君は善意で人を傷つけることができるか
先に断っておく。ここでは「善意が人を傷つけることもある」なんて腑抜けた常識を語るつもりはない。
そんなのは少しでも人生を真剣に生きたことのある人にとっては自明の理であるし、それすらも分からない人はそもそも私の文章を読むのに相応しくない。
私のこの気持ちを、きっと君は理解してくれるだろう。私を知る君ならば。
本題に入る。
私が言いたいのは「相手のために、相手のことを傷つけることができるか」という問についてである。
肉体の病気を治すために、外科手術を行わないといけないことがあるのは、現代ではもう当たり前のことである。
では精神の病気の場合は? 精神の病気においても、リスクのある治療を行わなくてはならないときがあるのではないか?
もちろん、医者でない人間が治療をしようとしてろくなことがないように、実際にそういうことをするかどうかという話ではない。
これは「もしも」の話だ。しかしそれは重要な「もしも」だ。
「あなたの目の前で人が倒れていた時、あなた以外応急処置ができない状況にあるとしたら?」
この問いは意味がある。ごく低確率ではあるが、そのような「もしも」を真剣に考えて生きている人間と、そうでない人間の間には、答えはどうあれ人間としての深さに大きな差異がある。
精神には、急を要する病がある。ほとんど治療が難しい病もある。
もっといえば、病でなくとも病のようにふるまってしまう、最初からおかしくなっている精神もある。
たとえば君が精神の専門家だとして、愛する人の精神が壊れかけている時、それを救う術が「心を傷つけて、深くすること」しかないとしたら、君はそれを実行できるだろうか?
本人が「もう苦しみたくない。終わりにしてしまいたい」と本気で思い、君にそう主張するとき、君はその意思を踏みにじり、自分の意志を、自分の善意を、貫くだけの力を持つことができるだろうか?
相手を傷つけ、後々憎まれることが分かっているとしても、君は自分の善意を信じることができるだろうか。それによる不都合な責任を全て負い「これは自分が望んだことなのだ」と言うことができるだろうか?
くだらない相手、下に見ている相手を傷つける理由などどこにもない。蚊がどれだけうっとおしくても、蚊を絶滅させようと強く意志するのは、愚かなことだ。
ただ愛する相手、対等な相手ならば、傷つけなくてはならないときが必ずと言っていいほど訪れる。
これは私の経験則だが、愛だけが、人を本当の意味で深く傷つけ、強くし、あらゆる病を治療する。
私は、私の友達にこれを要求したい。
私のために、私が壊れかけている時、どれだけ苦しめても治療を試みようとしてくれる友を、私は欲している。
たとえその友達からどれだけ呪われても、その友達を救うために傷口を広げる役割を喜んで担えるような人間でありたいと、私は心の底からそう思っている。
人間の関係は固く、強くなくてはならない。吹けば飛ぶようなものであってはならない。
そういう関係を結べないのなら、孤独であった方がいい。
そうでないのなら――言ってしまおう――私たちに生きている意味などないのだ!
君は相手を善意から傷つけることができるだろうか?
もしそれができなければ、君は友達から真の意味で愛されることも憎まれることもないだろう。
「傷つけたくない」なんて言葉は、もう私たちに相応しくない。それは愛情故ではなく、弱さの共感、つまり臆病さから来ている。
「私は傷つきたくない。おそらく相手も傷つきたくないであろう。だから、私は傷つけないようにする」
そんなのは、私たちの趣味ではない。私たちはもっと傷ついていたい。傷ついていなければ、生を実感できない。喜びを感じられない。愛情も、幸福も、憎悪も、不幸も、全部生ぬるくなってしまう!
私は、私のために私を傷つけるものを歓迎する。だから、君も私の友達になりたいのならば、私から傷つけられることを肯定するのだ。
もちろん、腹を立てるのは構わない。仕返しだってしてもいい。
ただ『傷つけたくない』なんて言葉は嘘でも言わないでくれ! それではまるで、私が『傷つきたくないと思っている臆病者』みたいではないか!
そんなことで私は君を軽蔑したくない。
人を傷つけることすらできない弱い善意など、消えてなくなればいい。
そういう善意は、すでに苦しんでいる孤独な人間の喉を締めるばかりの自己満足であるから。
友よ! 君には善意で人を傷つけられる人間であってもらいたい!
そして願わくば、君が傷つけるのは、君と対等な人間だけであってほしい。
愚かな人間、醜い人間、臆病な人間、小さい人間は全てを台無しにするから、連中は君の善意に値しない。
彼らには、善意ゆえの厳しい言葉よりも、無関心ゆえの優しいの言葉の方が相応しい。彼ら自身もそれを望んでいる。彼らのことは放っておけ!
私も彼らのことは放っておくことにする。
あぁ友よ。私たちには私たちの見えない決まりごとがある。
恥をかかせないこと。
大声で叫ばないこと。
他の人たちとの付き合いを見られたら、恥ずかしがること。
他の人たちとの付き合いを見てしまっても、知らないふりをすること。
距離も、時代の隔たりも、気にしないこと。
面識がないことなど、気にしないこと。
一方的な勘違いかもしれないと思っても、信じぬくこと。
愛にも憎しみにも、執着しないこと。
相手に、何も強制しないこと。
互いに、重荷にならないこと。
小さな矛盾や誤りを、見逃してやること。
私はやはり、君には人を傷つけることのできる人間であってほしい。
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