自分は特別ではないと気づいたとき

 子供のころはみんなが自分中心。だからか、小学校の先生はみんなそろって「世界の中心はあなたではありません。だから、他の人のことを思い遣って、助け合っていきましょう。ひとりはみんなのために、みんなひとりのために、ですよ?」なんてことを言う。
 今の少し勉強した私は、その言葉に対して「共産主義かよ」と感じてしまうけれど、当時の私は、それが本当に正しいことだと思い込んでいた。
 みんなのために価値あることをすることが、個人の最大の存在理由であり、逆にみんなに悪いことをしたり、迷惑をしたなら、その人の価値はマイナスであるのだと、そう思っていた。だから、みんなが嫌な気持ちになることをした人がいたら、憎んだし、できるだけ素早く先生に言って、叱ってもらえるように頼んだ。
 友達が誰かから傷つけられていたら、絶対に見逃さないようにしていたし、実際男子は馬鹿で、そういうことを懲りずに何度も平気でするから、私は自分の役割をいつもしっかり果たすことができた。
 女の子の嫌がらせはそれよりも悪質で、先生に説明するのが難しいようなやり口ばかりだったけれど、その時一番苦しんでいる人のそばに立って、他の子たちに「この子はこんなに苦しんでいて、そんな風にした人は絶対に許しちゃいけない。誰がやったか分かったら、絶対に懲らしめてやろう」と強く説明すると、そういう嫌がらせは途端になくなった。
 やっぱり大事なのは「みんなのために」という思い遣りの気持ちだし、助け合いの精神だと、小学生の時の私は本気でそう思っていた。

 しかしまさに、こういう考え方自体が「自己中心的」なのだ。人から教えられた単純な考えを信じ込み、それだけが正しいことだと思って、無邪気にそれを押し付ける。自分は絶対に間違っていないし、自分を間違っているという人間は、みんな間違っている。
 どうしようもなく愚かで恥ずかしい人間であった私は、自分が皆から嫌われていたことに気づかず、それどころか誰もが私を愛しているものだと思い込んでいた。

 小学四年生の時、そのクラスで一番力を持っていた女の子に目をつけられて、いじめられた。先生に激怒しながら告げ口したが、先生は笑って「あなたの勘違いよ」と言った。私は当時先生がなんでそんなことを言うのか分からなかったが、今思えば、あの先生は私が嫌いで、私がいじめられているのを見るのを楽しんでいたのだ。
 教頭先生に直接言いに行ったところ「担任の先生に言いなさい」とあしらわれたが、私がヒステリックになりながら「担任の先生にも言ったが相手にしてもらえなかった」と泣きながら叫んだ。教頭先生は、厄介そうな顔をして、ため息をついたあと「じゃあ○○先生にそう言っておくから」と言った。
 担任の先生は、道徳の授業の一時間を丸々使って、私をつるし上げた。つまり「○○さんがみんなからいじめられていると主張しています」というような言い方をして、皆の前に立たせ「自分の気持ちをみんなに言ってごらん?」なんて、意地悪な顔をして笑った。クラスのみんなも、ニヤニヤ笑っていた。私は必至で、自分がされたことと、その怒りをぶちまけたが、言い終わった後先生は「それで、満足した?」と聞いた。私は大きく首を振ったが、先生がその様子に笑うと、みんなもクスクスと笑った。みんな私のことが嫌いだったのだ。
 多分、気の毒そうな顔をしている子はいたと思う。でも、それに気づけるほど私は冷静じゃなかったし、大人でもなかった。「みんな」というのはいつでも、一個の塊だと思っていたから、その中のひとりひとりが何を考えているかなんて、想像していなかった。
 世界の全てが敵に回ったような気持ちになって、私は教室から逃げ出していた。階段のところに座って、ひとりで泣いていた。誰か、優しい人が話しかけてくれないと期待したが、二時間ほどそこで泣いていても、心配そうに通り過ぎる人はいても、話しかけてくれる人はいなかった。
 やっぱり世界は敵だと思った。

