自分自身のこと②
夜眠るときも、朝起きた時も、自分の過去をどう語るかと考えていた。
頻繁に、実際とは違うことを語りたくなってしまう。多分、昨日書いたことは、嘘は含まれていないが、かといって……全てを正確に書いているかといえば、そういうわけではない。自分が書きたいように書いたものだから、断片の集まりだし、しかも……なんだか、あえて書くのをやめたエピソードのようなものがあるんじゃないか、とも思える。つまり、自分があえて思い出さないようにした、過去。はぁ。
考えれば考えるほど、自分自身の人生を語るのは難しいと思う。何を語っても、そこに現れるのは私が思っている私ではなくて、ちょっと似ている別の人みたいになる。本当に自分がそんな人生を歩んできたのか、怪しいと思う。なんだか、前世のことを語っているかのような感覚になる。
それが本当にあったことなのか、怪しいと思ってしまう。遠い昔のことは、それが記憶される過程で、時間を耐える過程で、どのように歪められているのか、想像もつかない。私の記憶がどれだけ自分の都合のいいように捻じ曲げられているか……結局私は私の過去を語るとき、私が虚構の物語を語るときのように、できる限り誠実であろうとは欲するが、最終的には自分の書きたいものを書くしかなくなる。
本当のことを、本当のままに語るなんて、無理だ。それが遠い昔のことであればあるほど。時間は全ての事実を風化させ、単純化させる。細かいでこぼこや微妙な色の違いは、どんどん消えてなくなり、つるつるで、よく見る形の「経験」に変わっていく。
寂しいけれど……それでも、書くしかない。それは私の努力で追いかけて、追いつけるものではない。過去はどんどん逃げていく。私が進めば進むほどに、過去はどんどん遠ざかっていく。置いて行かれていく。私が、置いて行っているのだ。
過去は「助けて」と叫んでいる。でも私は戻ることができない。できることは、振り返って眺め、目をつぶって、見捨てる選択をし続けるだけ。その声が聞こえなくなるまで……
*
人間関係には「上下関係」がつきものだ。子供同士でも同じだ。相手が自分より強いかどうかで判断する人間は、どこにでもいる。年齢も性別も関係ない。
「どこまで言って平気か」ということを、頭の片隅に置いている人間は多かった。
その感覚がない人間は、三種類に分けられる。第一種は、誰よりも強い人間。誰に対しても、言いたいことを言う人間。何を言われても、敢然と立ち向かう人間。
第二種は、誰よりも弱い人間。誰に対しても、言いたいことを言わない人間。あるいは、言いたいたいことがない人間。誰よりも低い場所にいるから、自分が相手より強いか弱いか判断する必要がないのだ。女性に多い。
第三種。何も考えていない人間。ただ根っこの部分から、人に親切で、誰とでも自分が対等であると信じて疑わない人間。
悲しいことに人は成長していく過程で、ほとんど皆が、たった一種類の「大人」になっていく。自分と相手の立場や精神的強度を比べ、どこまで自分の意見を主張していいか計算し、その通りに動く。それができて当たり前だし、それができていない人間は「幼稚」とみなされる。クソみたいな世界だ。
私たちの時代の子供たちは、かなり早い段階でそれを学ばされる。特に、比較的弱い人間たちが団結して、自分たちより強い人間を叩き落すことは、どのような場でも見られることだった。
私は女子の「嫌なことがあるとすぐ先生に言って、学級裁判を起こす」性質が大嫌いだった。たとえ嫌な奴でも、みんなの前で泣かされる姿を見るのは苦しかったし、それを見て喜んだりざまぁみろと思ったり感心なさげにぼおっとしている同級生たちも、それを正当化する教師も、気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がなかった。本当に、本当に、心の底から気持ち悪かったし、なんで自分がそんな場所に居なくてはならないのか分からなかった。どうして私がそんな場で、黙って、大人しく座っていなければならなかったのか分からなかった。でもそれをやめたら、糾弾されるのは私になる。
