未来の自分をからかってみる

 ホップステップジャンプ。
 意味もなく飛び跳ねてみる。時間の上で。

 三十歳の誕生日。人生の節目だ。もっと昔なら、折り返し地点と呼んでもよかったような年齢。でもこの時代だと、まだまだ若造。大した経験も積んでない、半端者。なのかなぁ。分からないけれど、ここまで長かったような短かったような、不思議な気分。自分が今までやってきたことを振り返ると、この人生はあまりに長すぎてうんざりするような気持ちになるけれど、そういう記憶を綺麗さっぱり忘れて、今ここにいる三十歳の自分だけを見ると、どうにも人生は短いのだなぁ、と思う。だってこの人生をあと二回も繰り返せば、もう九十歳。どうやって死ぬかを考え終えて、あとはそれに従うだけ、という年齢。いやもちろん、老人は皆そういうふうに死ぬべき、とは思っていないけれど、私自身はそういう老人になりたい、というだけなのだ。

 時代が時代だからか、別にこの年齢で結婚していなくたって誰も文句は言わないし、焦りも感じない。
 結婚したい人は結婚すればいい。それはめでたいことだ。子供を産むこともそうだ。新しい命は、いつだってめでたいことだ。祝うべきことだ。だから、そういう人生を歩んでいる友達を僻んだりはしない。羨ましいと思うことも、時々はあるけれど、でもじっと考えてみると、別にそう羨ましいものでもない。彼らは彼らなりに悩んだ末にそれを選んだのだろうし、その人自身の人生を、そうやって自分の中で簡略化して、言い換えれば理想化して僻むのは、おかしな話だ。
 私のことを他の人が「ろくに働きもせずいくつになっても子供みたいな生活と精神で生きている」と言って羨んだとしても、それは間違ってはいないが、同時に的外れでもある。私は私で色々なことをやってきたし、その中で苦しみ、悩み、その末に今の生き方に落ち着いたのだ。何も知らない人がそれについて何を言ったって、私は鼻で笑うことしかできない。だから、私も誰かに対して鼻で笑われるしかないような感情は、できるだけ小さいうちに摘んでおくべきだと思う。

 最近近所にできたネットカフェに行ってみて、久々にインターネットに触った。携帯もパソコンも持たなくなってから二年経っていた。かつて自分が使っていたハンドルネームを検索すると、ちゃんとそのページが出てきた。当時このSNSを使っていた時は「十年も経てば、このSNSも閉鎖して、私の書いた文章は全部復元不可能になるんだろうなぁ」なんて切ない気持ちになっていたような気もするが、実際にはこんな感じだ。十二年くらいでは、そう大きく変わりはしない。残るものは残る。ただ百年後はきっと……そう考えている時点で、私はあの時から大して成長していないのかもな、と思った。

 古い文章から順に見ていく。ひどい文章だろうなぁ、と想像していたが、そうでもなかった。まぁよく思い返しても見れば、当時の私は何度も昔の文章を読み直していたから(古い記事なんでほとんど誰も見ないのがSNSの特徴なのに)そりゃあある程度は、まとまった文章にもなるだろう。
 内容は、まぁ若い頃の私、という感じだ。時々「おお」と思うような鋭い洞察もあるけれど、全体でみると、なんだか緩いというか、雑というか……私の悪い部分がそのままの形で表れているなぁと思う。でも同時に、自分のいい部分もまた、全く隠されずそこに見えているから、なかなか読んでいて楽しい文章だと思う。

 今の私から見ても、過去の私はかわいらしくて面白い女の子だ。当時は色々なことを疑っていて、自分がいったい何なのか分からないまま思いついたことをそのまま全部書いていたんだと思う。懐かしい、と思う。愛おしい、と思う。

 久々に更新してみようかな、と思った。そう思って一番新しいページを見た時、私に宛てた言葉があった。
「未来の私へ。どうしてnoteをやめちゃったんですか?」

 どうしてだろうね。きっともう、つまらなくなっちゃったんだと思う。ずっとこれをやっていても、現実は何も変わらないことに気づいちゃったから。
 インターネット自体に、もう広がりを感じなくなっちゃったから。
 この時代に存在している人たちとの繋がりよりも、かつて存在していた人たちや、これから存在していく人たちとの繋がりの方が、暖かくて、優しくて、私の気質に合っていることに気づいてしまったから。

 どんな理由をあげたっていい。ともかく私は、ある時ふとnoteをやめようと思ったし、その時自分でもnoteをやめた理由が分からなかったから、未来の私にその理由を託した。
 「どうしてやめちゃったの?」と、やめた本人が未来の自分に解釈を委ねた。十何年も経ったのち、偶然私はその現場に出くわし、思い出した。確かに私は、未来の私に、自分がこのSNSをやめた理由の解釈を委ねたのだ。
 なら、私はそれに対してはっきりと答えを出すべきなのだろう。今の私なら、ちゃんとそれに答えることができるだろうから。


 そうしてまた過去に戻ったとき、私はまだここに存在している。十数年後の三十歳になった私は、これを読んでどう思うのだろう? 少なくとも彼女は、これを書いたときのことを覚えてはいないことだろう。
 驚くのだろうか。それとも肯くのだろうか。はたまた、この時代の私のやったことの全てを忘れようと欲しるのだろうか。もしそうなら、これを三十歳の私が読むことはありえないことだろう。

 人生はそれ自体が奇妙なものではない。でも奇妙にしようと欲するならば、奇妙なものにしてしまうことができる。

 私は、未来の私をからかってみたいのだ。でもきっと、からかわれるのは私の方になることだろう。

 未来の私が過去の私の想像力を「貧しい」と笑ってくれていたら、それが一番嬉しいことだ。

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