復讐された者

 幸せを表現することに、ためらいを感じる。

 「あなたの幸せは、私を不幸にする。私を傷つける」
 言葉にしなくても、彼らの表情がそう言っていた。私はそれで、自分の幸せをしまい込んだ。

 私は他者の幸せを自分の幸せにできる人間だった。だから「人の不幸は蜜の味」が分からなかった。人の不幸は、見たくなかった。自分も悲しい気持ちになるから。でも、私の周囲の人たちは、自分以外の人間を不幸にすることに熱心だった。そして、幸せな人間を見ることが嫌いだった。

 私は復讐されていたのかもしれない。幸せに対する、罰。それが、この世を呪う人たちの目的だったのかもしれない。
 
 あの人も、いつも幸せそうだった。幸せを演じているのではなくて、ただ生きているだけで、幸せを感じられる人だった。でも彼は死んだ。
 きっと私たちのような人は、少なくない。でも私たちは、黙る。人を傷つけたくないから、人に傷つけられたくないから、幸せであることを隠そうとする。誠実な人は隠すだけでなく、実際に自分が幸せであることに、罪の意識を感じる。
 それは確かに、幸せを感じられない人による、復讐だったのだ。

 それでも、彼らの復讐は私を深くしてくれた。より繊細に、より複雑にしてくれた。今は憎むより、感謝しておこう。それが嘘であり、あとで覆すことだと分かっていても、感謝できる時には感謝しておこう。
 いつか彼らには死んでもらうしかない。世界が彼らに寿命を与えたのだから、彼らは幸せを知ることもなく死ぬのだ。
 私は確かに彼らが幸せになることを望んだが、彼らは永遠に幸せにはなれない。だから、同情するのはもうやめよう。あの連中と私たちは、本来関わるべき人間ではなかった。私たちは最初から平等じゃなかったし、対等でもなかった。

 生きることは彼らがいようがいまいが、苦しいことだ。でも同じくらい、喜ばしい事のはずだった。
 彼らがやったのは、私たちを余計に苦しませることではなく、私たちに喜びを禁じたことだった。

 人より恵まれた環境で産まれた人間が、幸せを噛み締めることを、彼らは禁止したのだ。平等への意志。自分より幸せな人間を絶対に許さない、あの歪んだ意志。

 私はこれを捨てよう。与えられた毒を吐き出して、もう二度と気にしないようにしよう。

 私には私の不幸がある。ちゃんと、取り返しのつかない悲劇がある。もう十分、幸せの対価は払ったよ。

 だからもう、許してくれ。許してくれよ……

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