 そういう経験を「成長」と言っていいのか分からないけれど、ともかくこういう風にひどく痛めつけられて、それでも自分らしく折れずに学校に通い続けた、というのは私の中で自信になったし、同時に、それが私の自己中心性をさらに強めることになった。
 「私は特別な人間だ」と思った。だって普通の人間なら、イジメられたら、それで落ち込んで、周りの人間を恐れ、卑屈になって、ダメな人間になっていくはずだから。かわいそうな人間になっていくはずだから。
 でも私は、それ以来たくさん本を読むようになったし、大人に対しても物怖じせず自分の意見を言えるようになった。囲まれて、笑われて、指をさされて、イジメられて、そういうことがあっても、死ぬわけじゃないって分かったから、それは本当に嫌なことだったけれど、恐れて動けなくなるほどのことではない、と思うようになった。どれだけ胸が苦しくても、お腹が痛くても、それでも立って、涙をこらえて、歯を食いしばっていられるなら、私は昔好きだったファンタジー小説の主人公よりも、さらに立派で強いヒロインなんだと、本気でそう思っていた。
 そういうのが好きな人もいたみたいで、私は嫌われることが多かったけれど、数人の子がなぜ私のことを好いてくれて、私は私のことが好きになってくれる人をまともな人だと思ったし、大事にすべき人だと思ったから、大切にしてきた。どんな漫画の主人公も、仲間や友達は大切にする。それは、人として絶対に守るべきことだったから、私は友達には優しかったし、でも友達がダメなことをしたときは、他の人がそういうことをしたときよりも激しく怒った。そういうのが友情なんだと無邪気に信じていたし、そういうのに我慢できる人間だけが、私の友達でいてくれた。
 私の友達はみんな、私のことを内心では変な子だと思っていたんだろうけど、でも同時に、奇妙な尊敬の念も抱いていたのは、確かだと思う。今、冷静に自分の記憶を思い返してもそう思うし、私の全人生における人間関係の中で、それが最良の日々だった。
 私は自分のことが大好きだったし、私のことを好きでいてくれる人たちのことも大好きだった。

 私の世界は「私と、他の人」でできていた。あくまで私が主体であり、他の人たちは、私から観察される客体に過ぎなかった。私がいるから、他の人たちもいるのだと、本当にそう思っていた。まさかひとりひとりが、そのように考えて生きているだなんて、思ったこともなかった。
 私には私の運命があり、きっと私のそばの特別な数人にだけ、私と同様の、その人自身の人生と、運命があるのだと、本気でそう、無邪気に信じ込んでいた。

 中学生になって、負けず嫌いな私は塾に入って死ぬほど勉強した。部活もせず、ほとんど遊びもせず、テストで満点を取ることだけを考えて生きていたし、そうしている間は、いじめられずに済むことも学んだ。勉強のことばかり考えて、人の馬鹿なところや悪いところに気づかないでいられたら、誰にも嫌われずに済むことが気が付いた。
 言ってしまえば、その方が得だと、気づいてしまった。
 勉強がよくできると、必然的に塾の先生と仲がよくなる。一番優秀な生徒は、塾の評判をよくするし、しかも先生たちを尊敬し、しっかり謙遜する気持ちを弁えている。私自身もそうだった。先生の教え方が上手なのは本当だったし、分からないことを尋ねると、毎回丁寧に分かりやすく教えてもらえるのが、本当に嬉しかった。学校の先生も、両親も、そういう私の学習意欲に気持ちよく付き合ってくれる人はいなかったから。
 私はその若い塾の先生に内心恋をしていたが、あまり深く気にしないようにしていたし、あくまで塾講師とその生徒として、お互いに好ましい存在として、それ以上深入りしないように気を配っていた。私はそういう大人の関係のようなものが、好ましくて、居心地が良くて、自分らしいような気がした。小学生の時の、あの余裕のない、正義感ぶった自分のことがどうしようもなく恥ずかしかったし、ないものとして扱いたかったから、実際に、その時代はまるっきり忘れて、優秀な女子中学生としての仮面をほぼ完璧な形で演じていた。
 同級生たちもみんな、私の小学生の時のことなんて忘れているようだったし、私のことを「頭が良くて、しかもかわいい」ということで、褒めてくれる人も多かった。私はそれについて、あまり気にしないようにしていた。小学生時代のことを忘れてしまったことにしていたとはいえ、憎しみや反感は消えていないし、何よりも強い軽蔑意識はそのままの形で残っていたからだ。
 軽蔑意識。私は特別であり、彼らは特別ではない。中学生になっても、私は相変わらず自分のことを特別な人間だと思い込んでいたし、他のひとりひとりの人間とは区別されて然るべき存在だと思っていた。
 平等というのもあくまで、私とその子が平等という意味ではなくて、私が、あの子とその子に対して、公平に接する、という意味で捉えていた。贔屓をしない、という意味で捉えていた。

