明るく楽しく無駄話ショートショート

 人間だれしも感情というものを持っている。その強弱に差はあれど、人は強い内的な衝動、エネルギーの塊に、日々動かされている。
「おはよう、りっちゃん!」
 大声で友達が後ろから肩を叩いてくる。もちろん、声は大きいが、その手は柔らかだ。前に強く叩かれたときにムッとしたから、それ以来優しくしてくれるようになった。
「おはよう、たま」
「今日もかわいいねぇ」
「どうも」
「私は?」
「かわいいって言わなきゃいけないの?」
「言って?」
「えー」
「私、かわいくないの?」
「無理やり言わされるの、嫌だな」
「でもりっちゃん、人のことかわいいって自分から言わないじゃん」
「思ったことそのまま言うことってあんまりないからさ」
「あ、じゃあ私のことかわいいと思うことってある?」
「あるよ。けっこうある」
「じゃあこうしよう。私のことかわいいと思ったら、ニコって笑って?」
「ニコって?」
「いつものりっちゃんスマイル。そうそうそれそれ」
「いや、それなら私四六時中たまのことかわいいって思ってることになっちゃうんだけど」
「え、そうじゃないの?」
「さすがにそれは違うかな」
「ショックだわぁ」
 くだらない、学生同士の日常会話。自分もそういうことができるという事実が、私には少し不思議に思えた。

「いやぁ人生しんどいわ」
「さっきからずっとそれ言ってるじゃん」
 机に突っ伏している真子と、その隣で耳に小指を突っ込んでいる友里。

まこ「高校生にもなって恥ずかしげもなく外で耳クソほじるやつと友達とか、人生しんどいわ」
ゆり「クソほじってるんじゃなくてかゆいからかいてるだけなんだよなぁ」
たま「かゆいって大丈夫? なんか病気じゃない? おはよう」
ゆり「おは、お前らかゆくならんの?」
まこ「気になることはあるけど外では我慢するなぁ私」
うみ「友里は鼻クソもほじるからなぁ」
まこ「女子高生じゃないよね」
ゆり「鼻クソほじる権利は侵害されてはいけないと私は思います」
まこ「いやマナーだろ」
ゆり「息苦しいわ。鼻クソ人前でほじって死ぬわけでもないのに」
まこ「社会的には死じゃない?」
うみ「女子的には死」
ゆり「私女子としての命終えてるのか……」
まこ「死んだことに気がついていないやつじゃん」
ゆり「学校の七不思議のひとつ、鼻クソほじり女」
たま「っていうか普通に不潔じゃない? 指でほじるの」
ゆり「逆にお前らなにでほじるの?」
うみ「ティッシュ丸めて細長くしたりとか……」
まこ「私は綿棒」
たま「私ティッシュ」
まこ「ティッシュ、ゲフンってならん?」
うみ「綿棒だとならんの?」
まこ「いや、なるwww」
ゆり「やっぱ指が一番だな」
まこ「それはない」
うみ「風呂場ならあり」
たま「私ティッシュで小指カバーしてほじってる」
まこ「あーそれは分かる」
うみ「私ペンの逆側でほじることあるよ」
まこ「嘘でしょ?www」
たま「あー分かる」
まこ「いや分からんでしょ……」
たま「りっちゃんはどうやって鼻クソほじる?」
りち「それ言わなきゃダメ?」
ゆり「おいおい理知。みんなカミングアウトしてるのにお前だけ逃げるのはずるくないか?」
りち「普通に嫌なんだけど」
まこ「まぁ理知は鼻クソほじらないか」
ゆり「そうか?」
たま「あのりっちゃんだよ? あのりっちゃんが鼻クソほじるわけないじゃん」
りち「いや……」
「え?」
りち「手入れはするよ」
ゆり「言い方が上品だわ」
まこ「そうだよ。そもそもなんでお前らはさっきからほじるほじる連呼してんだよ。お下品ですわよ」
うみ「そうですわよ。ちゃんとおほじりにならないと」
まこ「そういうことじゃないんだよなぁ……そういうことじゃないんですわよ」
ゆり「あ、じゃあ理知、指でそのまま手入れすることある?」
りち「あのさぁ……」
たま「あ、これはある時の反応ですね」
うみ「読書しながら左手の小指で鼻くそほじるりっちゃんの姿想像完了」
まこ「やめろ! 私の中の理知を汚すな!」

(どうして鼻クソの話題であんなに盛り上がれるんだろう)
(ここ女子高だっけ?)
(俺ら男子のこととかお構いなしだな)

 感情を大きく揺さぶられることのない、穏やかな学校生活。勉強は楽ではないけれど、でも日々誰かと敵意を向けあって過ごすのと比べれば、どうということはない。
 嫌なことはあるけれど、でもちゃんと言えば尊重してもらえる。それが、当たり前のことではなくて、とても貴重で幸福なことであるということを、忘れないでいたい。
たま「りっちゃん、今うんこの話で盛り上がってるんだけどさ!」
まこ「理知はうんことかしないだろ」
ゆり「いやさすがに理知でもうんこはするだろ」
うみ「私はしないに一票入れとく」
りち「私のことなんだと思ってるの……」
 そういうくだらなさが、私の硬くなった心をほぐしてくれる。こういう会話を安心してできるという現実が、理想主義的でものごとを深刻に考えすぎてしまう私を慰めてくれる。
 何も世界は、悲しいことや苦しいことだけでできているわけではない。それを、再認識させてくれる。
たま「私、あのりっちゃんがうんこするなんて事実を受け入れて生きていける気がしない……」
ゆり「じゃあお前はもう死んだも同然だな」
うみ「逆に、もしりっちゃんがうんこしない生き物だったらどうする? 友里はりっちゃんのうんこに何を賭けられる?」
ゆり「私の魂と、肛門を賭けよう」
たま「いらないwww」
まこ「誰も欲しくないね」
ゆり「結構いい形してると思うんだけどなぁ……」
 チャイムが鳴った。
まこ「お、いいところで鳴ったな」
ゆり「私の尻と同じで会話の締まりもいいな」
「????」
たま「りっちゃん嘘でしょ? 今のでツボってるの?」
 先生が早足でやってくる。
「はいはいホームルーム始めるよ。うわ浅川さんなんでそんな笑ってるの」
「理知は私の肛門で笑いました」
「く、苦しい……」

 感情というのは不思議だ。悲しみや苦しみを隠すのは簡単なのに、楽しさや面白さを隠すことはなぜかできない。
 高校生になってから、自分の笑いのツボが人より幼いということに初めて気づいた。子供らしい人間関係をうまくやってこれなかったせいかもしれない。
 皆が呆れるようなくだらないことに大爆笑してしまうことが、恥ずかしいと思うと同時に、なぜかそれに一種の気持ちよさを感じているのも本当のことだった。
 笑うことは、楽しいことだ。素敵なことだ。それがどんなにくだらないことでも、いや、くだらないことだからこそ、いろいろなつらいことを忘れて気持ちを明るくすることができる。
「あ、今りっちゃんめっちゃニッコりしてる。これってつまり?」
「たまはかわいいよ」
「ウワー!」


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