ネカマは現代の詩人のたしなみ
2021年になった。
別にやることもなく、何がしたいわけでもなく。
公募に送った小説はもちろん一次選考で落ちたし、その事実は普通に受け入れられた。
そんなもんだというのは分かっていたし、僕自身もそれほど自己評価の高い人間ではなかった。
二十代前半だから、多少傲慢で自信過剰なところはある。そんなのは分かりきっていることだし、だからこそ自分自身に対する失望もそれほど大きくなかった。
ただ、やはり大きな新人賞に送ったうえで一次落ちというだけじゃ、何も分からない。自分がどれくらい書けているのかもわからないし、現実で見てもらえるような人もいない。いや妹には見てもらったけれど、まともな感想は貰えなかった。
ネット上の友達にも見てもらったけれど、やはりよく分からなかった。
だからネットの投稿サイトにあげてみようと思った。中学生のころ、少しあげてみて、ずいぶんコテンパンに叩きのめされたのを覚えている。
僕はあまり人と争うのが好きな性格じゃなかったから、言い合いをしたことはなかったけれど、ずいぶん傷ついたことだけは本当だった。
すごく恐ろしかった。また酷いことを言われるんじゃないか。何か、変なことが起こるんじゃないか。
僕の臆病さは、どのように歪んでそうなったのかは分からないが「女子高生を演じる」ということで解決を求めた。
女子高生。攻撃的な人ほど、そういう種の人間に対しては優しくなる。自分より下。発展途上で、可愛らしい。
そういう人間を演じようと思った。真面目で、性格自体は僕とそっくりで、容姿はとても麗しくて……
結果は、よかった。ほとんどが褒め言葉だったし、貶してきた人もいたけれど、その人も僕が書いたものをある程度認めないわけにはいかないような口ぶりだった。
もちろんそのサイト自体のレベルが低かったから、比較的という話だったのだろうけれど、それでも嬉しかった。
そうなると調子に乗って、たくさん書き始める。「カクヨム」というサイトで、次々投稿するようになった。
その場で思いついて書いたものから、昔書いたものを書きなおしてあげたり、あるいはプロットで止まっていたものを完成させたりと、色々なやり方で書いた。
大体一日平均一万字以上は書いていたと思う。巧拙、完成度はともかく、楽しさはちゃんとあった。
悪ふざけもかねて、僕自身の手記をそのままアップしたりもした。気づかれるわけもない。
結局のところノンフィクションとフィクションの間に壁はなく、誰もそれを見抜けない。それだけは、確信できた。
もっといえば僕は睦月を上手に演じることができていたし、疑う人がいたとしても、僕という正体を見抜くことができた人はひとりもいないと思う。できる道理もない。
いや、心のどこかで見抜いてほしいとは思っていた。
「お前は二十と少しの無職の青年だ。臆病で、繊細で、演じるのが好き。心の中に乙女を飼っているから、それを自然な形で演じることができる」と。
noteを初めて二か月経った。結局僕は、何をやっても大体二か月と少しでやめてしまうのかもしれない。
ダッシュボードを見ると、もう少しで三カ月になるのが分かった。記事の数自体が多いからか、最近更新の頻度が急激に上がったからか、ビューの数が増えていることに気づいた。
最初のひと月は1000。次の月は2500。そして今月は22000。
そういう数字を見るだけで、もう少し続けてみようかな、などと考えてしまう。もうそういうのが疲れたし、つまらないのだ。
承認欲求というか、僕自身は別に他に自分の存在を知らしめたいとか、認めてもらいたいとか、それほど強く思っていない。
僕は自分が賢いことを知っているし、正しいことも知っている。それを人に主張する理由も必然性もない。
だからこそ僕は僕ではなく睦月という別の人間を演じることができたし、それはある程度うまくいった。
でもやっぱりもうめんどくさいんだ。演じるのに疲れた。僕は僕自身でありたい。
女の子のふりをするのはもうやめだ。僕は男だし。
暴露するかどうかは迷っている。そもそも最初からやり直したいと思っている。男として。正直な自分として。
ひとつのクッションとして、睦月は確かに必要だった。ありのままの僕では、きっと耐えられなかっただろうし、うまくやっていくことができなかっただろうから。
こういう風にまずは別の人間の演技をすることで慣れるのは、正しかったのだと思う。
ネカマと言えば聞こえは悪いけど、実際僕は人を騙したかったわけでもからかいたかったわけでもない。ただその方が書きやすかったからそうしただけ。
でも、申し訳ないとは思うんだ。ずいぶん馬鹿なことを言ったし、やったと思う。
僕は自分がどうしようもなくくだらない人間であることに耐えられないし……何もかもが嫌になっている。
結局僕は、睦月という人間が僕とは別に独立して存在することを願っていた。
つまり僕と同じ苦しみを抱えた年下の女性がどこかに存在することを想って、それを自ら創り出そうとした。
いや分かってる。僕はこの子にあまり魅力を感じられない。似すぎているからだ。
でも同じように僕は、あまり女性というものに魅力を感じられないのだ。魅力を感じることがあったとしても、今のところ性的な魅力だけだ。
人間的な魅力は、いつも男性に対してしか感じられない。
僕はヘテロセクシャルだけど、もし本当に魅力的な男性に出会い、愛されることがあれば、その人と恋愛関係になることは可能だと思う。性欲なんてものはいくらでも自分でコントロールできるから。
生きていくのはつらい。でも生きていかなくちゃいけない。僕がこの数か月でやったことは、多分僕自身が必要としていたことではあったのだと思う。
どうか忘れてください。人はきっとこういうものを「黒歴史」と呼ぶのかもしれないけれど、僕はもう……そういうものを忘れたり、しまい込んだり、なかったことにしたりすることができなくなってしまった人間だから、受け入れるしかないんだ。
自分の愚行を。恥ずかしい行いを。人に見せられないようなものを。
僕はそれを分かっててやるしかなかったんだ。どうか許してください。
どうか僕を受け入れてください。ダメならそれでいいです。
結局僕は嘘つきの臆病者。道化を演じきることもできず、結局は耐えられなくて素顔を晒す。
ねぇ。僕はどんな顔をしてる? それとも疑って、これもあの「睦月」の遊びの一種だと思う?
何が本当か、ちゃんと分かってくれるのかな。嘘に嘘を塗り固めたら、もはや誰にも何もわからなくなってしまうのかな。
いずれにしろ僕は僕だ。社会不適合者なのに、精神病の診断も下りず、どれだけ世の中に合わせようとしても、体はそれを拒絶する。
生きていくこと、難しいよ。こんな体と心じゃさ、何をやってもうまくいかない。
そんな僕はため息をつくと、ひとつ面白いジョークを思いついた。
「ネカマは現代の詩人のたしなみ」
そうだね。それなら仕方ない。僕は間違っていない。
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