 私は自分が人よりえらい人間だと思っていたし、そう思われていて当然だと思っていた。勉強が苦もなく人よりできるということも、そういう意識をより強めた。

 塾の先生と仲良くなるにつれ、読んだ本の話をするようになった。よく考えたことや、疑問に思ったことを率直に語ると、その塾の先生は驚いたような顔をして、私に対して尊敬の念を抱いているような口ぶりになった。先生のそんな態度は、私以外の人間に向けられているのは見たことがなかったから、それが本当に嬉しかったし、私はもっと賢くなろうと思った。
 塾の先生が、よくできる生徒を特別扱いするのは何も珍しいことじゃない。私は本当によくできた生徒だった。県内の塾生全てのテストで総合一位を取ることは一度や二度のことではなかったし、学校のテストでは敵がいなかった。勉強に本当に集中しているからか、他の子のことを馬鹿にしたり、嘲笑ったりすることもなかったし、好きだった塾の先生の真似をして、困っている子に勉強を教えることもあったから、そういう意味でも好まれていた。

 自分が特別な存在でないことに気づいたのがいつだったのかはよく分からない。県内で一番いい高校に入っても、私は目立っていたし、人より秀でていた。でもまず間違いなく、それまでの同級生たちとの差より縮まっていたし、それが今後もっと縮まって、いつか自分が勉強という点で「並」になっていくことは、容易に想像できたし、勉強に鍛えられた論理的思考は、そういう現実から逃げ出すことを私に許しはしなかった。
 現実は現実であったし、高校生活の私は、小学生の時のような「問題児」でもなければ、中学生の時のような「天才」でもなかったし、何とも言えないような「普通の生活」だった。他の人もみんなその人自身のことを「普通の人間」だと思っていたし、私のこともそのように扱った。
 それは不当な扱いではなかったし、それこそ私が中学時代先生と築けていたような「大人の関係」だった。
 近すぎず、遠すぎず、相手の長所は素直に尊敬し、自分の短所は少し恥ずかしく思って隠す、そういう、本当にただ、ありふれた関係というのが、その高校でのスタンダードな人間関係だった。

 そういう「普通の自分」の中で生きていると、小学生時代の自分や、中学時代たくさん読んだ難しい本の内容が、私の中で自然と蘇り、困惑するようになった。特別だった自分と、いや、特別だと思い込んでいた自分と、普通であることを受け入れて、日々を何気なく過ごす自分のそのギャップに、奇妙なものを感じると同時に、それはおそらく、多くの人が同じように考えて苦しむことだと直感した。
 この世界には、数十億人の、かつて自分のことを特別だと思っていた、普通の人間がいる。特別な人間なんて誰もいなくて、それぞれが自分のために生きているのに、そこには主人公なんてひとりもいない。それぞれが、それぞれの心地よい関係と生活の中で生きている。自分が求めているものと、人が求めているものの折り合いがつく場所で、皆が納得して生きている。

 そういう現実がはっきり見えたとき、安心すると同時に、自分の目の前の足元に、ぽっかりと深く黒い穴が開いたような気がした。

「私は何のためにも生きていない」

 その喪失感を、どう表せばいいのか分からなかった。私と同じ気持ちを歌った音楽があまりに多くて、しかもそれが人気を得ているという事実が、この感覚が決して特別なものではない証拠であるように思え、さらに不快になった。
 その音楽が好きだということすら、恥ずかしいことに思えたから、誰にも言わなかった。

