ふつう②



「よお真鍋!」
「声でけぇよカス」
「まぁまぁ、この動画見てくれよ。めっちゃ面白くね?」
「ん? あぁそれか。俺も昨日見たわ」
「どこで一番笑った?」
「○○が叫びながらぶっとんでくところだな」
「やっぱそこだよな! マジで○○おもろい。めっちゃ好きだわ」
「おはよう真鍋。粕谷」
「おは、根城」
「おお根城! お前もこの動画見た?」
「見てない。どれ?」
「○○のチャンネルの最新のやつなんだけど、これがめっちゃ面白くて! な、真鍋?」
「はいはい。お、露木じゃん。よお露木!」
「真鍋、露木のこと大好きだよな」
「ん? そうか? なんでもいいけど動画はよ見てくれよ」
「おう」
 
 中学時代、好きだった女がいた。俺は彼女に「君みたいな女々しい人は元々好きじゃなかった」と言われ、こっぴどく振られた。彼女は高校生だった。友達の、姉だった。小学生のころからずっと好きだった。元々人見知りだった俺は、彼女欲しさのために、苦手なことを色々やった。告白するときなんて、もしだめだったらこの世の終わりだと思うくらい、悩んだ末に、一世一代の賭けに出るような形でやった。その必死さに同情してか、三カ月、ガキだった俺に付き合ってくれた。
 別れを切り出されたとき、俺は必死になって縋った。「一通りやって飽きた」と言われたときには、何を言われたのか分からなかった。思い出したくないが、思い出したくないからと言って思い出さずにいられるなら、苦労しない。それに、こんなこと誰にも言えないし。学校じゃ俺は能天気で馬鹿なキャラでやってたし、いかに自分の年上の彼女が美人で、性格がよくて、エロいか、友達に自慢してたから、自分がこっぴどく振られたなんて、言えるはずもなかった。もし聞かれたら「飽きたから振ってやった」と嘘をつくつもりだった。というか、実際にその嘘を通すために、大人しそうなクラスメイトの女に目をつけて、適当に優しくして、それっぽく告白したらオッケーしてもらえて、んで、友達にそれを自慢して。
 馬鹿なことをしているのは分かってた。元々俺はどちらかと言えば気が弱くて、内向的な性格だから、ひとりきりになったとき、自分の馬鹿さ加減というか、不誠実さというか、そういうのが嫌になる。でもだからと言って、ずっとこういうキャラでやってきたんだから、今更変えられるわけじゃないし、そもそも、そういう陰気で女々しい自分を彼女に見せたせいで振られたのだから、そういうのはガキのころに卒業してしかるべきなのだ。男は、男らしく。そうじゃないと、情けないことになる。人に言えないような恥ずかしい過去ばっかり抱えて生きることになる。男は多少馬鹿で、向こう見ずで、恥知らずなくらいがいい。周りの目なんてあまり気にせず、馬鹿騒ぎしているくらいでいい。馬鹿に見えるくらいでいい。いつも馬鹿で、時々真面目な面を見せた方がモテるし、友達も尊敬してくれる。いつも真面目ぶったやつはモテないし、周りからもノリが悪いやつとしてみなされる。何もいいことがない。

「ねぇ真鍋君。聞きたいことあるんだけど、昼休みいい?」
 三時限目が終わった後、右斜め後ろの席の女子が声をかけてきた。
「あぁ、いいぜ」
「うちら今日中庭でご飯食べるつもりなんだけど、あ、他の男子は呼ばないでね?」
 一瞬、何か嫌がらせされるかもしれない、と勘繰った。
「おいおい。なんか怖いこと考えてるんじゃないよな?」
「あはは。違う違う。えっと……」
 その子はきょろきょろとあたりを見渡した後、俺の耳元に顔を近づけて、囁く。
「ちょっと露木君のことで……」
「あぁなるほどね。おっけおっけ。昼休み、先中庭行って待っとくわ」
「ありがとありがと。真鍋君はなんだかんだ優しいよね。馬鹿だけど」
「おうおう。褒めるか貶すかどっちかにしとけや」

 高校に入ってからも、同じキャラで通した。すぐにクラスの皆とは仲良くなれたし、馬鹿にされることは多いが、別にそれも親しみの証だと考えれば悪いことじゃない。あと、誰に、ということは知られると相手に迷惑がかかるから言っていないが、文化祭の時に仲良くなった子に一度告られてるから、モテてないわけでもない。まぁ最初の方にちょっとしくじって、クラス内の女子からの好感度はあんまり今はよくないかもしれないが。

