低身長コンプレックス


 身長が低いということは、男としてそれだけで致命的なことだった。
 大学に入っても、人が俺を見る目は大して変わらなかった。男なのに、普通の女と同じかちょっと低いくらいの身長。「何かの病気ですか」と冗談半分に聞かれたことも、まだ記憶に新しい。
 単なる遺伝ですよと笑って流したけれど、あの時はさすがにぶん殴ってやりたくなった。

 何もしなくても馬鹿にされる。下に見られる。笑われる。
 普通の慎重なら、馬鹿にされたり下に見られたり笑われたりしたら怒ってもいいし、怒らないにしても、その悔しさをバネに何かに一生懸命になったりできる。
 実際、高校時代、身長が並の友達は、彼女がいないということを人から馬鹿にされたから、そのことで悔しがって努力し、部活で結果を残した。それでモテるようになったわけではないが、彼自身は満足しているようだった。
 俺はそれが羨ましかった。俺は馬鹿にされたり下に見られたりすることに慣れ切ってしまって、もはやそういう反骨精神は失ってしまっていたから。

 皆少し大人になって、「チビ」という悪口を言う人がなくなったとしても、ほとんどの人は心の中で俺のことを小さいと思っている。それは、事実なのだから仕方のないことだ。そして、背が低ければ力が弱く、普通頭も弱い。俺の場合、頭の方はそこそこだったが、自分の方が上だと思っていた並程度の学力の奴が悔しがって余計の俺のことを馬鹿にしたりするから、そのことで何か得だと思ったこともない。

 別に運命や遺伝子に文句を言うつもりはないが、しかし身長が低いことの不都合と、俺の気持ちを「コンプレックス」という言葉で表してほしくない。これはもっと現実的な問題……社会的な偏見、いや生物的な偏見が原因であり、俺の気持ちの問題ではない。「身長が低い奴は、劣っている」という直感自体が悪いのだ。しかし、人間に予め備わっている直感を悪くいったところで何にもならない。改善不可能だし、諦めるしかない。
 だからこそ、ずっと馬鹿にされ続けなくてはならない人間の気持ちを、「気の持ちよう」なんて言わないでほしい。普通の人が持っているような自尊心を保つことがどれだけ難しいか、連中には少しも分からないのだろう。

「はー。なんでこんなチビにも彼女がいるのに、俺にはできないんだろ」
 いちいち馬鹿にされるのにももう慣れて、友人のくだらない独り言にも笑って返すことができる。でも本当は……こういうのは、おかしいことなのだ。
「ま、お前にもそのうちできるだろ」
 別に身長で大きく人間の価値が決まるわけじゃない。第一印象や見た目だけで人を判断しない人間もたくさんいるし、不利な部分は別の個所でカバーすればいい。もちろん、それは正論だ。
「でも、自分より背の低い男と付き合える女の気持ち全然分かんねぇよ。俺」
「だからモテないんだよ」
「は?」
 ことあるごとに、上から睨んできて威圧してくる。自分の方が上だと思っている、馬鹿。でも根は悪い奴じゃない。暴力は振るわないし、人に媚びたりしない。誰に対しても公平であろうと努力している。だから、それくらいのことでいちいち怒ったりしない。
 俺は目を逸らして、背を向ける。
「あのな、俺もよく知ってるわけじゃねぇんだが、女っていうのは俺たちが思っているよりずっと先のことを考えてるんだ」
「ん?」
「だから、この人と付き合って、自分はどんな思いをするだろう、って。そう想像してるんだよ。『付き合いたい』とか『好き』とか、実はそんな単純じゃなくて、その先で楽しいか、辛いことはないか、そんなことを考えながら男を選んでる。彼女たちは俺たちほど馬鹿じゃねぇんだ」
「ふーん。俺はかわいければ何でもいいけどな」
「かわいい子ほど、男を選ぶ余裕があるんだぞ」
「だから俺は、なんでお前が選ばれたのか分かんねぇんだよ」
「物分かり悪いなお前」
「まぁ、お前優しいもんな。それは認める。やられてもやり返さないし」
「力が弱いからな。喧嘩に勝ったことなんて一度もないし、歯向かっても泣かされて終わるだけなら、腹が立っても何でもないような顔していた方がいい」
「女って、そういうずる賢い奴を好きになるのか」
「普通に賢いって言ってくれ」
「はいはい賢い賢い」

 自分が精神的な優位を保とうとしているのは分かってる。もし殴り合いになったら、俺は絶対に勝てない。だからこそ、俺は自分がいつでも冷静であるかのように演じているだけだ。熱くなったら、自分の身が危ない。だからいつでも冷静に、場をコントロールできるくらい、最低限の存在感を保っていなくてはならない。

 もし身長が低くなければ、と何度も考えてきた。そしたら俺はもっと自由で穏やかに、色んなことを気にせずに生きられたことだろう。何か腹立たしいことがあれば、謝罪を要求することができただろうし、こんな風に必要以上に賢ぶる必要もなかった。

「もしユウ君の身長が普通だったら、ユウ君はこんなに私に優しくしてくれなかったんじゃない? それなら私、ユウ君が私より小さくてよかったと思うよ」

 前にベッドの上で恋人が言ってくれたことを思い出した。俺はその時だけは、これでよかったんだと思えた。

 でも、恋人に慰めてもらわなければ自分を認められないという事実が、俺は情けない。それにたとえ恋人が身長の低い自分を好きだと言ってくれても、周りの人間はやっぱり俺の身長を嘲笑い、かわいそうだと同情する。
 俺は死ぬまでずっとこれを抱えていないといけないのだろう。いや……年をとれば、皆そういうことを気にしなくなるかもしれない。年をとればとるほど、男は若者に力も見た目もかなわなくなるから、そうなれば、俺も人から馬鹿にされることが少なくなるだろう。
 早く老いたいなどと考えたくないのに、そう思うことがひとつの慰めとなってしまう。その現状に、少しだけ腹が立った。


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