人の心の内側は

 自分にしか分からない、言葉の裏側や隠された笑顔の裏側とかって、肉体で言うところの内臓にあたるものなんだろうな。

 そういう意味では、私は昔から解剖が好きだった。他人の心を解剖するのは、良心が痛むから、自分の心を繰り返し引き裂いて、繋ぎ合わせて……自分の中にあるものを確かめた。
 早い段階で形成された、自分の美しい表面を、礼儀正しく人懐っこい「女の子」としての私の裏側にあるものを、私は確かめ続けた。そこにあったのは、グロテスクな……

 でもそのグロテスクに、美を見出したのも事実なんだ。他の人のグロテスクにだって、私は美を見出したんだ。人の心の裏側は、確かに醜く歪んでいるのが当たり前だ。反射的に、気持ち悪くなってしまうようなことがほとんどだ。でもそれをじっと、その脈動を眺めていると、決してそれが、不健康なものであったり、病的なものであるわけではないということが分かる。危険なものでもなければ、理解不能なものでもない。それは、いつも私たちのそばにあって、私たちを支えてくれる、大事な存在なのだ。それを理解して、その温かさに触れると、私はそこに、美しさを感じるのだ。生の本質を感じるのだ。

 きっとそれは、とても熱くて、冷たいことなんだと思う。恐ろしくも美しい絵画を直視して、鑑賞して、心に刻み込むことのできる人は、少数だ。ほとんどの人は、見ているふりをしてやり過ごしたり、忘れるために楽しいことで気を晴らしたり、そもそもすぐに逃げ出してしまったり、だ。それは確かに美しいが、それを見るためには、強い理性と感性の両方がないといけない。

 きっと私の描くものは、私にとってはそれがそこにあって当たり前のものだけれど、慣れていない人にとっては、グロテスクで、恐ろしいものなのかもしれない。そうであればいいと思う。

 私は隠された現実を突きつけ、それの美しさの理解を迫る者でありたい。

 私たちは血と肉と骨でできている。若干の汚物も、常に私たちの内側にある。それが現実だ。現実であるならば、それが美しくないはずなどありえないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?