私は先生に嫌われることが多かった。理由は多分、複数ある。まず私は、比較的思ったことをそのままいう女子だったし、それだけじゃなくて、協調性の低い子供でもあった。マイペースだった。人に勧められたことを無視して、自分のやり方を貫くタイプの子供だった。しかもそれで、他の子よりも結果を出すタイプの子だった。
授業で先生の言ったことをちゃんと聞いておきながら、それに従わないことは多かった。教師という生き物は、支配欲が強い生き物である。頭が悪くて、人の言うことをちゃんと理解できない子のことは、教師は仕方ないと思って許す。だが頭が良くて、自分の言っていることを理解しているのに、それでも従ってくれない子供のことは、すぐに嫌いになり、チャンスを見つけてはいやがらせをするようになる。
とは言うものの、全ての先生がそんな人たちばっかりだったわけではない。小学校の六年間、二年と五年の担任の先生は同じだったから、五人の先生に面倒を見てもらったのだが、五人とも違うタイプの先生だった。
一年生の時の先生のことはあまり覚えていない。二年生と五年生の時の先生は、厳しい先生だったが、自分自身のことをよく分かっている自制心の強い先生だった。私のことは気に入らないようだったが、理不尽に怒られることは一度もなかった。私はその先生のことを密かに尊敬していたし、悪口を言う友達はいたけれど、私自身は一度も悪く言ったことはないと思う。いい先生だった。
三年生の時の先生はひどかった。毎日のように学級裁判を起こし、ターゲットにした生徒を精神的に追い詰め、泣かせることに喜びを覚えるタイプの女の先生だった。私はその先生のことが大嫌いだったし、その先生も私のことは大嫌いだった。男子たちはみなその先生に怯え、女子たちはなぜかその先生のことを好んでいた。おそらくそれは、自分たちの日ごろの男子への劣等感や鬱憤を、代わりに晴らしてくれるからだと思う。実際その先生は、おとなしい女子と自分より立場の強い人間にはいい顔をし、従わない人間に対しては全員敵対的な態度だった。本当に気分が悪い。若い先生だったし、あとで聞いた話によると、年をとってずいぶん大人しくなり、今は普通にいい先生としてやっているらしい。仕方ないと言うのは分かる。二十台半ばは、人間として未熟であっても何ら不思議じゃない。どちらかというと、あの先生に問題があるというよりも、教育の制度に問題がありそうだ。
四年生の時の先生は、とてもいい先生だった。三年生の時と同じでとても若い先生だったが、優しくて、頭のいい先生だった。化粧がとんでもなく下手だったけど、それも含めて、親しみやすい先生だった。私はその先生にものすごく甘えた覚えがある。色々とわがままを言って困らせた覚えもある。
五年生の時の先生は二年生の時と同じ先生。相変わらずだった。普通に、いい先生だと思う。厳しいけど、決して自分のことを例外化したりはせず、生徒たちからはあまり好かれていないけれど、頼りになる先生だった。先生らしい先生だった。
六年生の時の先生は……複雑な先生だった。六年間で唯一の男の先生で、それまでの四人の先生よりも、はるかに頭のいい人だった。頭が良くて、情緒豊かな人だった。人間的には優れた先生だった。よく体調を崩す人でもあった。寛容で、演技染みたところもある先生だった。生徒たちから人気のある先生だった。
だからこそ、私はその先生のことが気に入らなかった。というのも、その先生は……いや、この問題はとても難しい。私はその先生の、教室を運営する態度が気に入らなかった。その先生の立場に立ってみれば、それは何も間違ったことではないと思う。色々と、問題のある生徒の多いクラスだったから、気苦労は絶えなかったのだと思う。今思えば、もっと気遣ってもよかったと思う。
私は六年生の時、何度か問題を起こした。精神的に荒れていたのだ。……クラスメイトの数人の友達を除いて、それ以外の子たちが大嫌いだった。言っていることとやっていることが矛盾しているのは当たり前だし、すぐに私のことを悪く言うし、そのくせ綺麗ごとを言うし。ずるいことをやって人を罠にはめたり、相手が嫌がる下品なあだ名をつけて喜んだり。私自身にもかつてそういう部分があったからこそ、余計それが許せなかった。