「真鍋君、あーんしてあげる」
「マジ? やったぜ」
 馬鹿正直に口を開ける。大げさに、箸で挟まれた卵にかぶりつこうとすると、その女子は楽しそうにそれを引っ込めて、自分で食べた。周りの女子はくすくす笑う。俺は片方だけ眉を挙げて肩をすくめる。
「ま、そんなおいしい話はないよな」
「ごめんごめん。ほら、グリーンピースあげるよ」
「由香それ嫌いなやつじゃん」
「私もピーマン真鍋君にあげよう」
「俺好き嫌いないから全然いいぜ」
「残飯処理真鍋かっくいい~」
「もうちょっとかっこいい二つ名つけてくれん?」
 彼女らは互いに顔を見合わせて、くすくす笑う。こうやってからかわれるのは、まぁ悪くはない。役得、と言ってもいい。
「それでさ、露木君のことで聞きたいんだけど」
「おう、いいぜ」
「単刀直入に聞くけど、露木君って今好きな人とかいるん?」
「断言できる。いない。つーかあいつもしかしたら……」
 ゲイかもしれん、と言おうとしてやめた。この中に露木のことが好きな子がいたら、それを言うのはあまりにも空気が読めていないことだからだ。
「もしかしたら、あれかもしれん。二次元とかにしか興味ないタイプかもしれん」
「あー。隠れオタクってこと?」
「露木君ってでも、あんまりオタクっぽくなくない?」
「いや、だから隠れなんでしょ?」
「前、ノートに結構うまいラクガキ書いてたよ」
「え、美少女キャラとか?」
「ううん。猫」
「あー! っぽい! 確かに露木君猫の落書きとかしてそー」
「真鍋っちは落書きするときどんなん書くの?」
「ん? 俺、絵下手だから偉人に髭描いたり眉毛繋げたりとかそんなもんだぜ?」
「それ由香もやるよね?」
「やるやる。髪伸ばしたりとか! 逆にみんなやらんの?」
「馬鹿っぽくない?」
「まぁ馬鹿は隠しても仕方ないからねぇ。真鍋君馬鹿同士仲よくしようぜ」
「おう。馬鹿同盟だ」
「ねぇねぇ。露木君の話に戻していい?」
「あぁすまんすまん」
「じゃあさ、普通に、男子としての意見を聞きたいんだけど、露木君って好きってわけではないけど別に嫌いでもない女の子に告白されたら、どうすると思う?」
「あー……」
 まず間違いなく、あいつは断ると思う。でもそれを正直に言っても……
「分からんなぁ。まぁ、男なら、女子に告られて嫌だと思うやつはいないんじゃない? オッケーするかどうかは分からん」
「ちなみに真鍋君自身はどう?」
「俺? んー。その子の顔と性格次第だと思う」
「こんなかだと、誰が好み?」
「おいおい。それ聞いちゃう? そんなんさすがに正直に言えるわけないじゃん」
 と言いつつ、それぞれの顔を見て、表情を観察する。楽しそうな顔、不安そうな顔、興味なさそうな顔、複雑そうな顔。分かるようで、分からない。ノリでそういう話を振ってきているのか、それとも俺に気がある子がいるのか。
「やっぱ佐々木さんみたいな子が好みなんだ?」
「いやその話はやめてくれよ。俺だって失敗したなって思ってんだから」
「逆に何で真鍋君は、佐々木さんのこと好きになったの? っていうか、あの謎の告白ブーム、真鍋君が火付けたんでしょ?」
 なるほど、それが本題か、と思った。
「いや、それが本題ってわけじゃないんだけど、やっぱ気になるじゃん? みんな聞かないしさ。そのつもりはなかったんだけど、せっかくだから?」
 こういう察しの良さは、まさに女子特有だな、と思った。
「それどこまで信用してもいいの?」
 そう問われて、黙って悲しそうな表情をするところ、も。嘘であっても本当であっても、同じような表情をして、本心を分からなくする。いや、本人にさえ、それは分かっていないのかもしれない。ま、結局、男としては、騙されてやるしかないんだ。
「ごめんごめん。冗談冗談。まぁ俺も、弁明するいい機会だから、正直に語るわ」

