【怖い話】ゲンジツゲンジツゲンジツゲンジツゲンジツ

 暇つぶしにやっていたネットゲームに飽きて、外に出て夜風を浴びることにした。
 女がひとりで外に出るなんて、と思う人もいるかもしれない。確かに、危険と言えば危険だ。でもそれほど遠くまで行かなければ問題はないと思うし、もし運悪く変な人に襲われたら……抵抗できる分は抵抗するし、その結果殺されたりしたら、まぁ、何というか……そうなったらそのときだ。
 なんて思いながら、家の前の道の端を歩く。静かだ。街灯が等間隔に並んでいて、目が悪くて眼鏡をかけている私には、その光の散乱が、少ししんどかった。
 近所の一番近い公園に来て、大きな形の整えられた四角い石の上に座る。いつもより街灯が……道よりも、公園の中心に近いような気がした。街灯が、動いている?
 それに気づいた瞬間、背筋にぞっと嫌なものが走った。いや、そんな馬鹿なことがあるはずないし、きっと気のせいだ。そんな、街灯が動くなんてことはないはずだ。
 私はじっと、その街灯の柱を見つめた。だんだん、元々その位置にあったような気がしてくる。
 私はほっと息をついて、立ち上がり、公園の周囲をぐるっと一周する……どの街灯も、ほんの少し、私の歩幅一歩分くらい、やはり公園の中心に近くなっているような気がした。六本とも、その位置に違和感を感じた。
 実際に柱に触れてみるが、いつも通りだ。冷たい、少し錆びた金属。土台も、しっかりしてる。これが動くとは思えない。気のせいだ。
 やっぱり、印象というのは嘘をつく。きっと体調が悪いのだろう。念のために、一番最初に違和感を感じた街灯の位置を、公園の柵の継ぎ目との距離で覚えておくことにした。

 その日の晩、いやな夢を見た。どこか広い場所で、私がひとりきりで立っているのに、周りからは大勢の笑い声が聞こえてくる。私のことを笑っていないのは分かっている。でもなぜか……その笑いは、私には理解できない笑いだった。この世の笑い、ではなかった。人間の笑い、ではなかった。
 もっと恐ろしくて奇妙な、別の次元の存在の笑い声だった。
 他の人間はどこに行ってしまったのだろう?

 私は目が覚めた時、恐怖におののいて、一通りの習慣を片付けたあと、外に出てあの公園に向かった。街灯の位置は変わってなくて、安心した。

 親の圧力に耐えかねて始めたバイトにも慣れてきた。
「○○さん、ちょっとやつれた?」
 親切なリーダーが、そう尋ねてきた。
「働くの、きついです」
「あー。シフト減らす?」
「いえ、今以上に増やされるときついですけど、だんだん慣れてきたんで」
「○○さん、物覚えすごく早いし、ミスもしないから、いつも助かってるよ。ありがとうね」
「こちらこそ、いつも優しく教えていただいて助かってます。ありがとうございます」

 バイトが終わって、家に帰ってシャワーを浴びる。頭がぼんやりする。何もしたくはないけれど、晩御飯は今日、私が作らないといけない。両親は二人とも、もっと長い時間働いているから……あと、洗濯物もさっさと干して、掃除もかけて……

 歯磨きをして布団に入った瞬間に、急に不安になった。私の人生は、このまま終わってしまうのだろうか、と。このまま年老いて、何もできずに、平凡な人生を歩むのだろうか、と。いや、このままだと平凡な人生すら……
 嫌だ、と思った。涙がこぼれてきて、体を起こして、ティッシュで鼻をかんだ。のそ、と、体を起こして部屋を出た。
 パジャマのまま、サンダルを履いて、外に出た。あの街灯が、今日も変わらず同じ位置にあるか確認しないといけない。

 変わっていなかった。やはりあの日の印象は、勘違いだったのか。

「○○。なんか、目、やばいよ?」
 仕事から帰ってくると、ちょうど出かけようとした母親と鉢合った。
「え?」
「なんていうか……ちゃんと眠れてる?」
「あー……最近夜目覚めること多くて」
「お医者さんに行って、薬とかもらった方がいいんじゃない?」
「うん。まぁしばらく様子見てみるよ」
 鏡で自分の目をじっと見つめる。いつもと、そう変わらない気がする。私は毎日鏡を見てるし……いや、毎日見てるからこそ、小さな変化に気づかなくて、逆にあまりじっと見つめることのない人が、ゆっくりとした変化に気づくこともあるのではないか?
 だとすれば、あの街灯の位置も……よし、一か月の間、確認しないことにしよう。そのあと、確認してみよう。

