頭が痛い日でも【ショートショート】

 今日は一日中頭が痛かった。お腹もちょっと痛かった。何か悪いものでも食べたかな、と思った。
 友達に「生理?」と聞かれてムカついた。体調不良の原因が全部ソレじゃないことは、お前だって分かっているだろうに。そもそも私はそんなに重くない方だし、普段その日でも何も言わないのに、こういう日に限ってそういう気遣いをしてこようとするのが、なんかムカついた。
 色々言うのがめんどくさくて、ぶすっとして「別に」と言ったら「あっそうなんだ~」と言いながら「察し」みたいな顔をして離れていったのも、なんかムカついた。お前はいったい何を察したんだ? 二度と私に近づくな! なんて言えるはずもなく……

 部活、休もうかな、と思った。先輩に会えないのは寂しいけど、でもこんな調子じゃ、先輩に八つ当たりして、嫌われてしまうかもしれない。でもでも、先輩は優しいし……いやでもそういう期待とか甘えみたいなのが悲劇を引き起こすって、分かってるじゃないか? いやでも先輩は特別な人だし……でも自分を自分でコントロールできないときに、誰かに自分を委ねるのは、よくないし。
 やめよう。今日はすぐ家に帰って、ゆっくり休もう。
「あーちゃん」
「おん?」
「今日体調悪いから、部活休むね。先輩によろしく言っといて」
「珍しいね。どうしたん?」
「朝からずっと頭痛い。何か悪いもの食べたかもしれない」
「薬とか飲んだ?」
「そういうのには頼らないようにしてる」
「でも飲んだら楽になるよ」
「私、手っ取り早く楽しようっていう考え方があんまり好きじゃないんだ。苦しいときは、苦しんでいたいの。甘えたくないの」
「そっか。じゃあ愛しの先輩さんには貴島は己と戦うために帰ったって言っとくね」
「うん。ありがとう」
 川俣愛。高校に入ってすぐ意気投合した、クラスで一番仲のいい友達。お互いの家に泊まったこともあるし、ほとんどどんなことでも話せる相手。ちょっと勉強はできないけど、頭が悪いわけではない。授業中いつも寝てて、家でもゲームばっかりだからってだけ。

