イカロスと酔っ払い

 ある酔っ払いの女性が、大声で何かを主張している。なんだか面白そうだ。皆で聞いてみよう。

 イカロスは蝋で固めた翼をはばたかせ、太陽に向かって飛び立った。高く高く、まっすぐに、純粋に、希望を内に秘めて。しかし、太陽の熱で翼は融けてしまう。イカロスは地上へ真っ逆さま。ぺちゃんこに潰れて、ある人はその姿を悲しみ、ある人はその姿を嘲った。君たちは、イカロスは何を間違えたんだと思う? この物語の教訓は何であると思う?
 そもそも太陽に近づこうとすること自体が功利主義的でない? 馬鹿な。お前はそうやっていつもいつも幸福だの利益だのわけのわからないものを追いかけて、嬉しそうに私と一緒に酒を飲むじゃないか。酒を飲んで、仕事だりぃって! お前が幸福だの利益だの口にするのを見ると、私は吹き出してしまいそうになる。お前はどう考えても、幸福なんかより、酒とテレビドラマの方が好きじゃないか! 幸福のために生きてるのではなくて、酒とテレビドラマと私の演説のために生きているじゃないか!
 まぁ、酔っ払いのことは置いておこう。お前も酔っ払いだろうって? うるさいなぁ。私の体は酔っているかもしれないが、私の心までは酔っていない。分かるか? つまり、私の口は酔っているかもしれないが、私の言葉は酔っていないのだ。だから君たちは、私の話を聞いているのではなくて、私の口からこぼれた真実を聞いているのだ。お前が語っているのは真実じゃなくて物語だって? はー! お前たちは本当に物分かりが悪いな。物語の中では真実も物語に変わるんだ。つまり、その間に明確な境界はない。ふひひひ。
 えっと、それで、話を戻すぞ。お前たちは、イカロスはなぜ失敗したと思う。おお少年! そんな天まで届くような勢いで手をあげると、太陽に近づき過ぎたせいでその手が融けてしまうかもしれないぞ? 笑うな笑うな。私は本気で言っているのだから!
 何々? 熱に弱いもので翼を作ったのが失敗だった? 鉄で作れば、太陽にたどり着くことができたって? ふぅむ。なかなかいい意見だ。だが少年、果たして鉄の翼で羽ばたくことはできるだろうか? 鉄は重すぎて、鳥のように飛ぶことはできないのではないか? あぁ少年、泣かないでくれ。君は間違っていない。少なくともあそこでべろんべろんになってるコーリシュギマンより、君はずっと賢いぞ。君は、自分の頭で答えを出そうとした。私は君に敬意を表したい。あぁそうだ、これを上げよう。とある回転寿司屋のガチャガチャで手に入れた意味不明なフィギュアだ。ほら、この足の部分が動くんだぞ? 面白いだろ? え、いらない? 私もいらないんだ。貰ってくれ。
 よし。では他の意見はあるか? おお、無職の君、答えてくれたまえ。有機化合物? あぁ面白いことを言うなぁ。鳥の翼を再現し、科学技術によって腕と神経をつないで? うんうん。今の技術では無理でも、将来できるようになる。つまりイカロスは、科学の研究をすべきだった、と? 面白いことを言うなぁ! 君は作家の才能があるかもしれない。何? 作家志望だって? 皆、未来の大先生に拍手を。おいおいおい。彼が無職だからといって、差別するのはよくないぞ。よく見ろ、彼の目の輝きを。少なくとも諸君の疲れ果てて濁った目よりも、希望を感じさせるぞ? まぁいい。だが無職君。君の意見には致命的な欠陥がある。科学が発達すれば、大気圏というものが存在することも判明してしまう。イカロスの肉体がどれだけ鳥に近くなったとしても、彼の目標は鳥のように空を飛ぶことではなくて、太陽にたどり着くことだ。鳥は大気圏の外に出ることはできない。君の意見だと、太陽の熱で翼が融けてしまうことはないにせよ、大気圏を超える前に、彼自身が燃えつきてしまうぞ? 何? 体を鋼鉄製のサイボーグにすればいい、だと? 宇宙空間に出ても呼吸できるように、酸素ボンベを背負って? 食料も一緒に持ち込む必要がある。確かに。だから、いっそのこと何か乗り物を作ってそれに入って太陽まで連れて行ってもらうのが合理的? 君の言っていることは確かに正当性がある。皆もそう思うだろう? おお少年、なんだい? ロケットにすればいい? 確かに。それなら大気圏の外に出られる。協力者を募って、お金と技術を結集させれば、少なくともあの忌々しき大気圏を超えることができる。イカロスの人望なら、確かに可能かもしれない。

 二人の意見は確かにイカロスに新しい翼を与えた。だが諸君はひとつ、文字通り致命的なことを見落としている。どんなに熱に強い物質でロケットを作って、すさまじい出力と速度で太陽に近づくことができたとしても、太陽というのは、桁違いに熱い。どんなものでも瞬時に融かしてしまうほど、熱い。蝋を融かすどころか、どんな鋼鉄をもいともたやすくドロドロに溶かしてしまうことだろう。私の考えでは、どれだけ科学技術が発達しても、太陽に固体のまま触れることは不可能だろう。
 おお文学者君。君が意見を言うなんて珍しいな。何? イカロスは、太陽とひとつになることを欲していたのだから、太陽に融けたあと、死んで液体になって太陽に飲み込まれるなら本望であろうって?
 あ、古典文献学者君も意見があるのか? 何? イカロスはそもそも逃げるために翼を作ったのであって、太陽に近づくためではない? へーそうでなんだ。ではなぜイカロスは墜落した? 調子に乗ったから? え? イカロスの話ってそんなしょうもない話だっけ? ちょ、ちょっとネットで調べるから待ってて……

 うーん……酒を飲もう! 無謀なる英雄イカロスに乾杯!

 こうして、想像の翼は固められては融け、最後には酒になって私たちを喜ばせましたとさ。がぶがぶ。(※未成年なので飲んでいるのはフルーツ牛乳です)

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