恥ずかしい思いをさせないために


 中学生の頃の話、若い歴史の先生が授業中の小話で「日本人は、かわいそうな人や立場の弱い人に同情して、肩入れする傾向があるよね。こういうのを『なんとかびいき』って言うんだけど、分かる人いる?」という質問をしたことがあった。
 私は自信満々手をあげて「判官(ほうがん)びいき、ですね!」と答えた。
 先生は首をかしげたあと「惜しい!」と言った。私はその時、「あ、この人判官を『はんがん』と読んでいるのだな」と察した。(それも間違ってはいないが、ほうがんも正しい)
 当然、みんなは私を笑ったし、私の顔は真っ赤になった。私はすぐに席について、大げさに手で顔をあおいで、あまり気にしていない風を装った。

 知識の有無で人の賢さは計れないし、私が笑われたのは、出しゃばったせい。だから別に、先生に腹を立てる必要はない。
 その時私は自分が大人だと思った。大目に見てやろうと思ったし、別にみんなすぐ忘れることだから、いいやと思った。
 説明するのもめんどくさかったし、それで大人に恥をかかせると、あとあと恨みを持たれる場合もあるから、それでよかった。

 私のプライドは、他からどう思われるかということより、私自身がどうであるかということの方を気にしていた。
 その時私は「怒りや正しさへの愛情を理由に教師と戦うこと」よりも「人に恥をかかせないために、身を引くこと」を選択した。そしてそれは、私のプライドを……多分、歪ませた。

 クラスメイト達はそれでまたひとつ愚かになったけれど、私の知ったことではない。本来それは、教師の側が自分で疑って訂正すべきことだった。もし私が教師ならそうするが、当然私は一生徒に過ぎない。
 もちろん、その場で私が教師と論を戦わせたところで、誰も得しない。私は余計恥ずかしい思いをするし、本来恥ずかしい思いをせずに済むはずの教師まで、恥ずかしくなる。


 確かに私の理屈は間違っていない。でも、こんなことを考える人間を、人は信用できるだろうか?
 私はそのときまたひとつ、何か大切なものを失ってしまったような気がしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?