 気が変わって、遅れて部室に入ることになんてなったら恥ずかしいし、情けないし、そんな想像もしたくないし、迷いたくもないから、帰りのホームルームが終わったらすぐに学校を出た。ため息をついた。寂しくて、胸がきゅっと痛んだ。
「うぉい貴島!」
 聞きなれた声が聞こえて、はっとして振り返る。先輩が二階の窓から手を振ってる。
「お前今日部活来ないんかー?」
 大声を出す元気はなかったけど、黙ってるのは感じが悪いし……でも元気よく声を出したら、体調不良っていう言い訳が……あ、でもあーちゃんは「己と戦う」っていう意味不明な説明をしてくれるって言ってたから……いやでも、詳しい話聞かれたら普通に説明しちゃうだろうし。
「急いでそっち行くからちょっと待ってろよ!」
 私が考えているうちに、先輩は勝手に行動を起こす、思わず、笑ってしまう。そういう強引なところも、好きだと思った。
 三分ほど待っていると、駆け足で先輩がやってきた。少しだけ息が上がっているが……元々体の強い人だから、私のところに近づいて数歩歩いただけで、もう息は戻っていた。普段運動しないくせに。やっぱり男なんだな、と思った。
「送ってくよ」
「え?」
 先輩はかがみこんで、私より少し低い視線から私の眼をじっと見つめる。手を少しだけ私の顔に近づける。私は、ただぼおっとそれを眺めている。あ、これは何かを確かめているのか、と思った。すると、その手が私の額に当てられた。ほんの少しだけ、冷たい。気持ちがよかった。髪の生え際のところに先輩の骨ばった小指がかかって、その感触が離れた後もずっと残っていた。私は無意識的に先輩がさっき触った場所を自分でも触ってみた。温度は、分からなかった。
「熱はまぁ、そんなになさそうだな」
「あ、まぁ、はい」
「荷物持つよ」
「え? あ、ありがとうございます。ってか、なんでそんなに……」
 優しくしてくれるんですか? と言う必要もなく、先輩は私の頭を撫でた。言葉は必要ないだろ、と。
「まぁ、調子悪い日は家でゆっくりするに限るな。二人きりなら部活も悪くないかもしれんが、他の連中が気づけるとも限らんし」
「というか、あんな遠いところからだったのに、なんで私が調子悪いって分かったんですか」
「お前、普段もっとうるせーもん。黙って、どうするか悩むなんて、相当だと思って」
「あはは……」
「なんか嫌なことあった?」
「んー……朝からずっと体調悪かったのと、あと体調悪いと、どんな些細な言葉にもイラっときちゃうんで、それで」
「そか。そういう日はあるよな。俺も普段は言わんけど、胃腸弱いからさ、一日中腹下してるときとかあって、まぁ一緒にしちゃいけんかもしれんが……」
「時々先輩、何も言わず部活来ない日ありますよね」
「単に行きたくない気分って時もあるけどな。あと、クラスの友達とどっか遊びに行くって話のときも」
「前、田場先輩が『せめてラインで連絡してくれたらいいのに』ってぼやいてましたよ」
「俺、正直スマホあんまり好きじゃないねん」
「既読無視どころか、まず既読がつかない人ですもんね」
「めんどくさいじゃん。俺、面と向かって話す方が好き」
「私もです。声と表情と匂いと……その、リアルな感じがないと、不安になります」
「そうそう。距離感も、測りやすいしな」
「そうだ。先輩、うち来ます? 別に変なアレではないんですけど……」
 先輩はちょっと困った顔をした。私はしまったな、と思った。ただ思いついたことをそのまま言ってしまったから……その、自制心がなかった。弱っている人の頼みを拒否するのは、たとえ先輩でも難しいかもしれない。
「すいません。忘れてください。何でもないです」
 もう遅いだろ、と自分に突っ込んだ。そのツッコミも、遅いよ。
「まぁ、いいよ。一応弁明しとくけど、君と二人きりでいるのが嫌とか、甘えられるのが嫌とか、そういうわけじゃなくて、君の両親と顔を合わせるのがめんどくさいだけ。自分のことをなんて説明すればいいのか……」
 私は困っている先輩の顔を見て、つい、笑ってしまう。
「先輩も、そういうことで悩むんですね。人にどう思われるか、みたいなの」
「どう思われたって別にいいんだけど、うまく説明できないってのは、気分悪いだろ?」
「私は、なんか説明できない気持ちになることばっかりなんで、慣れちゃいました」
「なんかそう言われると……いや、俺が強がってたな、今のは。うん。俺、どう思われるか気にしてたわ。正直、君の両親に変な男だと思われるのは、なんか嫌だ」
「それって、そういう意味だと思っていいんですか?」
「多分違うと思う」
「残念です」
「多分だけど、君が君の両親から、俺のことを色々聞かれることを想像すると、なんか妙なもやっとを感じる。君はきっと、俺が悪く言われてたら、嫌な気持ちになるだろ?」
「いえ。一緒になって悪口言いますよ」
 先輩は間抜け面でため息をついて、少し安心したような表情をした。
「心配して損したわ。それなら、もう適当でいいな。『友達でーす』みたいな」
「『先輩でーす』じゃないんですか?」
「自分で先輩を名乗るのおかしくない? あ、やっぱりめんどくさい。帰っていい?」
「ダメです」
「むしろウチじゃダメ? そうだ。そうしよう。俺んち来いよ。そしたら、俺もめんどくさくないし」
「ちゃんと帰りは送ってくれるんですか?」
「さすがにね?」
「弱ってるのをいいことに、変なことしたりしませんよね?」
「釘刺してるつもり?」
「冗談ですよ」
「一応言っとくけど、君がその気でも、さすがにそこまでは拒むからね?」
「あちゃ、ちゃんと釘刺されちゃいました」
「どう見てもそういう気分ではなさそうだけどね」
「まぁ、はい」
「なんか薬とか買っとく?」
「いえ、薬は飲まない主義です」
「俺もだ。体調悪いときは、その時食べたいものを食べる主義」
「その方がいいんですかね?」
「甘いものばっかり食べるとかはまずいかもしれんけど、栄養をしっかり取るのは大事だと思う」
「それじゃ、なんか作ってくださいよ。ってか先輩、料理できるんですか?」
「多少は。何がいい?」
「何が作れるんですか。そもそも」
「このご時世ネットでレシピ調べられるんだから、その通りやればなんだって作れるだろ」
「本当にできますか?」
「まぁ人並み以上にうまいもの作れって言われても無理だけど、無難に作るのはできるわ。手順通りやればいいだけ」
「私、冒険した先輩のまずい料理食べてみたいです」
「言ったな? じゃあクッキー焼いてやるよ。変なもの混入させてやる。昆布とか」
「昆布クッキー……ちょ、ちょっとどんな味するのか、興味あります」
「海鮮クッキー作るから、覚悟しとけよ。帰りスーパー寄るけど、いいよな?」
「いいですよ。急にプリン食べたくなったんで、それも買ってください」
「はー。小遣いが飛んでくわ。こんど二人で遊びに行くとき、お前が財布出せよ?」
「後輩に支払い任せるのって、プライドが許すんですか?」
「全然許すよ。後ろで突っ立って『支払いおせーなコイツ』って顔しとくから覚悟しとくんだな」
 先輩のくだらない話に笑っている一瞬の間だけは、頭痛を忘れられる。もちろん、そのあとはまた意識してしまうのだけれど。でもこうやって、意識を逸らすことができるのは、嬉しかった。
「店員さんに『こんなダメな彼と付き合って大変そうだな』って思われちゃいますね」
「中学生っぽい服着て弟のふりしてやってもいいぞ?」
「さすがにそれは勘弁してください」
「冗談冗談」
「先輩の冗談はいつも半分くらいはガチですからね。まぁそれならそれで、写真撮ってネットにあげて晒し上げますが」
「怖い怖い。それ冗談で済まないから!」
「ふふふ」

