弱い者イジメの正当性②(頓挫)

本編2

 誰かをイジメるうえで忘れてはならないのは「イジメられそうな子」や「悪目立ちしている子」に狙いをつけてはいけない、ということだ。「気持ち悪い子」や「性格の悪い子」もダメだ。教師たちは、そういう子たちに対して「イジメられそうな子」という偏見を持っているから、もしそういうことがあったらすぐにバレるのだ。なぜそんなことが分かるのかと問われれば、色んな本を読んでそうなんじゃないかと思ったのもそうだし、実際に小学三年生の時、私じゃない別の人がやっていたイジメがバレて、それがめちゃくちゃ大きな問題として学校中を騒がせたことがあったからだ。その子は発達障害の子だった。発達障害の子や、人種の違う子、目立つような身体的特徴を持った子をイジメるのは、あまりにもリスキーであり、馬鹿のやることだ。
 狙いをつけるべきは、大人しくて、人見知りで、すぐ人のことを好きになり、頭のよさは人並みか少し悪いくらいで、他人の悪意を全く理解できないくらいに、善良な子だ。友達が少なければなおいい。あ、あと、親友みたいなのがひとりでもいる子はやめておいた方がいい。

 あぁそうだ。こういうことを言うと、私のことを悪人だと思う人がいるかもしれない。性格が歪んでいて、闇を抱えているから、こういう人とは関わりたくないと思う人は多いかもしれない。はっきり言おう、そういう風に思う人は、実際に私に会うと、決して私は拒まないし、拒めない。それは君らの性質なのだ。生物的性質、と言ってもいいかもしれない。君らは色々理屈をこねくり回して、私のことを「悪いやつではない」と思おうとする。だってそうじゃないか。私はあなた方に狙いをつけたりはしない。私のことを悪人だと思うかもしれない人間には、私は親切に接するし、気が乗れば、その人のためにプレゼントをしたり、親切にしたり、恋愛に協力したりすることもやぶさかではない。私はギブアンドテイクを尊重するし、相手が私のことを警戒するならば、私はその人のその警戒心を強さの表れとして受け入れ、その人と私は対等な存在であるものとして接する。私は、君らに似ているんだよ。少なくとも、私がイジメている子よりは、君たちに似ている。あの子らは、君らのように、人のことを悪く言ったり、傷つきたくないと思って誰かを拒絶したり、できないんだよ。それで、君らはどれだけきれいごとを言ったところで、そういう子を守ろうとしないじゃないか。そういう子が私にいじめられているところを見ても、いつも見逃すじゃないか。それなのに私のことを悪く言うのは、馬鹿げてると思わないか? 私は馬鹿げてると思う。君らがもし彼女らを守るならば、私だってこの攻撃性を、ぬいぐるみとか、壁とかにぶつけるようになるかもしれない。でも君らは、彼女らを守ろうとしたことはないし、守れたこともない。それどころか、無意識的に加担することさえある。あの子はいつもヘラヘラ笑っているから、私にひどいことを言われてもそうしてるのを見て「いじられて嬉しいんだ!」と勝手に決めつけて、似たような言葉をあの子に投げつける。君らは君らが思ってるほどまともな存在じゃないよ。いや、本音を言ってしまえば、自覚している私の方がずっとまともなんだぞ!
 なんて実際に言ったことは一度もないけどね。でもそれが事実だ。


小休止

 私はこの物語を意図して動かそうとはしないことにする。面白くしようとすることを、放棄する。
 基本的にずっと、この人間の心の中を描き続ける。外は動かさない。場面も持ち出さない。それが必要だと確信できたとき、出来事を描きたいと思ったとき、はじめて私は、独白以外の形式で何かを書こうと思う。
 行き当たりばったりなやり方だ。私はこういうやり方が一番やりやすい。一番いいものができるかどうかは分からないけれど、今回はそうすると決めたから、そうさせてもらう。いやきっと……色々なやり方を試した結果、これが一番自分に向いているような気がするので、これから先ずっと小説を書くときは、この形式になるかもしれない。分からない。


