嫉妬についての考察①


 嫉妬という感情を突き詰めたいと思う。
 私はこの感情に今までそれほどちゃんと向き合ってこなかった。

 何となく「いいなぁ」とか「惨めだなぁ」とか思うばかりで、それがどのようなものなのか具体的に考えたことがなかった。
 どのようになり得るのか……


 多分最初に私が感じた嫉妬は、「賢さ」に対するものだったと思う。テレビ番組で「天才」とかって呼ばれている私より少し年上の子が出ている時、私は確かに嫉妬していたと思う。
 父と母が「すごい」とか「立派」とか、そういう感想を言うと、嫉妬はさらに強くなった気がする。

 私はよく喋る子供だったけれど、感情表現は苦手だった。そういう時何を言えばいいか分からなくて、涙を堪えて……私はそのあとどうしたのだろう? 
 障子を破った覚えはある。なんかむしゃくしゃして、パンチして破った記憶がある。でもそのことで怒られた記憶はあまりない。お母さんが優しく「○○ちゃん、どうしてそんなことしたの?」と聞いてくるから、私は正直に「覚えてない」と答えるだけだった。もし覚えてたら、正直になぜそうなったか言っていたと思う。
 私はあまり怒られずに育った。でもしつけはちゃんとされていて、お仕置きはあった。
 お仕置きというのは、別に厳しいものでも押し付けるようなものでもなく、ただ普段存分に与えていた愛情をしまい込んで、隠してしまうということだった。
 私にとってそれはとても恐ろしい事だった。悪いことしてしまった日、お父さんもお母さんも私の言うことにほとんど反応をしてくれなくなって、私は何度も泣きながら謝るのだ。

 あの教育法の是非はともかく、何か悪いことをしたら人に構ってもらえなくなったり親切にしてもらえなくなったりするものとして幼少期を過ごした。実際それは間違っていないし、おかげで友達とは仲が良くて、大人たちからの評判もよかった。

 それから嫉妬については……自分のものよりも、他人のそれを感じることが多かった気がする。私は勉強がよくできたし、男の子にもよく好かれた。運動もそれなりにできたし、何より毎日を幸せに過ごしていた。
 皆私を褒めてくれる。私を大切にしてくれる。私を特別扱いしてくれる……でも年をとれば、そういう程度はどんどん下がってくる。皆、意地悪を上手にやるようになる。大人にばれないように、相手がより傷つくように。

 私は自分が嫉妬することよりも、人から嫉妬されることの方を恐れた。でもだからといって、人から注目される自分、優れていると思われている自分を捨てるつもりもなかった。
 だからできるだけ「いい人」でいる必要があった。それに同じことを考えている子は常にクラスに何人かいたのも私は知っていた。
 そういう子たちと私は別に特別仲がいいわけではなかったけど、暗黙の仲間意識があったと思う。お互いの邪魔をせず、平穏無事に日常を過ごす。目立ち過ぎず、かといって全く埋もれてしまわないように、それなりに成果をあげつつ、楽しく日々を過ごす。

 中学のテストで、クラスの他の子に負けたら悔しかった。男子に負けた時より、女子に負けたときの方がより悔しかった。半泣きになることもあった。対抗心を持った。次はもっと勉強しようと思った。
 でもそれは嫉妬というより、自分自身へのふがいなさゆえだった気がする。
 それはただ「私は一番じゃなくちゃいけない」という謎の自負故だったと思う。それを捨てた今、そういう対抗心はほとんど湧いてこない。
 何か勝負に負けてもなんとも思わないし、たとえ平均以下だと言われても「ほーん。そうなんだ」としか思わない気がする。他者からの評価も、自分からの評価もある程度定まっているからかもしれない。ちょっとやそっと外から何かを言われたって何とも思わなくなった。

 ともあれ嫉妬は、それに反して強くなっていった気がする。誰に対してと言えば、多分……幸せそうな人。
 すごく彼氏と仲が良さそうな同世代の女の子。別にその子が知り合いかどうかも重要じゃない。ただ、その人と結婚するつもりだと本気で語り、実際にそうなっていくような予感、思い出話、噂、作り話、なんでもそういうものに強い嫉妬を感じるようになった。
 私には絶対に手に入らないもの。それを無理に手に入れようとすると、ひどい目にあうと分かりきっているもの。
 運命が与えてくれる幸運。全ての厄介な面倒事から離れることを何とも思わない、完成された幸福。
 恋についての憧れというよりも、多分……幸福への憧れだと思う。そこにある熱い駆け引きだとか、恋焦がれる気持ちとか、そういうのではなくて、ただ一緒に時を過ごして、これからもずっと一緒だと確信して、手を繋いで、頬を寄せ合って、お互いの体温をずっと感じ合うような、そんな時間が、羨ましくて仕方がない。
 想像するだけで胸がぎゅっと掴まれるような気持ちになる。そういう日々が、自分にもあったことにしたかった。
 私に能力や運がないから手に入らなかったのではなく、私がそれを望んで捨てたのだと思いたかった。そうでないと、この嫉妬に狂いそうだと思った。
 それも後付けの理由かもしれないけれど、でも確かにあの憧憬は……私に強い感情を呼び起こさせる。

 世界は二人だけで完成されている。それ以上のものは、大きすぎる。私の女性的な部分はいつも私にそう語る。ずっと、それだけを望んできたような気さえする。

 他の能力的な嫉妬は、別に大したものではない。財産も地位も名誉もめんどくさいだけだし、あんまり興味もない。そういうのに嫉妬したことはほとんどないと思う。ひとり旅に行きたいとか、宮殿を建てたいと、そういうきまぐれな衝動がやってきたときは、お金持ちや権力者に嫉妬することはあるけれど、そんなのは次の瞬間にはもう忘れてる。
 歌がうまく歌えないから、歌が上手い人を見ると歯ぎしりしたくなるけれど、綺麗な歌声を聞いているとそんな気持ちどうでもよくなる。私は結局歌が好きなだけなのだ。この嫉妬は、努力が実らないことに由来している気がする。
 まぁこれも後で深く掘り下げられそうだけど、今はいいや。


 嫉妬……なんだかよくわからないな。これは欲求不満の一形式のようにも思えるけれど。
 欲しい対象が手に入れば、嫉妬はしない気がする。でもそれは別の形になって現れるような予感もある。
 つまり、束縛として。パートナーが他の人をちょっと気にかけるだけで、馬鹿みたいな感情に襲われるっていう。
 もしそうなってしまうとしたら、関係はぎくしゃくする。
 だから、そもそも私はこの先どうなるにしても、この嫉妬についてある程度折り合いをつけなくちゃいけないのだ。
 予測できる分には予測しておいて、対策できる分には対策しておきたい。

 これが一体どこから来るのか。どこに向かっていくのか。どこに向けるべきなのか。

 私はまだ私自身のことが全然わからない。気長に考えていこう。


つづき


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