 結局先輩は、口では色々言っていたけれど、普通においしいバタークッキーを焼いてくれた。お菓子作りが趣味なのかと尋ねたが、そういうわけではなく、二人いる妹さんがお菓子作りが好きで、その手伝いやフォローをしているうちに慣れたとのこと。(ちなみにその妹さん方とはちょっと会釈しただけだった。きっと気を遣ってくれたのだと思う。ご両親は二人とも遅くまで仕事でいないとのこと。晩御飯は子供たち三人で交代で作ることが多いとのこと。意外と家は広く、家具も新しくて、お金持ちなんだなと思った)
 一時間くらい先輩の部屋でダベっているうちに、頭痛は少し収まってくれた。晩御飯までいただくのは悪かったので、それで帰ることにした。なんだかんだちゃんと送ってくれたし、その間、楽しく会話ができて、なんというか、何から何まで世話になって、少し申し訳ない気持ちになった。
「それじゃ、お大事に。あ、あと、今日はたまたま俺の気が乗ったからこうなっただけだし、毎回は期待すんなよ」
「分かってますよ。先輩は気分屋ですからね」
「あと、俺が機嫌悪いときはあんまりひどいこと言わないでくれよ?」
「それは約束できかねます」
「そっか……」
「いや普通に落ち込まないでくださいよ。冗談ですよ。でもほんと、今日はありがとうございました。かなり楽になりました。私、やっぱり先輩が好きです。それじゃ、また」
「あぁ。またな」

 ひとりきりになって、頭だけじゃなくて、胸まで痛くなってきて、なんか……「もう!」って気分になった。お風呂に入ってご飯を食べて、本でも読んで寝ることにしよう。
 でもきっと、先輩のことばっかり考えちゃうから、ちゃんと物語に集中できなくなってしまうんだろうな。
 それはそれで、いいか。

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