 街灯の位置を確認しなくなってから、私の体調は快方に向かっていった。やはり、どうでもいいことを常日頃気にしていたことが、私の心と体の調子を狂わせていたのかもしれない。それか、夜に街灯の強い光を浴びること自体が、体内時計を狂わせることに繋がっていたのかもしれない。
 関係ないことだが、最近バイトの時給が五十円上がった。別にそんなお金には興味ないけど、でも、小さいけど確かなそういう他者からの高評価が、意外にも、すごく嬉しかった。こういう生き方でもいいんだな、と思えた。

 忘れかけていたころ、夕方のバイト帰り、たまにはバスじゃなくて歩いて帰るか、と、公園の前を横切った。
 久々に、街灯の様子を見てみるか、と思った。あれから二か月以上経っていた。

 ……動いている。前は、この柵の継ぎ目の正面から二歩歩いたところから、ほんの少し右にずれた位置に立っていたのに。
 今は、そこからさらに一歩、公園の中心に近づいている。明らかに街灯が、道の端ではなく、歩くのに邪魔になる位置に立っている。なぜ誰も気づかないのだろう?
 ちょうど、犬の散歩をしている、人のよさそうなご婦人がいたから、声をかけることにした。
「あの、すいません。この街灯って……」
「街灯? あぁ、この場所は、ちょっと邪魔よねぇ……」
「前は、もうちょっと脇の方にあったような気がするんですが」
「え?」
 何変なこと言ってるんだ、という顔をされたので、私は恥ずかしくなって「ごめんなさい。何でもないです」とだけ言って、家に帰ることにした。
 人と話したからか、それほど恐怖は感じなかった。でも家に帰ってひとりきりになってから、私の見た現実が明らかにおかしいことに気づいて、体が震えた。とりあえず夜は、見に行くのはやめようと思った。純粋に危ないのもそうだし、体調も崩す。
 毎日見に行っても仕方がない。一週間に一回、バイト帰りに確認することにしよう。

 一週間ごとに、街灯の位置を確認するようになってから、半年が経った。その間、街灯は動き続け、今は、おかしな儀式でもやるみたいな感じで、六本の街灯が公園の中心付近で円になって立っている。
 誰も疑問に思わない。別の人に尋ねた時も「変な街灯だよねー。まぁでも、個性的でいいんじゃない?」とか、呑気すぎて理解できないような返事しか返ってこなかった。

 バイトの方は、繁忙期が終わり、今は比較的楽な時期だ。今の店長が新しい別の店を任されるようになるらしく、そのタイミングで今のリーダーがこの店長になるかもしれない、とのこと。その時には、私がリーダーを任されるかもしれないから、もしそうなったら今以上に忙しくなって大変になる。でも、みんな頑張ってるし、私ももっと頑張れるなら、頑張りたい。今はそう思ってる。

「○○。最近調子よさそうだね。なんか、輝いてる」
 久々に会った友人と偶然街で出くわしたとき、そんなことを言われた。
「街灯みたいに?」
 冗談でそう言ってみたら、その友人は呆れたような表情をした。
「昔から○○って、そういうよくわからない冗談言うよね。そういうところは変わってないんだ」

