花冠

 植物図鑑が届いて、楽しく読んでいると、急に思い出が蘇ってきた。

 多分幼稚園児くらいのころかな。どこかの公園で、ある人が花冠の作り方を教えてくれた。多分女の人で、すごく優しそうな人だったと思う。私と兄さんと、あとまた別の二人くらいの友達がいて、みんなで花冠を作った。
 近所にそんなたくさんの野花があった覚えはないから、お母さんかお父さんに連れて行ってもらった場所での出来事だと思う。
 黄色い花の花冠を作って自分の頭にのっけて得意気になって、でも鏡がないから、まだ作るのに苦戦してる女の子の頭にのっけて、自分の作ったものの出来に満足していた。すると兄さんは、自分の作ったのを私に乗せて、また別の子は兄さんに自分の作ったものを乗せた。
 私はその……その二つの意味の環に、強い感動を覚えた。人の作り出したものと、人との繋がり。
 これが世界の在り方なのだと、そう感じたはずだ。

 私の気持ちは落ち着いている。涙は流れない。あの暖かい思い出は、その先の痛いくらいの現実とは完全に隔絶されていて、たとえ想起しても、汚されはしない。

 花冠、作りに行きたいと思った。明日にでも、どこかタンポポでもたくさん咲いている場所を探してみようかと思う。そこでたったひとり、花冠を作る変な女。頭のおかしくなった、女。想像すると、それはなんだか恐ろしいというよりも、美しいような気がした。だってそうじゃないか。もう戻らない過去を想って、ひとりで花冠を作る女。もしその女がどれだけ醜くても、いや、それが男であったとしても、その光景は美しいような気がする。
 それはあるべき光景であるかのように思う。

 でもそれは晴れていないといけない。雨が降っていても、どんよりとした曇り空でも、台無しだ。そうなったら、ただ狂人がひとりで座り込んで、何かをやっているだけになってしまう。
 快晴。誰も小さなことを気にせず、たんぽぽは無抵抗にむしり取られていく。春の野の暖かさ。死んでしまった美しい過去と向き合って、きっと何か新しいものを得る。
 私は人生を豊かだと思うし、それだけで十分だと思う。

 花冠。そう。多分、私はそれが欲しい。それだけで、世界は救われる気がする。

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