雨が降っている


 真夜中に雨が降っている。やるべきことは何もない。
 今はもう、早寝早起きする理由すら見当たらない。学校には行かないし、将来のこともどうでもいい。

 いくつかの未来が、瞼の裏に浮かんでくる。

 多くの人の励ましや援助のおかげで、大学に行くなり事業を始めるなりして、社会的な意味でうまくいって「世の中だって、捨てたもんじゃないな」などと言って、笑っている私。周りの人に感謝して、毎日、自分で選んだ仕事を楽しくこなしている。

 いくつかの未来が、瞼の裏に浮かんでくる。

 このまま何か待つように時を過ごすけれど、待っていたって何もやってきはしない。私はずっと家事以外何もせず、死んだように時間を浪費する。常に何かを考えるけれど、何かを産み出すことはない。形にして人に伝えることに飽きて、アニメなりゲームなりで自分自身を忘れることを覚えて、それを死ぬまで続ける。

 いくつかの未来が、瞼の裏に浮かんでくる。

 このままじゃいけないと思い立って、大学に入学してから、真人間として生きていくことを誓う。自分の意見を完全に封印して「いい人」を死ぬまで演じきろうとする。しかしうまくいかなくて、ある時ついに吐き出してしまう。
 見捨てられるかと思いきや、友人たちに助けてもらい、再起する。なんて。フィクションじゃあるまいし。

 すべての思い浮かぶつまらない未来は、唾棄すべきものだ。

 どれも願望というより、恐れに近い。私が拒絶したもの。

 雨が降っている。私は自由に文章を書いている。私の考えは、私だけのものだ。だからこれは、私の人生そのもので、決してフィクションなどではないのだ。

 あるいは、私が自由に決められるものなのだ。私は人生を賭けている。いつでも死ねるということは、いつでも投げ出せるということは、私が自分の意志で生きているということを意味しているのだ。

 昔ホームセンターで買った首つり用のロープを、押し入れから引っ張り出して手触りを確かめる。ざらざらしていて、しかもほこりを被っている。汚くて、すぐに押し入れに戻した。手を洗って……これが現実の感触なのだなぁと、鏡を見て笑ってみる。
 私は、私だ。見慣れた私の顔は私好みで、もし私が男性なら微笑まれただけでドキっとするかもしれない。
 この子が、深く悩んでいて、時には本気で自殺を考える。実際、一度死にかけている。そう想像すると、この世界の深さにぞっとすると同時に、感動する。私は、私が何なのか分からない。それが、嬉しいのだ。

 少しだけ顔を横に向けて、目を伏せる。誰も見ていなくても、演技じみた仕草をしてみるのは、楽しい。全てを見通す神がいるならば、私を見て喜んでいることだろう。これでこそ、悩み多き乙女の姿ではないか? 私はそう思う。そうであってほしいし、そうであるべきだと私自身に命じている。

 この自意識は歪んでいるのだろうか。私は歪んでいるのだろうか。

 私は? 私は、これを歪んでいるとは思わない。これが私なのだ。

 これが、この時代のありのままの姿なのだ。この時代が産んだ、ひとりの人間の姿なのだ。ひとつの青春の姿……

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