 佐々木亜紀について。クラスの男子たちが集まって女子の顔の品評会をするのは、まぁどこでも見る景色だ。最初のそれで、佐々木亜紀がクラス一の美人であることに、皆が同意した。それは俺が言い始めたことではなくて……誰が言い始めたことかは分からないが、気づいたらそういうことになっていた。その子と同じ中学のやつはいなかったから、他クラスから探し出して、そいつの話を聞いたりもした。男ってのは馬鹿だから、とりあえずかわいい子のことは気になるのだ。
 別にお堅い感じでもなくて、中学時代付き合ってた男もいたと聞いて、俺たちはそれぞれチャンスあるかもな、と思い始めるわけだ。誰から行くか、みたいな話はさすがにしなかった。そもそも告白っていうことも自体も、結構勇気のいることだし、ある程度本気で好きじゃないと、しないのが普通、っていうのも間違ってない。
 佐々木亜紀の厄介なところは、あいつが自分から男に話しかけに行くところだ。しかも二人きりになって、結構突っ込んだ話をしようとしてくる。なんでそんなことになったのかは覚えていないんだが、五月ごろ、俺が部活の先生にしょうもないことで放課後説教受けることになった日の帰り道(俺は普段友達と一緒に帰るから、そういう時しかひとりきりで帰ることにはならないんだ)佐々木亜紀もなぜか居残りしてたらしく、二人で並んで帰ることになったんだ。
「真鍋君って、結構クラスで目立ってるよね」
「目立とうとしてるわけじゃないけどな。でもそれを言ったら、佐々木さんだってそうだろ?」
「美人だから?」
「あ、それ自分で言っちゃう系の人なんだ」
「ダメ?」
「いや? 別にいいと思う」
「真鍋君って、意外とあれだね。なんていうんだろう? 実は普段、無理して明るいキャラ演じてる?」
「は?」
「いや違ってたらごめんなんだけど、なんか教室と今、雰囲気違うなと思って」
「いや、先生から怒られた帰りだから、ちょっとテンション下がってるだけ」
「あ、そうなんだ。じゃあ私、失礼なこと言っちゃったね。ごめん」
 距離が近い、と思った。付き合ってもいないのに、歩くたびにぶらぶら揺れる手が、ぶつかる。俺は別に気にならなかったが、なぜこの子がそれを気にしないのかよく分からかったし、わざとやっていると考える方が自然な気がした。
「真鍋君、中学時代結構モテたでしょ」
「まぁな」
「何人くらいと付き合ってた?」
「四人。浮気とかじゃなくて、ちゃんと毎回別れてからだけど」
「やっぱ意外と真面目なんだ」
「真面目っていうか、それが普通だろ」
「いやでも、普段めっちゃチャラチャラしてるじゃん? そのギャップっていうか?」
 なんだか俺は、その見透かしたような物言いに腹が立ってきていた。
「逆に、佐々木さんは意外と変な性格してるんだな。普段大人しい顔してんのに」
「ん? でもみんなそうじゃない? 女の子なんて、みんなそうでしょ」
「俺の知るかぎりだと、そうじゃない」
「騙されてるんだよ」
 なんだか、今まで自分が付き合ってた子の悪口を言われたみたいな気になって、さらに腹が立った。しかも俺が腹を立ててることを、佐々木は楽しんでいる様子だった。
「なんなんお前? そんなに俺の気が引きたいん?」
「え?」
 とぼけられたら、何も言えなくなる。ちょっと考えるそぶりを見せたのち、笑って、しかもちょっとかがんで、上目遣いに、あいつはこう言った。
「まぁ、せっかく高校生になったんだから、一度モテ期っていうのを味わってみたいかな、とは思ってる」
「そうか。じゃあ付き合ってください」
「え?」
「佐々木さん美人だし、付き合ってたらそれだけで自慢になるから」
「あー。ごめん。そういうんじゃないんだ」
「知ってる。じゃあな。バイバイ」
 柄にもなく、ものすごく腹が立っていた。からかわれるのは慣れていたが、そういう自己中心的な感じが、無理だった。

 まぁそっから説明するのはちょっと難しいんだが……何というか、俺が雑に告白した時、佐々木は確かに嫌そうな顔をしていたから、お望み通り、そういうのを何度も味合わせてやれば、ちょっとした復讐になるかな、と思ったんだよ。性格悪いかもしれんけど……いやまぁ、自分でもなんでそんなことしたのか、よく分かんねぇんだけど。でもそれで、他の馬鹿な男子そそのかして、その結果誰か馬鹿なやつと付き合い始めたら、そのことを別の機会に馬鹿にしてやろうとも思ってた。
 でもそういうことが、他の女子たちの機嫌を損ねるとかは思ってなくて、悪いことしたなぁって思ってる。なんか普通に申し訳ないというか。

「あぁそういうことだったんだ」
「佐々木さん、そういうところあるよね。私も前にひとりで帰ってるとき話しかけられて、なんか変なこと言われた。あんまり覚えてないけど」
「かわいくて運動もできるから、何やっても許されると思ってるんでしょ」
「まぁまぁ。でもそれだったら、なんかうちら真鍋君の悪口言ってたの、申し訳なかったかもね」
「ねー。まぁやり方はあんまりよくなかったかもしれないけど、正直気持ちは分かるっていうか」
「っていうか、モテたい子をモテさせてあげただけなら、別に真鍋君何も悪いことしてなくない?」
「確かに」
「まぁ佐々木ちゃんも別に、悪いことしたわけじゃないけど……でもちょっと失礼だよね」
「うん。男心もてあそぶ、みたいな。悪女だ悪女」
「まぁあんまり関わらないようにすればいいんだよ」
「でも巻き込まれた男子たちもかわいそう」
「でも露木君みたいに、拒否できる人だっているんだから、そうしないのが悪くない?」
「まぁそうだけど……」

