恋を終らせる方法、恋と愛の違い
男性に向けての助言。恋を即座に終わらせる方法というものがある。
想像するのだ。その、恋している女性が、自分がもっとも憎んでいるタイプの男性に犯されている姿を。
重要なのは、実際にそうであるということではなく「今後そうなる可能性が存在すること」である。
恋の気持ちが強ければ強いほど、そういう想像に対する不快感はより強くなる。それこそが、あなた自身の性欲と、相手への願望、条件をはっきりと示す。つまりあなたは「憎い相手に犯された後の彼女を愛することができない」ということを自分自身に暴露してしまう。
そう。その恋が強ければ強いほど、その恋が、絶対的なものではないことを、その想像ひとつで明らかになってしまうのだ。恋は単なる我欲の一形式に過ぎない。自分好みの女を自分のものにしたい、という単なる醜い所有の欲望に過ぎない。
それを自覚した瞬間、その恋は終わりを告げる。しょせん恋とは、男性にとってはその程度のものでしかない。
男性にとって恋とは感情や衝動、つまり性欲の過大評価である。それを自覚すれば、恋は終わる。無慈悲なほどにあっさりと、想いは冷める。
男性は恋することよりも愛することを覚えなくてはならない。欲することよりも、そばで支えることを覚えなくてはならない。
女性の恋はそれと比べてとても難しい。とてもとても難しい。
女性の恋は全てを捧げる。相手がどれだけ醜くなっても、愚かになっても、女性は中々恋をやめることができない。場合によっては、その恋の終わりは、その女の命の終わりになることさえある。女とはそういう生き物なのだ。
女が恋をやめるには、女をやめるしかない。正直に言ってしまおう。正直に。
女が重い恋を即座に終わらせるには、仕事か勉強にせいを出すことと、同性と肉体関係を持つことが特効薬となる。それは正に「一時的に女をやめる」ということである。
決して「他の男に恋をする」ということではないことを、言い添えておこう。女が女らしくある限り、恋は地獄である。
私は私の女性性に対して「恋することなかれ」と命令している。そうでなくては、自分が保てなくなるのは明白であるからだ。
こんなことは言いたくないが、子供を産むことは女をやめるための最良の方法だ。「母親」は「女」とは別の生き物である。真の意味で母親になった者は、男を、自分と子供を支えるための道具と見做す。そうでなくては、母親とは言えない。そうであるべきなのだ。
男はそんな妻を愛するべきなのだ。それが、愛なのだ。
性差はなくなってきている。「男らしさ」も「女らしさ」も排除されつつある。それでも、残るものはある。残るべきものもある。
私は自分に与えられた肉体と運命を愛するから、私は性別というものを強く意識する。強く意識し、思考する。
私自身と、私の友達には、私の「こうであれ」を聞いてもらうことにする。男性と女性の美しい関係を、私は主張し続けることにする。
私は恋というものを気持ち悪いと思っている。それが愛に変わる必然性を持っているのならば話は違うが、実際にはどうであろう。
恋とは感情である。愛とは意思である。愛とは、冷めても貫くものである。
人の関係は恋ではなく愛で結びついていてほしい。
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