言葉がうまく頭の中に入ってくれないことがある
読書をしていてもいまいち集中できない。それを示すのは、自分が今読んでいるところの三行前を読み直してみて「あれ、数秒前に読んだはずなのに、まるで初めて読む文章みたい……」と感じた瞬間だ。
明らかに、読み飛ばしている。無意識的に、言葉をただ目でなぞっただけになっていて、理解や記憶がほとんど働いていない。
ただぼうっとページをめくっているだけ。私はため息をついて、本を閉じる。こういう時は、自分がやりやすいことしかしない方がいい。変な癖がついたら、直すのが大変だから。特に文章を読み飛ばす癖は、「分かったつもり」を誘発する。できるだけ、避けた方がいい。
ふと、多読する人は基本的にみなそういう傾向にあるのではないかと思った。読んだ内容を全て記憶し理解できるわけもないし。(それは誰もがそうなんだけど、その割合が過度なのではないか?)
ただ口に出して読み上げるように本を読むだけという人もいると思う。興味のない人の話を聞くように文章を読む人もいると思う。というか、新聞やネットニュースを読むようにしか文章を読めない人は多いと思う。と、すると……他人の誤読に気づける人はこの時代少ないから、たとえ自分が誤読していても「俺はちゃんと読んで理解した」と主張すれば、実際にそれで読んだことになってしまうのではないか、と思った。
たとえば私が読んだことのない本の内容について語っても、それを読んだことのある人からしても、私が知ったかぶりしていることに気づかないのではないか、という話だ。
あまり考えたくないことだ。
他人からどう見えるか、ということを基準に考えると、ものごとを学んだり知識を吸収したりすることの意味のほとんどが消失してしまうような気がする。他人に対して、アピールしたり、優位に立とうとするために知識を得ようとするのは、本当に……知識に対する不敬であるような気がする。
知るために知る。理解するために理解する。私はそうでありたい。
文章は、読むこと自体には意味はない。読むことによって、自分が豊かになっていくことが重要なのだ。自分が広くなっていくのが重要なのだ。他人にとって、ではなく、そこに「在る」自分として。
なんてことを言いつつも、今日の私はあまり頭が回らなくて、昔自分の書いた文章を振り返ることすらままならない。
こういう時は、昔の自分が何やらすごく難しいことを考えて、言っていたように思えてしまう。
人間の能力は、気分や調子によって大きく変動する。今日の私は疲れている。
思いついたことをそのまま言葉にしていくこういう書き方は、ある意味私にとっての「ミニマム」なのかもしれない。これだけは、どんな調子の時でもできる気がする。
私、物語を書くのって、ただ自分の意見を述べるのよりもはるかに難しいし、エネルギーを使うことだと思ってる。向き不向きなのかもしれないけれど。
少しでも調子が悪いと、全く言葉が浮かばなくなる。なんだか息苦しいな。
しかし私が驚くのは、ほとんどの人にとってただ自分の気の赴くまま筆を走らせるというのは、なかなか重労働であるらしい、という事実だ。
「ただ書くだけでいいなら、いくらでも書ける。楽しいかどうかは置いておいて、ストレスなく書き進めることができる。それが当たり前」
私にとって一番確からしいことは私の感覚だから、どうしても私の中の「普通」はそういうところに基準を置こうとする。でも、身の回りの人や、他の文章を書くことが趣味の人を見ていても、私と同じように感じている人間は、かなり少数だ。(でも少数ながら、呼吸をするように文章を書く人は、確かに存在する)
人間の能力や性向というのはやはり人それぞれ全然違うということなのだろう。私は毎日何時間も単純作業を続けられる人の気持ちが一切理解できないし。(三時間くらいやるだけでも、発狂しかける)
でも世の中には、そういう単純作業に喜びを感じたり、リラックスできる人がいたりする。というか、おそらく文章をすらすら書ける人よりも、はるかに数が多いと思う。
実際、そういう作業をするだけという娯楽が世の中には結構たくさんあるし。友達に勧められたこともあるし。クリッカーとかね。あれ、入眠と起床にはいいかもしれない。
もしかすれば、私が寝起きの微睡んでいるときのような状態のままずっと日中過ごしているような人が一定数いるのかもしれない。
それか、私が幼稚園児だった時のような精神レベルのまま? ちょっと馬鹿にしすぎかもしれないけど……それが事実だったら、私はそういう人に対してどのような態度を取ればいいのだろう? まぁそれに関しては深く考えても仕方ないんじゃないかな。
結局私は私自身の能力や感覚を基準に生きるしかないし、その方がいい。他の人のことを見るのは、時々でいい。
あてもなく歩きつつ、時々地図を見て自分の現在地を把握するような、それくらいの頻度で他人の基準を見ることが出来たら、気分よく生きることができそう。
私は今、どこにいる?
私の感覚では、海から陸に上がったばかりだよ。