 女は怖い生き物だと、思う。俺は別に嘘をついたわけじゃない。でも俺が、佐々木亜紀に腹を立てた理由は、あえて言わなかった。というか……実のところ俺は、佐々木亜紀のことが、本気で好きになっていた。実際は、結構しつこく好きだと言った。中学時代の悪い癖が、出てきてたわけだ。女々しくて、内気で。しつこくて。だから、それを見抜かれたのも腹が立ったし、そのことで色々と……俺も不安定になっていた。だから、他の男たちも俺と同じようなことをしたなら、俺のやったことは俺自身の何か……間違いや弱さではなくなるし、そもそも俺が振られたのだって、俺が弱くてかっこ悪いから振られたんじゃなくて、佐々木亜紀が、そんじゃそこらの男にはなびかない女だったからだと証明できれば、俺のプライドだって守られる。実際、そうなった。露木以外のやつ全員が告っても、佐々木は全部切って捨てた。だから俺が振られたのだって、俺が弱かったからじゃない。
 そんなこと、あの子らに言えるわけない。うまく隠して、本当のことを言えたと思う。そのあと彼女らが佐々木のことを好き放題言い始めたことは知らないけれど、まぁ何というか、うまく弁明できたと思う。

「おい真鍋」
「え?」
 後ろから、露木に話しかけられて俺は驚いた。こいつから俺に話しかけることなんて、今までほとんどなかったからだ。
「考え事なんて珍しいな」
「いや、お前が話しかけてくる方が珍しいわ」
「まぁ、俺も、今までちょっと冷たかったなって思ってるんだ」
「え、えー……お前、そういうキャラじゃないだろ」
「キャラとか知らんわ。それでお前、何を悩んでたん?」
「別に大したことじゃねぇよ」
 こいつは妙に察しのいいところがある。前だって、俺の隠していることを、あいまいにだが、言い当てた。
「俺、お前のことあんまり好きじゃないっていうか、むしろどっちかっていうと嫌いだけど、なんか相談したいことがあったら聞くよ」
「何お前。なんか変な番組に影響された? あれか? 普段明るく振舞うやつほど、闇が深いみたいな話? 俺そんなんじゃねぇぞ」
「そういう話は知らんが、お前には悩みがあるだろ。どう見ても。それに前、言ってたじゃん。『お前は人の秘密や噂を絶対に他のやつに言わない』って。お前がそういうこと言うってことは、実は俺にそういう話がしたいのかもなって思って」
「きも。なんでお前そんな俺が適当に言ったこと覚えてんの」
「適当じゃなかっただろ。少なくとも俺には、適当には聞こえなかった」
「俺は忘れてたぞ」
「お前は馬鹿だからな」
「ムカつく。まぁ、そうだな……まぁそういうところが、お前のいいところなんだろうな。頭が良くて、正直で。あとまぁ、誠実で優しいところも? 女々しいくせに、ちゃんと筋が通ってるところとか」
「で、どうなんだ?」
「悩みか? 言わんよ。言ったって何も変わらん。終わったことだし、変えたいとも思ってない。お前には関係ないしな」
「ならいいよ。余計なお世話だったな」
「まぁでも、なんか新しくめんどくさい悩みができたら、遠慮なくお前を巻き込むから、その時はヨロ」
「あぁ」

 露木はいいやつだ。最初のころは、昔の自分みたいだと思ったが、すぐにそれが勘違いであると気づいた。あいつは、他のやつらとは違う。自分の世界をちゃんと持ってる。自分の頭で考えて、判断してる。あいつといると落ち着くというのは、本当のことだ。本当は、あいつみたいなやつとだけ友達でいられたら、楽だろうなと思う。そんなに無理してキャラを演じる必要もないし、演じたくなった時に演じたって、それで何か変だと思われることもない。あいつはそもそも人のことを変だとか変じゃないとか思わないやつなんだ。周りの人間のことを基本どうでもいいと思ってるやつなんだ。佐々木亜紀にもそういうところがある。俺は結局……そういう自己中心的なところに、憧れてるのかもしれない。
 昔好きだったあの人も、そういう人だった。そういう人だったから、別れる時「女々しい人は嫌だ」とはっきり言って、突き放したんだと思う。

 でも今更、この生き方を変えられるわけない。

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