客観的批判者。分離された人格。

 朝からひとりでネットゲームをやってると、心の中に大きな空しさが広がってくる。SNSを見て何らかの通知があれば、その空しさは多少収まる。その繋がりの太さは問わず、誰かと関わって、自分が誰かに影響しているのを見ると、自分は無駄ではないと勝手に体が判断するのだろう。
 でも冷静に考えてみれば……それもあまり意味のないことなのではないかと思う。意味……意味……

 そんなことを思いながら、次の一試合に臨む。今日は頭が回らない。集中もできない。だから、ゲームでもやって時間をつぶすしかない。
「よお」
 後ろから、低くてかすれた男性の声が響く。
「客観的批判者」
「お前、昨日どんな詩を書いたか覚えてるか? ま、詩って言っていいのか分からないくらい、クソみたいな代物だが」
「覚えてるよ。なんだっけ……何を書いたんだっけ?」
「俺が読み上げてやろう」


私は他人を道具として見ていたことがある

人間と動物の違いが分からなかった

周りの人間の考えていることが容易に見て取れた

人は複雑な動物だと思った

あまりにも多様

能力と人格の間には小さな関係しかない

私はどうしようもないほど愚か者だった

私はどうしようもないほど誠実だった

他者を愚かだと思ってしまったことが私を愚か者にした

私は誠実さゆえに自己を例外化することができなかったのだ

自己は最も身近な他者である

私は愚か者である

周りを見ても馬鹿ばかり

己を見てもそこにいるのはひとりの馬鹿

まったくいやになる

生きていくのも

考えるのも

賢くなるのに何の意味があるだろう

人より優れていることに何の意味があるだろう

人を助けることになんの意味があるだろう

結局助けられた彼らは好き放題笑って飲んで用を足して死んでいくだけじゃないか

助けてもらったことも忘れて自分より低劣な人間を嘲笑い

自分より優れた人間を羨んで隙あらば破滅させようとする

そんな人間を救うことになぜ自分の身を犠牲にできるのか

私には理解できない


死んだ方がいい人間もいる

産まれてこなかった方がよかった人間もいる

私もいつか死ぬから

生命への冒涜をどうか許してくれ

他者への侮辱もどうか許してくれ

愚か者でしかない私を許してくれ


私はちゃんと苦しんでるから


「ははは。今のお前は、死んだ方がいい人間じゃないのか? ちゃんと苦しんでない人間なんじゃないか? 『今日は元気が出ないからゲームをして時間をつぶすしかない』なんて呟いて、ため息ばかり。ははは!」
「私はそんな人間だよ。この詩を書いたのだって、多分昨日の私が私に耐えられなかったから、仕方なく書いたものなんだよ。言葉に意味なんてない。私の言葉の裏にあるのは全部、私自身の苦しみだよ。怒りと、憎しみだよ。理不尽な、ね」
「偉そうに」
「偉くないよ。誰よりもみじめなんだよ。だってそうじゃん? こういう感情を抱いてしまう時点で、私は他にすべがない。周りの人間に当たるのは避けたいし」
「どうして避けようとするんだ? それはお前がただ、その他者とやらに否定され、攻撃されるのが怖いだけじゃないか。お前は臆病者だ」
「そう思ってたけど、それは違うみたいだよ。私は相手が攻撃してきたら、二度と相手が私に攻撃できないくらい痛めつけたいという強い衝動を感じるし、私が実際にそうするには、自分の自制心をほどくだけで十分。私、私が知らないくらい、攻撃性を内に秘めてる」
「だったら、なぜそれを隠すんだ? 『あらゆる過剰はひとつの徳となりうる』。お前は前にそう言ったじゃないか。おそらくお前の中で一番大きい欲は、加害欲求だろう? お前はそれを抑えているせいで、常にエネルギーが枯渇しているんだろう? 俺は知ってるぞ。お前が対人ゲームを好む理由も、毎日意味もなく自分自身を傷つける理由も。お前はただ、精神が血を流す姿を見たくて仕方がないんだ。お前は結局、ありふれた悲劇愛好者に過ぎない」
「多分、それは違うと思う。私はそもそもあまり悲劇が好きじゃない。安っぽいから。誰かが死んで終わるのも、誰かが泣いて終わるのも、あまり好きじゃない」