私は正義感が強い、と言われた。でも私には正義なんてなかった。
君は人を見下している、と言われた。でも私は、彼らを見下してはいけない理由が分からなかった。
何もかも、気分が悪かった。その先生はいい人だったし、いい先生だった。逆に言えば、そういう先生がいたとしても、醜い人間の醜さは変わらないのだという事実が、私を苦しめた。恨んではいない。むしろ感謝してる。でも……つらい一年だった。嫌なことがたくさんあった。でもひとつひとつをうまく思い出せない。たくさんの人が傷ついた。傷つけ合った。多分みんな、自分が傷ついた出来事だけを覚えていると思う。私は自分が傷ついたことすら、うまく思い出せない。ただ、覚えているのは……みんなそれぞれ苦しみ、悩み、その中で生きていたということだけ。どんな醜い人間も、醜いなりに、何かを考えて、つらい思いをして生きている。それだけは、当時の私だって分かっていた。分かっているからこそ、気分が悪かった。
どうしようもないじゃないか。私はその時、決定的に、はっきりとした無力を感じたのだ。
最近、小学校の時の卒業文集を読む機会があった。
「生まれ変わったら何になりたい?」という質問に対して、皆がそれぞれどう答えるか、という企画を見つけた。ある人は異性になってみたいと答え、ある人はお金持ちに産まれたいと答えた。もっと美人に産まれなかったと答える人もいれば、動物になってみたいと答える人もいた。
そんな中、私だけが「自分以外の何かにはなりたくない」と答えていて、我ながら驚いた。また別の問「タイムトラベルできるならどこに行きたい?」という問いに対して、私は「どこにも行きたくない」と答えていた。
あまりにも空気が読めていないし……その女らしくない右肩上がりの太い字が、どうにも、その明るくデザインされた軽い企画に不似合いで、やっぱり私は、なんだか……肩身が狭い思いをしていたのだろうと感じた。
実際、今同じことを聞かれても、私は同じように答えると思う。当時私がそれをどんな気持ちで書いて提出したのかは一切覚えていないのだが、今の私なら、自分以外の何かを背負うのは、あまりにもつらいから、そう答えるしかないのだ。もう一度別の人生をやり直すなんて、ごめんだ。苦しくて、耐えられない。タイムトラベルもそうだ。今この瞬間を耐えるのに精一杯なのに、これ以上状況を厄介にしたくない。私は別に強い人間なんかじゃなくて、ただ自分が自分であることだけで、もうそれ以上のことはできなくなってしまうから……
こまごまとしたいろいろな出来事はあったと思う。人を泣かせることは多かったと思う。友達と言い合いになることも多かった。先生に怒られることも、女子にしては多い方だった。怒られるのが怖くなかったし、傷つくことも怖くなかった。慣れていたのだ。
中学校に入って……同級生たちは、さらに醜くなった。私の心はさらに荒んでいった。話はどんどん通じなくなっていく。あぁそうだ。本を読む時間が増えた。学力によって、人間としての価値を判断されることが増えた。
小学生の間は、頭の良さよりも、運動能力や人当たりの良さ、口のうまさや外見、体格によって、高い低いを判断されていた。そこに「学力」が追加されるようになった。私の通っていた中学校は(小学校もだが)裕福な住宅地街にあったから勉強にプレッシャーをかけるタイプの親を持つ同級生が多かったのだと思う。先生にも、学歴の高い人が多かった。不良、というのは学年にひとりかふたりくらいしかいなかった。
ちょっとした男子同士の殴り合いで全校集会が開かれるくらい、治安のいい学校だった。言い方を変えれば、規律重視の、堅苦しい学校だった。
私は、勉強が得意だった。テストで全学年トップの成績を取ることも何度かあった。容姿もまぁまぁだったから、モテた。何人かの先生も私を気に入っていた。私自身も、人との関り方が分かってきていたから、基本的に頭を下げつつ、時々自分の意見を控えめに口にする、という優等生らしい態度が板についていた。