しばらくしてから思ったこと

 思ったんだけど、私はさ……こういうタイプの人間ではないんだよね。正直、こういう人物を内側から描こうとするのは、気分が悪いし、多分……満足にできない。

 私の描き出したいものではないのかもしれない。いろいろ考えたよ? この子がこの先どうなるのか。
 大人になってから自分がイジメていた子たちに再会して、それぞれが別の人生を歩んでいるのを見て、自分のことをほとんど恨んでいないのを見て、恨んでいないどころか、ほとんど覚えていない様子であるのを見て、空しくなる、とか。
 それか、この子が私みたいに何らかの出来事がきっかけでレールから転げ落ちて、誰よりもみじめな立場で生きるようになって、かつて自分がイジメてた子が、復讐として、主人公の生活を助けて、仕事を紹介して、それであっさり幸せになってしまう、みたいな。

 でもどんな物語にしても、なんかおかしいんだよ。なんか変なんだよ。

 イジメていた子が自殺して、後悔して、みたいな話にしても、あまりに普通過ぎてつまらないし、その子が主人公の知らないうちに復讐を計画してて、主人公がひどい目に遭う、みたいなのも別に面白くもなんともない。感動もないし、気分が悪いだけ。

 高校に入って勉強が忙しくなって、イジメなんてくだらないことする暇がなくなったときに、何かのきっかけでひどい目に遭ってる子を助けたら、その子はかつて自分がイジメてた子だった、みたいな話にしてもいいけど、でもそれで何なん? って話だし。

 なんか、陳腐な想像しかできない。どっかで見たことのある話にしかならない。どっかで見たことあるのに、私自身が経験したことでもないから、嘘くさい娯楽作品にしかならない。でも現実的に書いたって、そんなの「よくあること」で終わってしまう。物語として成立しない。

 イジメられてる子が、家庭の事情で追い詰められた時、なぜかその子はイジメていた自分に助けを求めて、最初は笑って拒絶したのに、だんだんそれが気持ち悪くなってきて、自分でもよく分からないまま、その子のために何かできないか考えて、それを実行しようとする、みたいな話はどうだろう。いい話ではあるけれど……でもなんか……それも違う気がするんだ。そういうことはきっと、現実においてよくあることだし、ドラマティックでもあるけれど、それは私の書きたい話じゃない。ただ、悪ぶった子供が成長過程で自らの善性を受け入れていく、みたいな話はさ、色んなタイプがあるけど、もう現代だと無数にあるからさ。ウケるかもしれないけど、なんかつまんないんだよ、そういうの。私のやり方でそれを一度書いてみるのは意味のある試みかもしれないけど、なんだかやる気がしない。

 必然的な物語が書きたいんだよね。「こうでなくてはならなかった」と思えるような話が書きたい。それまで思いつきで書いていたことが全て、たったひとつの結末のために無意識的に用意されていたものだったと分かるような話が書きたい。

 でも多分、この主人公じゃ、そういう話にはならないんだと思う。ただ材料として持っておく分にはいいと思う。こういうキャラクターは便利だし、妙な魅力があるのも事実だから、頭の中に保存しておく感じでいいと思う。

 うーん……行き当たりばったりで書くの、やっぱりあんまりよくないのかな。ある程度プロットとか構想固めてから書き始めた方がうまくいくのかもしれない。いやいやいや、昔それやってつまらない話量産してしまったじゃん。そもそも私は面白い話が書きたいの? よくできた話が書きたいの? そういうわけではないんでしょ。私は自分が綺麗だと思うものを書きたいんだけど、それってさ、すでに私が知ってる美しさじゃダメなんだ。

 結局、いろいろ書いたり考えたりしながら、閃くのを待つしかないんだろうなー。しんどくならない範囲で新しくお友達作るのも悪くないかもなー。いい刺激になるかもなー。

 多分つづかない。

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