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Getting Over Itという体験

 このゲームは少し古いゲームだ。私が学校生活に苦しんでいたころに流行っていたもので、当時の私は存在は知っていたが、こんなくだらないゲームに使っている時間はないと、興味を持ちつつも全く触らないでいた。

 知っている人も多いと思うが、一応説明をしておこう。一言で言えば、めちゃくちゃ扱いづらいツボに入った変な人間を、意地悪な構造の山に登らせる、というゲームだ。基本は苦痛ばかりだが、超えられなかった場所がだんだん簡単に超えられるようになっていく過程には大きな達成感があり、多くのプレイヤーを魅了した。

 ゲームの説明欄にはこう書いてある。
「特定の人に向けて、誕生した、ゲーム。特定の人を、傷つけるために」
 全くその通りだ。

 私がなぜ今更このゲームに挑戦しようと思ったかというと、自分の人生があまりにも無意味であることに気づいたからだ。学校をやめて、将来の見通しが完全に暗くなって、何もない日々に退屈して、色々な楽しいゲームにも飽きて、読書は続けているけど、どこか息苦しさしか感じられなくて、そんなときに、そういえばこのゲームをまだやってなかったなと気が付いたのだ。
 あの時とは違い、今の私には時間だけがある。他には何もないけど。


 それは私が思っていたよりもずっと簡単に進んでいった。当時、私のせっかちな興味はこのゲームに関する何本かの動画を見て私を満足させていたし、そこで見た印象は「吐くほど難しくて、何度も何度も放り投げてしまうようなゲーム」というようなもので、実際自分もそうなるだろうなと思った。
 でもあらかじめそう思っていたからか、あるいは昔に見た動画のクリアの光景が記憶に残っているおかげで、難所を超えるのにかかる試行錯誤の時間が短縮されたのがよかったのか、私はこのゲームを二十時間ほどでクリアすることができた。一週間ほどかかったが、なかなか楽しかったし、意味があったかと言われると分からないが、少なくとも……その時間の中で、私は私自身の苦しみを忘れることができていた。

 それは空しい努力なのだが、その空しい努力から得られたものは「その空しい努力というのは、何が対象であっても構わない」という知恵だった。

 別に空しくっても構わない、ということでもある。こんなくだらないゲームに何時間もかけて、真剣になって、クリアして、達成感と虚無感に浸って、そういう感情を肯定している自分がいるのは、そんなに気分の悪いものではなかった、ということだ。

 貴重な体験であったと思う。でも多分、二度とやらないと思う。

 これは、この「Getting Over It」というゲームを体験する前に「クリアしたあとはこのように考えるのではないか」と想像して書いた文章だ。
 私はこれからこのゲームをとりあえずクリアするまでやってみる。そこで何を感じるかは、まだ分からない。それを記録して、この予想とどの程度合致しているか確かめてみたいと思う。
 ご期待あれ、と言っても他の人はそんなことにあまり興味がないと思うから、私自身が私自身に対して、期待することにする。

 途中でくたばったら笑ってくれ。
 違うな。笑うことにしよう。

 終わりました。昨日買って今日クリアしました。プレイ時間は9、4時間。長いのか短いのか。予想していたよりは短かった。

 やっている最中色々なことを考えてたけど、あんまり覚えてないな。

 序盤は、とりあえず失敗は気にせず数をこなすことだけを考えた。こういうのは頭を使って云々するより、自分の動かしたいところにハンマーを動かせるようになるのが重要だし、落ちても全然気にしないことにした。
 ナレーションには全然苛立たなかった。
 ふと「人はものごとがうまく行かないと腹が立つ生き物だが、自分自身のふがいなさややっていることの無意味さに怒りを覚えるとやめてしまいたくなるが、ナレーションにその怒りの方向性が向かうなら、何とかやめずに頑張れるから……そういう役割も果たしているのかもなぁ」と思った。

 私は格言とか金言の類はそこまで好きじゃないし、古い音楽にもあまり興味はなかったけど、この男の人の声、結構好きなタイプの声だったから、落ちすぎて聞こえなくなってくるとはじめからやり直したくなったし、一回だけ最初からにした。お兄さんいい声してる。

 詰まるところは詰まったし、攻略法とか調べたい誘惑にかられた時もあったけど、何とか最後まで何も見ずにクリアすることができた。
 途中、うまく行かなくなってくると昔の友達が私に言った酷いこととかを思い出して、ちょっと嫌な気分になった。ユング派的には「シャドウ」がうんぬんなのかなぁとか、色々考えてたけど……
 まぁその人は、常に何かを馬鹿にしたくて仕方がないような人だったんだよ。年上の女の人だったんだけど、虚言癖っぽいところもあって、数少ない私から縁切った人なんだけど……まぁどうでもいいね。


「特定の人に向けて、誕生した、ゲーム。特定の人を、傷つけるために」
 こういう説明だったけど、私はこのゲームではあんまり傷つかなかったな。どこに傷つく要素があるのかも分からなかった。
 難しいし、気分の悪い仕掛けとか構造とかもあるんだけど、別にそんな悪質なものでもなかったし、アクションゲームとしてまずよくできてた。親切かどうかは分からないけど、でも「あぁここにこのでっぱりあって助かるわぁ」みたいに思うこと多かったし、製作者に対する敵意みたいなのは一切なかったな。
 イライラすることはあったけどね。一番イライラしたのは、何度か抜けられたことのある難所の超え方が分からなくなってそこで一時間とか二時間とか(体感。ほんとはもっと短かったかも)手間取った時かな。
 なんか同じ場所でずっと引っ掛かっていると、進めている感じがしなくてきつくなる。
 難しくても、少しずつそこを抜ける方法が分かってきて何度もトライすること自体は楽しいんだけどね。

 あとやってて思ったけど、私はものごとがうまく行かないことに慣れてるし、はじめからやり直しになるのも全然嫌じゃないんだなぁって思った。
 真っ逆さまに一番最初のところまで落ちたのが何回かあったけど、その時感じたのは「めんくさい」とか「しんどい」ではなくて「リフレッシュになるな」だった。だって、同じ難所で何回も失敗してると、なんか別の難しいところやりたくなってくるし、そういう意味では最初からやり直しになるのは、そんなに嫌じゃなかった。初めの時に苦戦した場所をスムーズに一回で行けるのは気持ちよかった。成長を感じられるし、難所でつまづいて失っている自信ととやる気を取り戻せる。
 私ってめっちゃポジティブな人間なのかもなぁって思った。

 あとまぁ、プライドっていうのもあったと思う。「思ったよりも簡単だった!」って言いたいなぁと思いながらやってる時間は長かったと思う。簡単ではなかったですハイ。

 途中でやめようとは思わなかったな。初日は腕が痛くなったのと夜遅かったので寝たけど、二日目である今日は朝からずっと休みなくやってた。普通に楽しかったし、元気出た。

 でも二回目はやんないかな。そんな何回もやるようなゲームではない気がする。

 で、苦しみについてなんだけど、そうだね。やっぱり何らかの目標をクリアするために集中している時は、一切の曖昧な苦しみとか空しさを忘れて、上機嫌でいられる。こういうくだらないゲームでも、いや、くだらないゲームだからこそ、かな、人生を耐えるのに役立つのかもなぁ、とは思った。

 こうやって感想書いているのも楽しいしね。まぁ、時間と精神的体力に余裕のある人にしか勧められないゲームだけど、もし仕事やめて、どうせだからこの世で一番無意味なことに真剣になってみたいって人がいたら、このゲームを勧めるかもしれない。

 はぁ~疲れた! 


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