絶食系男子の落とし方【ショートショート】

 女の話をして楽しいと思ったことはなかった。
 真面目だ、と言われることは多かった。
 最近、価値観が古い、と言われた。
 誤解だ、と思った。

「ねぇそれなら試しに私たち付き合っちゃおうよ」
 近所のハンバーガー屋で向かい合って座るのは、茶髪の、ピアスをつけた女。友達の姉、と言ってもその友達は年下なので、彼女とはタメだ。
 僕は口にストローをくわえたまま、眉を持ち上げて「んー?」という、解釈の難しい表情をしてみる。彼女は僕のそういうちょっと不思議な動きを微笑ましげに見つめている。
「ねー。私六割くらいは本気だよ?」
「残り四割は何?」
「実験?」
「何の?」
「君の反応の」
「よく分かんないなぁ。そもそも付き合うってのが僕はよく分からないんだ」
「うん。だから付き合ってみようって話。そしたら何か分かるかもよ?」
「そう思って、高校時代、仲の良かった女友達と付き合ってみたけど結局分からなかったって話、さっきしたばっかりじゃん」
「だってその子とは、何にもしなかったんでしょ?」
「手は繋いだよ」
「その時何も感じなかったの?」
「この子の手、ちょっと汗ばんでるなって思った」
 彼女はそれを聞いて大笑いする。僕もつられて少し笑う。
「それ、マジで言ってる?」
「うん」
「性欲とかないの?」
「あるにはあるけど、欲望に流されてもいいことなくない? 我慢するの、苦じゃないし」
「修行僧か何か?」
「なんか、よく言われるんだよね、それ。普通に同性の友達にも言われる。お前はなんかおかしいって」
「おかしいとは思わないけど、大丈夫かな? って思う」
「むしろ、そんな強い衝動を抱えて生きてる皆さま大丈夫ですかーって感じ。セックスはまぁ、気持ちいいだろうし、楽しいんだろうけど、別にそれだけじゃん」
「ヤったこともないくせに、なんでそんな自信満々に言い切れるの?」
「同世代の半分くらいはもうすでにそういう経験済ませてて、嫌というほど話聞かされるからさ、正直うんざりしてるんだよね。こいつらと似たような存在にはなりたくないなって、ちょっとは思ってると思う。なんでこいつらそんなくだらないことで一喜一憂できるんだろって。子供作って育てるとかなら、真剣になるのも分かるけどさ、そのつもりもないくせに、ヤッただのヤッってないだのと、うるせぇんだよな。僕あぁいうの嫌いなんだわ」
「やっぱ軽いのは嫌なんだ?」
「重いとか軽いとかって話でもないと思うんだよね。そんなどうでもいいことをなんで気にしなくちゃいけねぇんだろうって思う」
「なんでどうでもいいことだって思うの?」
「だって、どうせ別れるじゃん。性欲をもとに動いたって」
「そうかな。体の繋がりから絆が育まれるってことも、あると思うけど」
「滅多にないことだし、それを望んで体を重ねてもろくなことないと思うよ。それに、男は失うもの少ないけど、女はそうじゃないだろ?」
「あ、そういう気持ちはあるんだ? やっぱり処女がいいとか、あるの?」
「そういうのはない。でもさ、ヤるだけヤって捨てられたら、嫌だろ? はいおしまい、は、女は嫌なんだろ? 普通」
「人によると思うけど、私は嫌だな。そういう男とは関わりたくない」
「つまり君は、今後の自分の人生のための経験として、そういうことをしておきたい、と思うわけだ」
「まぁ、そうだね。みんながいいっていうものは、それだけの理由があると思うし」
「だから髪も染めてるし、ピアスもつけてる」
「そうだね。でも自分が好きだっていうのもあるよ。発見もある。人に影響されるのも悪くない。はじめて髪染めるときはめっちゃ緊張したし、変に思われたらどうしようとかってぐじぐじ悩んだけど、実際は別にそんな変わったことはなくて、自意識過剰になってたんだって分かったし。そんな、みんな私に注目してるわけじゃないって、そう思った。そういうのも、経験だし、やってみないと分からないことだったから」
「だから、恋人っていうのにも、興味がある、と」
「いや、私は何回か男の人と付き合ったことあるし、一通りのことは経験してるよ」
「それじゃあなんで?」
「なんか鈍くない? これ言わなくちゃいけないの?」
「分からない。僕は女性から好かれた経験が何度かあるし、それについては察する能力がある方だと思ってる。君からはそれが感じられないんだよ。君が僕のことを好ましく思っているように、僕には思えない」
