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物理法則を信じるおしゃべり

友里「なあお前ら。物理法則信じてる?」
海「物理最高! 人間は嘘をつくけど物理は嘘をつかない!」
珠美「物理覚えること少なくて楽」
真子「高校レベルなら、数学さえちゃんとできてればほぼ自動的にできるからほんと楽だよな」
友里「いや、そういう話じゃなくて、物理法則が私たちの生活を支配しているっていう命題に関して、どのように付き合ってるかって話」
海「てめぇそりゃぁ、てやんでい! だよ」
友里「いやごめん海。真面目に答えてくれ」
海「えっとねぇ。私たち現代人で、物理をある程度知っている人は、とりあえずは物理っていうものが『正しい』ものであることを理解してると思うよ。でもその『正しい』に関する感覚に関しては、人それぞれ異なると思う。たとえばね。
1.他の人がみんな物理を正しいと言うから、私も物理が正しいと思う。
2.数学と同じように、物理の法則は筋が通っていて、矛盾が見当たらない。だから物理は正しい。
3.物理の法則が正しいと言われているが、それは疑わしいものであったため、実際に色々な実験をして確かめてみた。その結果、やはり物理の法則は正しく、私の知る限り一切の例外が見当たらない。
 いやまぁもちろん、量子論と相対性理論の矛盾とかは、今の物理が抱える大問題で、多分そのうち解決されるけど、今のところはそれがある限り『正しい』わけではないんだけど……ただ『正しさに近い』『確からしい』と言えるのは、本当だね。
そういうわけで、物理を信じる信じないとか言っても、その過程も違えば態度も違うんだ。皆さまは何番?」
真子「意義あり。1はまず論外だろ? で、私たちは2か3のわけだが、その『実験と観察』はどの程度のことを言うんだ? だってそうだろ? 私たちは誰しも、相対性理論を自分の作った実験場で試したわけじゃない。私たちは相対性理論を信じているが、それは人から聞いた話をもとに信じている。『それは実際に確かめられたことであり、それが実際に使われているからこそ、君たちの知っているたくさんの技術に応用されて、その恩恵を君たちは受けている』という他の人の話を信じて、私たちは相対性理論を信じている。実際それは、矛盾のない、理解しやすい、正しい理屈のように感じられる。
他の人が信じているからではなく、他の人の説明がもっともらしく、私たちを説得したから、だろう? もちろん、その人の発言が、自分の経験や見た景色とどの程度整合性があるかと言う意味で、私たちは個人的に実験と観察を行って、どうやらその理屈は正しいらしいということを、確定させている。ロケットを飛ばすときの計算の式とか見せてもらって、な。
 でもそれは、3でいう純粋な物理的実験とは異なる、あまりにも不確かな推論が入り込むものだろう? それは区別できるものなのか? 区別できるなら、もれなく私たちは2に属することになるぞ」
珠美「ちょ、ちょ。いきなり難しい話なってるんだけど。ついていくのきっついんだけど!」
海「私も理解できてるか怪しいから、確認がてらちょっと言い換えてみるね。
 相対性理論などの物理法則は、私たちの個人的な感覚とは異なることを言っているよね。実際にそれを確かめるには、大きな実験をしなくちゃいけなくて、私たちはその実験が間違いないようにひとつひとつ確かめたうえで、やったことがあるわけじゃない。それは、他の人がそういうことをやった記録を見て、そういうことが確かに示された、と言う事実を、私たちは事実だと思うことによって、信じているわけじゃんか?
 モノホンの物理学者ですら、結構そういうことがあるわけじゃんか。だとすれば、理屈として整合性と、現実としての整合性の、その間に個人的な態度において、どの差があるんだろう、って話でしょ?」
真子「まぁ大体そんな感じ」
友里「んまぁつまり、認識における整合性の確保こそが、私たちの物理信仰を支えているってこと?」
真子「そうとも言えるな。要は私たちが見て取った社会の豊かさと、その物理学的な常識がしっかり重なっていることを見て取って、それに対する反論が少ないか、あるいは、その反論自体がさらに不確かなものであるように私たちの目に見え、そう思われるから、そちらの方に与している。と、そういうわけ」
海「うーん。確かに。みんなが『正しい』って言うことのうち、ほとんどは私たち信じていないから、1ではないわけだしね。常識とか『女の子はこう』とか、そういうのは全部馬鹿馬鹿しいし、嘘ばっかりだって分かってるけど、物理に関しては、その正しさを承認してる」
珠美「承認するしかないじゃんだって。医学とかも基本は物理学的な方法論に基づいているし、基づいていなきゃいけないものとして今も進歩してるからね。物理を疑ったら、私たちはもうあらゆる学問とその知識を信じられなくなっちゃう」
海「でも数学は疑わしいんじゃない?」
友里「数学はそもそも独自の世界でやってるじゃん。もちろん、現実世界と重なる部分は大いにあるけど、あくまで、数学が現実の『もの』について言い現わした瞬間に、それは物理学っていう名前に変わるから……いやもちろん、その境界はあいまいだけど、さ」
真子「境界があるとすると、実験が可能かどうかだろうな」
海「でもコンピュータ技術が発展してからは、そういう数学の仮説もまたコンピュータ上で再現して実験可能になることが増えている。というか数学は、その正しさを私たちの頭の中でこれまで確かめられてきて、コンピュータという『別形式の脳』でもそれが再現できるなら、その論理空間におけるその論理は正しい、ということが示されるわけだ」
