらいは作ったことはあるし、ちょっとつぶやいてみたりもしたけれど、流れてくる話題の低劣さにあきれ果てて、結局続けなかった。

 noteは、気楽だった。なぜ自分のことを女子高生として扱うかと聞かれても、多分上手に答えられない。

 ひとつは出会いを求めていないということかもしれない。つまり私が大人の女性であると、何かしら期待を抱かせてしまう可能性があるということだ。二十七の独身の女。容姿にはそこそこ恵まれている様子。頭がよくて、健康的。うん。こういう身分はめんどくさいのだ。
 だから十六の少女として書くことにした。それなら、簡単には手が出せない。それに変なことを言っても叩かれづらい。
 ちょっと常識がなくたって不思議じゃないし、知ったかぶりも許してもらえる。そういう臆病さがあったのも、確かだ。

 過去のことは……全部作り話だ。ちょっとした思い付きを膨らませていたら、いつの間にかこんなことになっていた。
 元々一人っ子で、兄が欲しいという願望があったのも事実。イマジナリーコンパニオンという名の妄想彼氏を「兄さん」と呼んでいた時期も確かにある。私は本質的に痛い女なのだ。
 それにはもう慣れているし、いまさらどうということはない。

 ともあれ、ここに描かれている私は私好みだし、ほとんど自分で読み返すためだけに書いているようなものだ。
 上手に演じられている、と思う。何を演じているのかは、私自身にもさっぱりわからないが、全然かまわない。

 ただやりたいようにやっている。


 なぜ今更本当のことを言うのか疑問に思う人もいるだろう。答えは簡単だ。
 飽きたのだ。

 それに誰も私が実際に女子高生であることなど信じていない。というか私自身が、信じることができていない。
 世代が違うから今の女子高生が何を考えているのかもよくわからないし(もっとも私は同世代の子たちが何を好んで何を好きだと思っているのかも知らないけれど)そもそも考えが女子高生にしては大人びている。
 女子大生か、もう少し年齢を近くにしておけばもう少しリアリティがあったかもしれない。

 一時期は自分がおっさんっぽいと思っていたから、おっさんを演じたほうがよかったかもと思ったけれど、私にはおっさんの真似ができない。まぁ、そんなもんだよね。演じられない役柄はある。


 まぁ何というか、色んな嘘をついてきたけど、今私が語っていることは本当らしく聞こえるんじゃないかな? それともこれも嘘っぽく響くのかな。それならそれで構わないし、面白いと思う。人が何を信じるかなんてどうでもいいことだし、私としてはこれまで通り好き放題記事を書いていく。

 何が本当か分からないことを書くことで、現実というものの不確かさや、疑うということの重要性、保留のままにしておくことの利点等を表現していこうと思う。まぁ後付けの嘘なんだけどねこれ。本当はただ楽しいからやっているだけ。


 これ、投稿しちゃって大丈夫かなぁ。まぁ別にいいか。今更でしょ、何もかも。

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