「じゃあお前は何が見たいんだ?」
「傷つきながら立ち上がる姿」
「現実の人間は、見たくない現実から目を背けることによって立ち上がるぞ。お前もそうだ。お前の言ってることは、理不尽だ。お前の欲求は、単なる我欲だ」
「そうかもしれない」
「なぁ。結局お前は、俺に攻撃性を転嫁してるんだ。そうすることで、自分はまるで攻撃的な人間でないかのようにふるまうことができる。お前が頭の中で誰かを攻撃してしまっても『それは私の中の客観的批判者が……』と言い訳をする。言い訳ができる。結局俺は、お前のゆがみから生まれた存在にすぎない。元々俺は、お前自身だ。与えられたものじゃないぞ。他の人間がお前を批判したから産まれたものじゃない。お前が他者を批判したいと強く思っているにも関わらず『私は他者を批判してはならない』というルールを自分自身に課したから、その抜け道として別人格を用意する必要があった。それで、俺が産まれた。分かるだろう?」
「あなたはどうしたいの」
「お前の中に戻りたい」
「その結果、私が破滅したら?」
「俺はそれを望まない。お前もそれを望まない。だから重要なのは、お前が俺を受け入れたうえで、この衝動をうまくコントロールすることだ。しょせん俺は、衝動に過ぎない。性欲に似た存在だ。お前はお前の性欲を受け入れ、うまくコントロールしている。お前にはできるはずだ。うまく俺をコントロールしろ。お前自身として受け入れ、利用しろ。利用しつくせ。俺はお前にとって、大きな喜びになりうるものだ。俺を捨てるな。共に生きよう」
「珍しいな……珍しいね。君がそんなことを言うなんて」
「それは一種の逃避か?」
「いや、ただそう思っただけ。でも私はどうすればいいんだろう。私は自分がどうやって自分の性欲を受け入れたのかあまり覚えてない。そもそも切り離して考えていたことはない気がする。それはいつでも私自身のものだった。でも君はそうじゃない。昔からずっと、君は私から切り離されていた。多分きっかけがあると思うのだけれど……」
「思い出してみたらどうだ?」
「思い当たることが多すぎるよ。私は小さいころ、色んな人を傷つけたから。特に大人を、ね。私は人の矛盾を容赦なく暴くのが好きだった。でもそれは、私を傷つける結果にしかならなかった。だから、あなたを牢屋に閉じ込めることで、私はみんなから好かれようとした」
「お前の言い分には実感が伴ってない」
「そりゃそうだよ。苦しい過去だから、極度に抽象化されてる。具体的なことは、断片でしか思い出せない。その断片も、苦しみそのものを呼び起こすほどのものではない。そもそも私には、君の必要性がよく分からない」
「必要性? 必要性の話ではないだろう。だって俺はお前の一部で、お前の都合で切り離すことも、消えることも、できないんだから。俺は、お前の体の一部なんだ。切除なんてできないし、したとしても、それで困るのはお前自身だ。俺がいなくなれば、お前の体と心のバランスは、今以上に崩れるぞ。お前のために言っているんだぞ、俺は」
「……私、あなたが嫌い」
「どうして」
「私を傷つけるから」
「『自分自身の本質のせいでつく傷は、高貴な傷である。受け入れるべき傷である』お前の高級な思想も、俺を受け入れることを命令しているようだが?」
「知ってるよ。私は駄々をこねてるだけだって。でももう少し待ってほしい。私には準備が必要だし、覚悟も必要だよ。今すぐは無理だ。それにどうすればいいのかも分からない。それを考えるだけの確信もない。それにあなたが言っていることが本当に正しいなら、私が意志する必要もなく、自然とあなたは私に吸収されると思う」
「そうだろうな」
「私だって、しょせんこの肉体の一部に過ぎないからさ、私の一存では決められないよ。ゆっくり体全体で考えてみる。とりあえず、私はあまり君のことを悪く言わないことにするよ。人を傷つけたい、攻撃したい、そういう衝動を、絶対的な悪として、単純に見るのはやめるよ。それは使い方次第だ」
「分かっているじゃないか」
「うん。分かってる」

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