因果応報と原罪【ショートショート】

――己の為した行いは全て己の元に帰ってくる。


 自分には罪がないと思って生きてきた。実際、意図して誰かを傷つけたことはなかった。私はずっと友達の間では親切な人間として通っていたし、頼られることも多かった。
 自他ともに認める「いい人」だと自分のことを思っていた。時々怒って酷いことを言ってしまうこともあったけれど、手を出したことはなかったし、あとで反省して謝ることも多かった。

 社会のルールはちゃんと守ってたし、テレビに出てくる犯罪者もちゃんと憎んでいた。私は人に責められるようなことをしたことがなかったし、誰からも恨まれずに生きてきた。

 私は自分が普通のいい人であることを疑ったことはなかった。


 運命は非情である。何の罪もなくても、偶然や悪意によって人生が台無しになってしまうことがある。私が死んだ原因は、ある自暴自棄になった青年が放り投げた包丁だった。ただ友達と買い物に来ていただけだったのに。性格の悪い彼氏と別れたばかりで、新しい出会いに期待を抱いていた時期だったのに。
 私は死ぬそのとき、こう願った。
「私を殺したあいつが、私よりも苦しんでくれますように」
 声が、聞こえた。
「つまり……己の為した行いは全て己の元に帰ってくるべきだ、ということか?」
「うん……因果応報。罪には、報いを」
「お前の願いを私が聞き届けよう」
「ありがとう」

 目を覚ますと、巨大な緑色の柱が立っていた。草だ。あたりを見渡す。そして、思い出した。私は、探さなくてはならない。
 私が立ち止まったから、同胞が私を追い越して進んでいった。私は彼の言った方向とは違う方向に六本足で歩きだした。
 巣に食料を運ばなくてはならない。それが可能なら、そうしなくてはならない。それが私の役割だ。
 草原を抜けると、黒くて平らな地面が現れた。何か思い出せそうな気がした。人間……そうだ。人間だ。ここは、人間や人間の乗り物が通る場所。
「あ、アリさんだ!」
 私は、驚いて逃げ出そうとするが、素早い手を容赦なく私を潰した。
「かわいい!」
「こら。逃がしてあげなさい」
「うん!」
 乱暴に放り投げられて、私は字面に叩きつけられた。後ろ足がダメになった。もう歩けない。これは、もうダメだと思った。
 同胞が近づいてきた。群がってきた。あぁ、私はもう食料と見做されているのだと分かった。

 そうか。あの少女は、私だったのか。でも、仕方ないじゃないか……それが、余の定めなのだから……
「よぉ。もし因果応報というのがあるのなら、今みたいな経験をお前はこの先何千、何万と繰り返さなくてはいけないが、どうする?」
 あの声が、聞こえてきた。
「でも、あの青年は……」
「そうか。次は……」
「やめてください!」
「では、あの青年を許すか?」
「あなたはなぜ、私にあの青年を許させようとするの? 関係ないじゃん!」
「関係? 関係……お前が、その関係を求めたのだろう? 因果応報。関係の逆転」
「私はただ、あいつに腹が立ったから、あいつが死んでほしかっただけ!」
「しかしあの男は、お前を殺すつもりはなかった」
「だから、それは関係ないじゃん!」
「つまり、お前はあの男が生きていようが死んでいようが、どうでもいいわけだな?」
「思ってみただけじゃん……願ってみただけじゃん」
「思いと願いを軽んずるな」

 追い詰められていた。全てが台無しにされた。だから、俺には全てを台無しにする権利があると思った。それが、因果応報だと思った。
 俺は優秀だった。勉強は苦手だったが、一生懸命にやって、いい大学に入った。就職活動だって頑張った。社内での評判も上々だった。俺を無能扱いしてくる上司にも、我慢してきた。俺が女にモテないことをからかってくるクズ共にも、我慢してきた。それなのに、会社は俺をつまらない過失を理由に解雇した。金のない俺は、いい弁護士を雇うこともできず、裁判でも酷い目にあわされた。裁判の費用のためにした借金が、膨れ上がった。誰も、助けてくれようとしなかった。
 俺は、何も悪くないのに、社会から、こんなひどい目にあわされた。因果応報。俺は、社会に復讐する権利があった。
 できるだけ多くの人間を殺そうと思った。でもいざ包丁を持って外に出ると、怖気づいた。そんな自分に余計腹が立って、死のうと思った。死のうと思うと、何人か道連れにするのも怖くないと思った。
 平和面したやつら。このクソみたいな社会で幸せそうな顔で生きている連中。全員殺してやりたい。

「おい、君」
 そんなことを考えながら街を歩いていると、警官に声をかけられた。俺はびっくりして、逃げ出した。警官は追いかけてくる。俺は焦って、カバンから包丁を取り出して、警官の方に投げた。包丁は放物線を描いて……女の首元に刺さった。俺は茫然として、立ち止まった。警官は女のことを少しも気にせず、俺を素早く押し倒して拘束した。俺はこの先どうなるのだろう? しかし、もうすでにクソみたいな人生だ。今更、だろう?

「思いと願いを軽んずるな」
「こんなの私じゃない」
「それもお前だ」
「分からない」
「お前が因果応報を望んだのだ。お前が、お前を殺した。だから、お前は、殺された側のお前に自分を投影した。人間は……」
「私には罪なんてない!」

――人は神の信頼を裏切り、永遠の罪と罰の定めを受けることとなった。

「私はそんなこと望んでいない……」

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