自画自賛について

会話から入りまーす。

「理知さん。自画自賛って、どう思います?」

り「ん? 状況次第じゃない?」

「たとえば私が、私の書いた物語を『これはすごく面白くて価値のある作品です! みんな読んでくれ!』って言ったとしたら、どう思います?」

り「それは自画自賛っていうより宣伝じゃない?」

「宣伝と自画自賛ってどう違うんですか」

り「宣伝は、それを見てもらうことが目的。自画自賛は、そもそも言葉の定義として、自分で自分を褒めること。人に『褒めて褒めてー』っていうのが透けて見える自画自賛は、まぁちょっと幼い印象があるよね。でも宣伝は、大人でもすることだし、いいんじゃない? 自分が好きだと思うものを人に広めるのも、このネット社会じゃ珍しいことじゃないしね」

「それは押しつけになりませんか?」

り「不特定多数に言う分には押し付けにならないよ。興味ない人は黙って無視するだけだし、興味ある人にとっては、有益な情報のわけだし。もちろんしつこいのはまずいと思うけどさ」

「んー。なるほど。私時々、自分が昔書いた作品を人に読んでもらいたいと思うんですよね。そういう記事を書くのって、いいと思います?」

り「自由だと思うけど、逆に何でそれはまずいかもしれないって思ってるの?」

「うーん。やったことのないので、怖気づいているっていうのが本音です。そもそも書くこと自体が目的じゃなくて、他の作品を読んでもらうために書くっていうのが、ちょっと不誠実というか……いや不誠実ではないんですけど、ちょっと違うなぁって思って……」

り「うーん。じゃあ不誠実な感じにならないように、ちょっとドライ気味に書いてみたら? 自分が気持ち悪いと思わないような書き方で、さ」

「ちょっと試してみますね」

 自分で自分の記事を読み返しているとき、見覚えのないタイトルを見つけることがある。私はあまり記憶力がよくないし、次から次へと新しいものを書くから、書き終えたものをすっかり忘れてしまうことが多いのだ。
 そしてそういう作品を新しい目で眺めていると「これ、すごくいいな。もっと多くの人に読んでもらいたいな」と思うことがある。
 そういう時、どうにも……色々と迷ってしまう。宣伝のようなことをしてみようと思うのだけれど、どのように宣伝しても嘘くさいというか、恥ずかしい気持ちになってしまう。それに、宣伝したい作品のことも……それを素晴らしいと思ったのも、一時的な感情なんじゃないかと疑ってしまう。
 私は他にもいい作品を書いているから、わざわざこれを人に見せる必要はないのではないか? そもそも、自分が自分の作品を人に見せたがるのは、今自分が思うように作品が書けていないからなのではないか?
 嫌な言葉が頭の中をぐるぐる回った挙句、結局やめてしまうことが多い。

 でも冷静に考えてみれば、それを読んで喜んでくれる方がひとりでもいるなら、それを人が読めるようにしておくことは意味のあることだし、そうしたいと思って私はnoteに自分の文章をupしているのだから、読み返したときに自分が「イイ」と思ったものを、その時の気分でもう一度人の見える場所に置いておくのは、悪いことじゃない気がする。

 どこが「イイ」のか、ということも書いていいと思う。自画自賛になってしまうけれど、別にいいじゃないか。昔の私は今の私じゃないし、昔の私を褒める分には……でもやっぱり間接的に自分を褒めたりアピールすることに繋がっちゃうんだよなぁ。実際、その作品を自分が書いたという事実が、私に自信を与えるのも本当のことだし。

 ま、とりあえず、今日読んでいいなぁと思った自分の短編作品。青春だなぁ、って感じ。こんなん書けるんだなぁって、自分でも読んでて少し驚いた。面白いし、綺麗だと思う。

 自分でもなんでこういうものが書けたのかも分からないし、そもそもこれが何なのかもよく分からない。でも、よくできていると思うし、素敵だと思う。私はこういう作品が好きなんだなぁって、自分でも再認識できたし、できれば、もっと多くの人に読んでもらいたいと思っている。


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