「いやそれは決めつけでしょ」
「いや、君が君の気持ちを決めつけているんじゃないか? 僕が思うに、君は僕のことを友達として好意的に思っているが、異性としては何とも思ってないはずだ」
「それは君自身が私に対してそうだから、そうだと思いたいだけなんじゃないの?」
「いやそんなはずは……いや、ちょっと待ってほしい」
 僕は少し目をつぶって、思考を止める。推論を立ち止まらせることは、大事だ。確かに彼女の言うことには一理ある。
「まず、分からないことがいくつかあるから、聞いてもいいかい?」
「いいよ」
「君は、少しも緊張していない」
「そうだね」
「普通、意中の相手と言葉を交わすとき、女性は、少しでもいい自分を見せようとすると思う。少なくとも、相手が自分のことを悪く思いそうなことを言うのは避けようとすると思う」
「今更そんなことやったって意味ないし、そもそも君は洞察力が高すぎるから、そういう馬鹿な男相手用の演技なんて全部無意味でしょ?」
「そうかな?」
「私はそうだと思っている。しかもこれから長く付き合っていくなら、そういう演技は自分の首絞めるだけでしょ。というか、もう半年も友達やってるんだから、信頼してるんだよ、君のこと。まだ分からないこともたくさんあるけど、君が絶対にしないことが何なのかは分かってるつもり」
「絶対にしないこと……」
「君はなんだかんだ、最後まで人と向き合おうとするからね。一方的に、嫌になったからといって人付き合いを切るような人じゃないし、好意的に何かを否定することもできる。私、君みたいな人は他に知らないし、だからこそ、付き合ったら面白いんじゃないかって思うの。っていうか、失礼を承知で言えば、君もちゃんと男なのかって、確かめたい」
「ほとんど興味本位じゃないか」
「でも恋愛って、そういうものじゃない? 興味本位から始まって、理解が深まって、その理解が絆になっていくんじゃないの?」
 彼女の目は真剣だった。僕は自分のおでこに手を当てて、少し考える。理屈は、確かに通っているように聞こえる。
「無責任なのは嫌いだ。興味本位で、取り返しのつかないことにはしたくない」
「怖いの?」
「それもある」
「へー。そこは正直なんだ」
「先のことの予測がつかないのは、不安だろう?」
「私、そういうのは慣れちゃったよ。けっこう行き当たりばったりに生きてきたから」
「僕だって、そうだ。自分の歩くはずだった道とは違う道を、いつの間にか歩いていた」
 少しの間会話が途切れる。
「一か月、お試しでどう?」
「分からない。ちょっと待ってくれ。ひとりで考えたいところだけど、多分ひとりで考えても答えは出ない。もう少し、話をしよう」
「うん。君の気が済むまで」
 僕は頭を抱える。少し考えを整理する。
「まず、僕自身の情報を開示しよう。僕は誰かのことを好きになったことがない。付き合いたい、と誰かに対して思ったこともない。抱きたい、と思ったこともない。想像すると、なんだか気持ちの悪い気分になる。それとは別に、体は反応する。それも、気持ち悪い。それを聞いて君はどう思う?」
「こんなこと言ったら、なんか勘違いされそうだけど、その、悪い意味じゃなくて、純粋に、それを聞いて自分がこう思ったってだけなんだけど……面白いなぁって思う。そういう人もいるんだなぁって」
「次に、君の話を聞くよ。君はそういうことについてどう思ってる?」
「私はあまり深く考えてない。付き合ってほしいって言われたら、その人と付き合って自分になんのメリットがあるか考えるし、そもそもその人のことを気持ち悪いって思ってるなら、論外。最低限一緒にいて楽しくないといけないし、一応別れたあとのことも考えてる。寝ることに関しては……まぁ成り行きに任せてるかな、私は。あまり深く考えても仕方ないって思ってる。そういうのって、ちょっと動物的なことだし、理性よりも本能に任せた方がうまく行くと思ってる」
「その本能が、多分僕は他の男共とは違う。女性に近いんじゃないかと今まで思っていたけれど、それも君の話を聞いている限りは、違うようだ」
「私がちょっと男っぽいっていうか、ドライなんだと思うよ。女子でも、君みたいに、そういう性的な事柄に対して反射的に気持ち悪いって思う友達、時々いるし」