 六本の街灯は、もうほとんど一カ所に集まっていた。久々に夜、見に行くと、その灯の中心は明るすぎて何も見えないくらいだった。
 私はもう、そのおかしな現象には慣れきっていた。
 六本の集まった柱のそばに立ち、触れてみる。金属の、冷たい感じ。この感覚だけは、昔からずっと変わらない。位置は変わっても、街灯そのものは変わってはない。
 その時だった。その柱と柱の隙間から、ぬっ、と、顔が出てきた。私は「わっ」と悲鳴を上げて、しりもちをついた。目をこすったが、その顔は、張り付いたように、柱と柱の間に挟まったまま。しかも……その顔は、コンピュータゲームに出てくる出来の悪い3Dモデルのような、明らかに人間の顔でない、人間の顔を模した何かだった。目も鼻も口も、人間の顔の部位全てがあるのに、そのどれをとっても、現実味にかけていた。
 その顔の目が私の目を捕らえた。そして、ニヤッと笑い。
「ベリヤホ? ンヒカナリホ?」
「え?」
「ヤナリカク、ニマリナ。カイリキホ、キャリナホ?」
 その言葉のおかしな響きに、私は困惑しつつ、笑ってしまう。なんだこれは? 何だこの現実は? 夢じゃないのか?
「ンヒア。ユメジャナイ。夢じゃないに決まっているだろう」
 急な流暢な日本語に、私は絶句した。
「現実だ。ゲンジツ。ゲンジツゲンジツゲンジツゲンジツゲンジツ」
 いつか、夢で見た、あの笑い声がその公園の中で響いた。
「ゲンジツゲンジツゲンジツゲンジツゲンジツ」
 気づいたら、自分の口からその言葉が出てきていた。ゲンジツゲンジツ。慌てて手で口をふさぐ。私は頭がおかしくなってしまったのだろうか! ぎゅっと目をつぶり、背を向けて、逃げようとした。だが、肩を掴まれる。
「振り返らないのか? 振り返らないのか? 振り返らないのか? 振り返らないのか? 振り返らないのか?
 私は、衝動的に振り返りそうになっている自分に気づき、その手を払った。ぬるっとしていた。私は、総毛だつ体に鞭を打って、家に向かって全力で逃げた。
 家に帰ると、私は大きな声で叫んだ。「お母さん!」と。母親が起きてきて「夜中に何?」と、目をこすりながら玄関にやってきて、ほっとした。
 だが、その顔を見た瞬間、私は逃げられないのだと察した。
 あの、非人間的な、人間の顔が、そのまま母の顔に張り付いていた。
「お、お母さん……」
「ナニ? ナニ? ナニ? ナニ? ナニ?」
「あ、あの……」
「夜中に外に出ると危ないって言ったでしょ? 言ったでしょ? 言ったでしょ? 言ったでしょ? 言ったでしょ? アハ、アハハハハハ!」
 そういいながら、お母さんらしきモノは、その両手で私の肩を掴んだ。ヌルっとしている。
「ねぇ、私、頭おかしくなっちゃったの?」
「オカシクナイおかしくない。おかしいのは、みんなの方よ。ミンナがおかしいの。ミンナがおかしいの!」
「もう寝るよ。お母さん。きっと、朝になったら平気になってるから」
 私はそのぬるっとした手を振り払って、自室のドアを開いた。何が何だか分からないけれど、もう疲れた。何があっても、もう驚く元気はない……
 あぁ、布団の中に、別の人間がいる。いや、人間ですらないのだろう、きっと。
 知ったことじゃない。
 私はそれと同じ布団の中に入り、目をつぶると、すぐに眠りに落ちた。

 朝は正常だった。お母さんの顔はいつも通りだった。夜のことを聞いたが、何も覚えていない様子だった。やっぱり、一時的に私の頭がおかしくなっていただけだったのだろう。変なことをしなくてよかった。

 お昼前に、公園に向かった。そこには相変わらず、六本の柱が肩を寄せ合うように密着している。それぞれの柱の間には、顔ひとつ分の隙間しかない。
「すいません。これ、どう思います?」
 ランニングをしている健康そうなお兄さんに、尋ねてみる。
「この、変な街灯? これ、ちょっと怖いよね。誰がどんな気持ちでここに設置したんだろ」
「もし私が、この街灯は、自分で動いてここに集まってきたって言ったら、どう思います?」
「うーん。それは怪奇現象だね。でもどうせ怪奇現象なら、この電灯が自分から動いた、というよりも、もっと恐ろしくて気持ち悪い何かが、人間をからかうために動かした、という方が面白いんじゃない?」
「あぁ。多分それが本当のことなんでしょうね」
「ソウダヨ。そうだよ。タノシンデクレタカナ? もっと怖いのがいい? もっと痛いのがいい? ソレトモ? ソレトも、それとも、もっと、面白くておかしいのがいいのかな?
「私の頭は、おかしくなってしまったのでしょうか?」
「オカシクナイヨ。おかしくないよ。ゲンジツゲンジツゲンジツゲンジツゲンジツ!」

 ゲンジツというのはきっと、私の頭の中にしかない概念なのでしょう。

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