船見はなぜモテるのか【ショートショート】

「おい船見! 下級生の子が呼んでるぞ」
 朝のホームルーム前、山口はクラス中に聞こえる大声でそう叫んだ。
 呼ばれた船見はため息をついて、ノートを閉じて静かに立ち上がった。
「あの、船見先輩」
「何?」
「その、前に借りてた本、返そうと思って。読み終わったので」
「部活の時でよかったのに……あ、そっか。テスト期間で部活ないのか」
「はい。その、それで……テスト期間中に読んだ内容忘れちゃうと思うんで、今のうちに話がしたいなぁと思って。その、迷惑だったらいいんですけど……」
 ヘミングウェイの、老人と海。それを船見は受け取る。先ほどの流暢なセリフは、この教室に来るまでの間に慎重に考えて選んだ言葉。
 船見は頭を掻いて、どうしようかと左上の方をぼんやり眺めて考えた。少しめんどくさいと思ったのだ。
 一年生の背の低い文学少女は、目をらんらんと輝かせて船見を見上げている。船見は断るとき、即座に断る。それを彼女は知っていて、彼が返答に迷ったその時点で、いい返事が聞けることを確信したのだ。
「昼休みの時でいい? 飯食ったら図書館前で待ってるよ」
「はい!」
 嬉しそうにその子は頭を下げて、足早に去って行った。船見はそんな背中を満足そうに眺めながら、教室に戻った。山口のせいで皆が自分たちに注目していたことを思い出したが、それを恥ずかしがったりはせず、むしろそれが自分の自己顕示欲を満たしていくことを自覚した。自覚してこそ、そういう感情が周りに伝わることを防ぐことができる。
 船見は無表情を努め、席に着き、ノートを開いた。中断した課題を再開するのだ。ペンを握ると、自然と思考は研ぎ澄まされる。課題を早く終わらせて、読みかけの本を早く読みたい。船見はその一心で、がりがりと必要なところに必要な文章を書き殴る。
「おい船見!」
 山口は、船見にまずは中くらいの声で話しかける。船見の耳には届かない。
「ふーなーみ!」
 山口は、机を叩きながら、今度は大声で。
「何?」
 船見は不機嫌そうに、顔を上げる。
「さっきの子、部活の?」
「うん」
「あれ、多分お前のこと好きだろ」
「かもな」
「告られたらどうすんの?」
「多分断る」
「かーっ! 結構かわいい子だったじゃん」
 山口は心底信じられないといった表情で笑う。
「お前、もしかしてゲイ?」
「うるさいなぁ」
 別にそういうわけではない。
 船見は自分になついている書道部の後輩を、妹とペットを足して二で割ったような存在だとみなしていた。かわいらしいと思ってはいたが、決して対等だとは思っていない。
 船見は自分の欲望を満たすために他人を使うことをどんなときもよしとしない男だった。たとえ自分がその女性に性的な魅力を感じていたとしても、その関係が長続きしないことが明白であったならば、きっぱりと断るだけの余裕と強さが備わっていた。
 船見は、いい意味でも悪い意味でも誠実な男なのだ。
「お前、ひと月前の文化祭の時も他のクラスの子に告られてたよな」
「そんなこともあったな」
「なんでなん?」
「何が?」
「なんでお前、モテるん?」
「そんなん好きになった本人に聞けよ」
「ほんとに聞いてきたろか? 失恋した子に『なんであいつのこと好きになったの?』って」
「それで株落とすのはお前だけどな」
 船見は心底うんざりといった表情で、課題に戻った。だが山口は、まだ船見と話したがっている。なんだかんだいいつつ、船見の辛辣ではあるが悪意のない言葉は、山口にとって刺激的かつ心地よかったのだ。
「なー。モテるコツ教えてくれよ。俺もお前みたいにモテたい」
「知らんわ。つーか、そういうのは俺じゃなくてクラスの女子にでも聞けばいいじゃん。どういう男がモテるんですかって」
「よっしゃ」
 山口は許可を得たとばかりに周囲を見渡して、暇そうな女子の三人グループに目を付けた。机の上にだべーっと体を押し付けている子と、その子の背中の上でなぜか手を握っているという意味不明な状態にある三人を。
「なぁなぁ」
「どうした山口」
 右側の子が、答えた。
「船見ってモテるじゃんか?」
 山口の声は、小さい。女子と喋るときは、少し緊張するのだ。
「ま、そうみたいだね」
「なんで?」
「知らん。みぃちゃん分かる?」
「船見君? んー。前生物の授業の時同じグループになったけど、あれよね。優しいよね。私がプレパラートぶっ壊したとき、何も言わずぞうきん持ってきて掃除手伝ってくれたし、先生に私の名前出さず冷静に状況説明してくれたし。私、彼氏いるからアレやけど『こいついい男やなぁ』って思ったで」
「船見君やるやん」
 机に突っ伏している子が、そうつぶやいた。
「マジか。まぁ確かに、船見のやつ悪態付きながらだけど、いつもノート頼んだら貸してくれるしな。字汚くて全然読めねぇけど」
「船見君、字汚いよね。書道部なのに。あと数学の時のYの書き方が独特。あれなんでそんな書き方するのか聞いてきてくれない?」
 山口は、課題に集中している船見の後ろから、大声で叫ぶ。
「船見! お前なんで数学のY、変な書き方す「手癖」
 食い気味に反応したのと、あまりにもシンプルな答えであったので、四人は思わず小さく笑う。船見もちょっとつられて笑った。
「船見お前聞いてたろ」
「そんな大きな声で人の話する? 君ら」
「聞いてこいっていったのお前じゃん」
「めんどくさすぎる……」
 そう言いつつ、船見はくっくっくと笑う。喋りながらも手はずっと動いている。
 ホームルームの時間が近づいてきて、皆それぞれ自分の席に戻っていった。


 容姿は普通。人付き合いもうまいわけではない。勉強はよくできるが、何か特殊な技能があるわけでもない。
 それでも、船見由人はモテる。
 誠実で飾り気のない性格と、細かいことは気にしない大らかさ。自分というものを貫く意思の固さ。彼の長所は少なくない。
 口数はあまり多くないが、声は低くよく通り、決して我を忘れて騒いだりしない大人びた雰囲気も、彼の魅力であった。

 

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