男という生き物のアホらしさも理解していたから、変に付きまとわれないように、ほどほどに「変人」を演じた。あえて、悪口を言われるようなことをしたこともある。女子たちからの嫉妬もめんどくさかったから、ほどほどに「変わり者」を演じた。
思春期の女はめんどくさいもので、自分たちとよく似た女により強く好意と敵意を同時に抱き、そいつらが自分「たち(そいつらは群れないと何も言えないのだ)」を先んじようものなら、こぞって悪い部分を探し出して、チクチク突き刺す。逆に言えば、本質がまるっきり異なっていることを最初に示してしまえば、攻撃される心配はない。生きている世界が違うのだと思わせれば、何かひどいことを言われることもないし、変に仲間に入れようとしてきたりもしない。
私はほどほどに誰とでも友達として付き合った。めんどくさいタイプの女の子のグループでも、グループ外の人間に対しては親切にすることが多く、評価対象でもあるため、傷つけたい相手ではない。だから、一応そういう子たちとも「トモダチ」ではあったし、時々一緒に遊びに行くことはあった。男子たちとも「トモダチ」ではあった。私から誘って遊びに行くこともあった。「もしかしたら彼は、意外とよくものを考えているかもしれない」という期待を持って、気になっている人をデートに誘ったことも何度かあった。全部失望に終わった。
私は目立っていたと思う。でも、それは多分、悪目立ちだったと思う。自分なりにうまくやっているつもりだった。周りの人間も「優秀で自分勝手だけど、最低限の協調性はあるので問題ナシ」とみなしていたと思う。
あ、そうだ。私は部活に入らなかった。上下関係が嫌いだったし「みんなで何かをやる」がそもそも苦手だった。私は帰宅部だったが、それを恥じたりはしなかった。運動をするのは好きだったから、中学時代は毎日個人的に筋トレとランニングをしていたし、体力測定では運動部の子よりもいい結果を出すことも多かった。
何かスポーツをやっているのかと聞かれることは多かったが、私は本当に何もしていなかった。実はそれが少し、誇りだった。ストイックな自分が好きだった。
嘘つきだったと思う。いつも嘘をついていたと思う。もちろん、できるだけ場を穏便に済ませるための、嘘。誰かを傷つけたり、損をさせるための嘘は、ほとんどついていないと思う。少なくとも記憶にはない。
ただ何というか、何もかもが嫌になっていた。
あぁ学校生活をは別に、帰宅部だから時間だけは豊富で、ネットで色々暇をつぶすことが多かった。色んな人と関わることも多かった。大人のふりをしてみんなと関わっていた。女子中学生であることを、ずっと隠していた。ある時は女子大生のふりをしたし、また別の時は人妻のふりをした。男のふりをしていたこともあるし、トランスジェンダーのふりをしていたこともある。体が男で心が女のふりをしていたこともあるし、その逆のふりもある。色んな人間のふりをしてきた。
現実の人間関係とは全く別のものにしたかったから、同級生がやってそうなサービスは避けるようにしていた。できるだけ、スマホからはアクセスしづらいようなコンテンツを好んでいた。オンラインゲームとか、昔からあるチャットサイトとか。
何でもいい。そういうのも、何年か続けたのち、気分が悪くなって全部やめた。(実は小学生のころからそういうのをしばしば楽しんでいた)
語る必要のないことはたくさんある。でも何を語るべきなのか分からないから、ただ適当に語り続けている。思ったことを、思ったままに。あったことを、あったままに。思いつくことを、思いつくままに。
本音で語れる友達は、ひとりもいなかった。今もひとりもいない。でも私は、ほどよく自分を隠し、ほどよく本音を語ることができる人間だから、周りの人間は私が何かを隠し過ぎているとはあまり思っていないようだ。
私は人から変人として扱われるし、自分もそれでいいと思っている。私はただ「普通」と「自分」の中間をうまいことを演じているだけなのだが。
それも疲れるのだけれど。
今回はここまでにしておく。