珠美「頭痛くなってきた」
友里「まぁもうちょっと頑張ろうぜ。ともあれ元々物理は数学の派生だ。物理が数学の一分野として見るのが正しくて、同時に物理は数学という土台の上に立っているから、あらゆる数学の論理を物理に持ち込んで応用することができる。んで、私たちは数学というものについては、信じる信じない以前の問題だ。それは、脳の中で確かめられることだから、そこで確かめられたことは、確かに『承認』できる。それは、反駁不可能であるからだ。おっけ?」
真子「数学の原理や定理は反駁不可能であるってこと?」
友里「自分で確かめて、一切の隙がないと感じられたら、な」
海「先っちょのことの方は知らないけど、私たちが学んでいるような基礎の部分に関しては、まぁ間違っているとは思えないよね。それに信じるというより、仕方なく承認するというのが正しい気がする。だって反論できないんだから」
珠美「数学ってすげー」
真子「確かにな」
友里「でも、物理になった瞬間にそういう『反駁不可能性』は崩れる。どうしても、その理屈が『現実との整合性』に結びついている以上、たとえばその物理法則に反するような観察結果が得られた場合、私たちはその物理法則に疑いを持つ。反証可能なものが反証された場合、私たちはもうそれを信用することができない。おっけ?」
海「至極当然ですな」
真子「矛盾だらけとは言えないけど、そういうことって少ならず現代でもあるってことは知ってる」
友里「普通宗教や、あるいは社会学とか経済学とかその辺の『非物理的学問』は、そういう現実との整合性の矛盾を、見逃す傾向にある。そういうのに対して反射的に不安を感じて、それを追及して、正しくしようと試みるそもそもの性質自体が、物理学ほどあるわけじゃない。物理学者は皆、観察結果と法則との間に整合性がとれない場合、両方を疑い、それらを合致させるあらたな法則を見つけ出そうとする。だからそういう意味で、物理学は、他の学問よりも信頼に値する。私はこう考えている」
珠美「でも医学とかって、結局患者さんが治ることが第一だから、かなりそういう不確かさや矛盾が見過ごされること多いけど、でも世間一般にはけっこう信用されているよ?」
海「医学は、物理みたいな『完璧さ』を求める必要がないからね。『確からしい』で十分だからね」
友里「でも私時々思うんだ。『確からしい』を求める学問と『反証可能性の中で反証されないもの』を求める学問って、同じ『科学』に分類されるの、おかしいんじゃないのって。私は確かに物理学的手法や、物理学的な学説が、最終的には人間には完ぺきだと思えるほどに発展することを信じているし、いつか物理学自体が数学みたいな体系になるとも思ってる。もうそれは信仰に近いと言ってもいい。
 でもだからと言って、現代において『科学』と呼ばれている全てのものを信仰する気にはなれない。現実との整合性がとれてなくても、一回二回の実験で、どちらかと言えばその学説に有利な結果が得られたら実利的な観点でもって『とりあえずはそれでよし』とするような学問は、物理学のような学問と混同されてはならないと思う」
真子「そりゃそうだけど、でもそもそも、そういう不確かさを許容する学問って、物理の上に建てられてるじゃん。数学の上に物理が立ってるみたいに、さ。
 物理的な法則に矛盾しているのはNGだし、その学問の目的に根差したやり方で、その学問も追及されてるんだろ? うーん。確かさという点では確かに物理の方が尊重されるべきだけど、実際の役に立つのはそういう派生的な学問だから……」
友里「まぁ何も、医学とか社会学とかがぞんざいに扱われていいとは思ってないよ。でも、信じる信じないという点では、物理を信じたからと言って、その上に立っているものをまるごと信じていることにはならない、と主張したい」
海「そりゃそうでしょうよ。でも多分さ、物理学者とか数学者、及び物理や数学の信奉者って、工学とか化学とか医学とかやっている人にそういう話をして嫌がられることめっちゃ多そう」
珠美「それは分かる」
友里「でもそれが実態に即しているんだから仕方なくない?」
海「という私が思うに、物理学者や数学者って、その他の科学的とされる学問の学者たちが、十分に物理や数学の知識や、その方法論を理解していないのに対して我慢ならないんじゃないかなって思う。でも反対に、医学には医学のポリシーがあるし、他の分野もだいたいそうだし、そういうポリシーを理解せず、自分たちの土俵でばかり語ろうとする物理学者や数学者は彼らからしても腹立たしいんじゃないかなって」
真子「なんか子供の喧嘩みたいだな」
友里「そういう意味ではあれだよな。蔑まれつつも、誰とも喧嘩しない哲学ってすごいよな」
海「もはや正しさを放棄した学問……」
真子「人類の歴史の過ちに対してあーだこーだいうだけの学問」
珠美「みんな! フィロソフィーちゃんを悪く言わないで!」
友里「っていうか今私たちがやっているような、物理学や数学、医学やら何やらを、外から眺めて『こうだよなぁ』とか『あぁだよなぁ』とか『でもでもだって』とか言い続けて、少しでも自分たちにとって心地よい認識にたどり着くのが、フィロソフィーの目的だからな。もうすでにそこにたどり着いてる専門家の人たちとは違う」
海「まぁ楽しければそれでよし、ですよ」
珠美「それな!」

 哀愁漂うフィロソフィーちゃんの絵

イラスト3


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