 他の人たちと同じように、自分の長所を探し、どうにかして社会の中に自分の居場所を見つけないと、と焦り始めた。いい大学に入って卒業しても、今時いい就職先が見つかるとは限らないし、就職しても、その待遇が良くても、その仕事にやりがいや意味が見いだせなかった人たちは、すぐにやめてしまうことが多いらしい。自分もそうなるような予感があったから、本当に必死に、自分だけの「特別」を探すようになった。
 見つかるはずもなく。ただ、恥ずかしい記憶が増えただけだった。


 そのうち、この世にはきっと、私なんかよりずっと特別な、かっこいい人たちがもっといるはずだと思うようになった。そういう人たちを支えるのが、きっと負け犬である私の仕事なのだと思うようになった。
 私は通える範囲で一番いい大学に現役で入ることができたし、友達付き合いに失敗したわけでもなければ、男の人から全然アプローチされてこなかったわけじゃないから、他の人から見たら「順調な人生を歩んでいる」のかもしれないけれど、私自身の感覚としては、負け犬に他ならなかった。特別だと思い込んでいた自分が、凡庸であることを思い知って、受け入れて、でも空しいから、意味のあることを探したけど、見つからなくて。だから、意味のあることを見つけて、それに取り組んでいる人の手助けがしたいと、心の底からそう思うようになった。

 失望の連続だった。大学の中でも、SNSでも、面白そうだと思った人には片っ端から声をかけて、合いそうな人を探した。特に意味もなく体を重ねたこともある。何もかもが退屈で、空しかった。失望することばかりだった。崇高な理念の裏にあるのは、単純な生物的欲望ばかりだった。もっとモテたいとか、立派な存在だと思われていたいとか、そんなくだらない気持ちばっかりで、本当に意味のあるものを持っている人なんて、ひとりも見つからなかった。

 何度も何度も「自分で作るしかない」と思って、色々な計画を立てた。でもそのたびに、実行する前に、心が折れた。私にできるはずがない。無責任に、広げた風呂敷を誰かに押し付けることになるに決まってる。自分の責任で最後までやり遂げられるならまだしも、その自信も覚悟もないのに、ただ自分の空虚感を満たすために、人に迷惑をかけるなんて、人としてやってはいけないことだ。
 そう思って、私は本当に何もできないまま大学生活を過ごして、就活シーズンを迎えた。
 学問の方は、退屈だった。教えられたことは理解できるし、課題もテストも苦も無くこなすことができたけれど、自分自身がそういうものの元となるような理論を生み出したり、実験を繰り返して何らかの研究成果を残したり、そういうことをしている姿は想像できなかったから、あくまで卒業さえできたらいい、と最低限の勉強しかしなかった。それでも、咎める人はいなかったし、むしろ褒められることさえあった。褒められるつもりで書いたわけではないものが、よく勉強していると褒められ、教授に気に入られかけたことはある。正直、精神的にそれどころじゃなかったから、距離を置いた。その年を取った男性の教授に、生理的な嫌悪感を感じていて、少し話すだけで気分が悪くなった、というのもあると思う。その教授がもっと若くてイケメンか、あるいは女性だったなら、話は違っていたかもしれない。

 何はともあれ、就活に挑んだ私は、無残な結果に終わった。準備はしていたが、自分の入りたいような企業は全部落ちて、受かっても入らないだろうな、というような企業にだけ受かった。私の周囲も、そういう人が多かった。

 あとのことを説明する必要はないと思う。私はしばらくして働くのをやめ、別に好きでもないが嫌いでもない諸々のスペックだけは高い年上の男性と婚活パーティーで出会い、その人に養ってもらっている。まだ結婚はしていないが、彼はそのつもりのようで、最近タイミングを見計らっているようだ。
 私は冷めた目で、自分の人生を眺めている。どこかに、私が特別になるようなチャンスはあっただろうか? いや、ない。私にはこの道しかなかったし、だったら、そこで少しでも気分よく過ごせるよう前向きに考えた方がいい。

 それでも、昔のことを思い出すたびに、痛ましい気持ちになる。
 私の人生は、救われていないな、と。


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