「理屈が通らないんだ。僕は見ての通り男性の体を持っているし、心もそれに対して違和感は感じない。自分がいずれ生殖活動をすることに関しても、抵抗はない。ただ、子供を作るためではなく、快楽のために体を重ねるのが、どうにも気分が悪い。なんだか、不潔な感じがするんだ」
「快楽のためにっていう言い方が悪いんじゃないの? お互いのことをもっとよく知るために、とか」
「体を重ねるよりも、こうやって言葉を重ねた方がお互いのことはよくわかると思うんだ」
「それはまったく違うことなんじゃないの? 言葉を重ねないと分からないことを、体を重ねて分かるようにはならないだろうし、逆もまた然り、ってこと」
「なら逆に聞こう。君は、誰かと体を重ねた時、その人の何を知った?」
 彼女はそのとき初めて嫌そうな顔をした。
「昔の彼とのことはあまり思い出したくないな。目の前に……君がいるんだから、君自身とのことだけ考えていたい」
 僕は、迷った。もし理性に従うなら、それを彼女に問い詰めるべきだ。追求すべきだ。ここを避けてしまっては、きっと結論は出なくなる。
 反面、それは彼女を傷つけることになることを、僕は直感した。しかし……しかし……
「分かった。頑張って思い出すよ。そんな困ったような顔されちゃ、ね」
「ごめん」
「いや君は悪くないよ。でもこういう話をしたせいで断られるのは、ちょっときついな」
 もしかすると……彼女が話したくない理由は、本能的に、別の男との事実を語ることが、女としての自分の価値を下げてしまうことになると感じたからではないか? いや、そういう決めつけも、あまりよくない。
「前付き合ってた人とセックスしたとき、この人は本当に見栄っ張りなんだなって思った。なんか、普段結構……雑ってわけじゃないけど、不器用な感じで接してくるのに、その時だけは妙に優しいというか、愛情深く接してやろう、みたいな意識が感じられて、ちょっと嫌だった。いや、その、大切に扱われるのが嫌っていうんじゃなくて、その無理してる感じ? 演技している感じ? 自分がいい男だって思われたいがために、そういう風にしてるって、なんか分かっちゃって。それで、別れようって思った。
 そういうのは、体を重ねないと分からないことだと思う。その、いざという時に落ち着いていられないというか、変に無理して、相手のことを考えられなくなるところ、とか。
 ごめん、やっぱ嫌だよね、こういう話」
「反応には困るけれど、嫌ではないよ」
「嫌ではないって言われるのも、それはそれで私は嫌だ」
 見るからに不機嫌そうだ。
「何か追加で頼もうか」
「ポテトがいい」
「分かった」
 黙って、店員が来るのを待つ。Lサイズをひとつ頼んだ。
「あのさ、こういう話聞いて、私に対する印象変わった?」
「印象? 印象は分からないけれど、君への理解は深まったよ」
「これは、言葉を重ねないと分からないこと?」
「僕はそう思う」
 彼女はふっと目を落とし、息をついて、微笑んだ。そしてちらっとこちらを上目遣いで見つめて。
「私、やっぱり君が好きだ」
 僕は反射的に、笑って目を逸らしてしまう。額に手を当てる。自分の感情が、少し変だと思った。
「今、嬉しいと思ったでしょ?」
「不本意ながら」
「私、今、押せば行けると思ってる」
「分かった。分かったよ。付き合おうか。期限はいらないよ。どちらかが、もう嫌だと思ったら、それで終わり。でも僕は自分から無理して恋人らしく振る舞うとかできないから、その辺は君に任せる。リードとか期待されても、できないし、やる気もないから、それでもよければ」
「うんうん。それでいいよ。っていうかさ、君は普通に友達と出かけるとき、ちゃんと率先して計画立てるじゃん。そういうので十分だよ。特別なことは、いい。多分だけど、そのうちできるようになってるから」
「なんかしんどいなぁ……」
 そうつぶやいてから、ちょっと感じ悪いな、と思って言葉を付け足す。
「なんか単純に、感情を動かされるのに慣れてないのかもな」
「慣らしていこう」
「そうだね。正直、ちょっと迷惑だけど、僕みたいなのにはそれくらいでちょうどいいのかもな」
「いっぱい迷惑かけるんで、よろしくお願いしまーす」
 彼女はおどけて、笑う。ポテトが届いて、食べる。いつもの味だ。それもそうだ。
 ともあれまぁ、目の前で誰かが満足そうにしているのは、いいことだ。
 あまり深く考えても仕方ないこともあるんだろうな。

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