妄想を卒業した理由は、妄想と現実のギャップに耐えられなくなったから

 少女時代の妄想なんて、だいたい自分にとって都合のいい妄想ばっかりだ。偶然は全部自分に味方する。自分の仲間たちは全部自分の活躍をサポートするために存在し、敵たちは、自分のかっこよさや素晴らしさ、美しさを演出するための舞台装置。最初から、やられることが定められて作り出された存在。

 ありふれた少し昔の少年漫画との違いは、争いが極端に少ないこと。私は元々争うのが嫌いで、できるだけ穏便にことを済ませたい人間だった。運動もできる方ではなかったから、できるだけ気持ちの部分で何とかしたかった。
 根性とか、優しさとか。そういう気持ちで、誰かを助け、皆から賞賛されていたかった。だから、そういう妄想ばかりしていた。

 魔法、というのは便利なものだ。たとえ自分が肉体も精神も弱かったとしても、その不思議な力でたいていの問題を解決できてしまうから。
 妄想の中では、結局何もかもが自分にとって都合のいいように作られていたから、私にとって苦しいことは何ひとつなかったし、嫌な気持ちになることもなかった。

 現実世界で苦しいことがあると、その人を物語の中に登場させて痛い目に合わせたり、改心させたり、そういう妄想をした。
 現実世界でうまくいかないことがあると、物語の中で魔法を使ってうまくいったことにしてしまえば、それで悔しさを弱めることができた。

 こんな陰気な性格だったけど、なぜか友達には恵まれていた。親友も、小学生のころは何人かいた。みんな漫画が好きで、大人しくても芯のしっかりした子ばかりだった。少子化の影響か、学校の広さに対して、子供の数が少なかったのもよかったのかもしれない。
 中学に入ってからは、みんな心が荒れていた。別の小学校から上がってきた子たちが多くて、それまで築いてきた人間関係は全部リセットされたし、気の合わない子とも色々な場面で協力することが求められた。
 その中で、変なヒエラルキーみたいなものも出来上がって、私はできるだけ目立たないようなキャラクターを演じた。一番、ヒエラルキのーの影響を受けなさそうな場所に落ち着いて、似たような内向的で周囲を気にしない子とつるんでいた。その中に男の子が混ざっていたこともあったけど、誰もそれを気にしたりはしなかった。誰かが冗談で彼のことを「名誉女子」と言ったとき、反射的に「それ感じ悪いよ」と言った子がいて、数か月後にその子と彼が付き合うようになってから、彼が女子の中に混ざることはなくなった。
 なんだか私は現実の空気感が好きじゃなかったし、できるだけ省エネルギーに、時を無為に過ごしていた。
 勉強は、嫌いだった。自分では苦手だと思っていたけど、根が真面目だからか与えられた課題は真剣にやっていたし、平均点を下回ることはなかった。テスト勉強を意識してやったことはなかったけど、国語と数学はいつも九十点以上はとれていた。なぜみんなが手こずっているのかよく分からなかったけれど、あまり勉強のことについて深く考えるのは嫌だったから、気にしないことにしていた。

 いつごろ妄想をやめたかは覚えていない。これといったきっかけはなかった。ただいつの間にか、私は現実的になっていた。
 三年生になったとき、両親がそろそろ塾に行ったらどうだ、と言ったから、それに従って友達が通っているのと同じ塾に通うことにした。面白いくらいに成績が伸びて、夏休みが終わるころには毎回のテストで、全ての教科の間違えた問題を頭の中で全て思い出せるくらいにはなっていた。そうなると、テストが楽しくなってくる。すらすら解けるし、余った時間で別のことを考えることもできる。別のこと、というのは男の子のことだった。想像上の男の子と、自分が色々な会話をしたり、肉体的な接触も含めて、楽しそうなことはいろいろと考えた。彼氏ができたらやりたいことのリストを、持ち帰ってもいいテストの問題用紙の方の裏側に書いては消してを繰り返していたりした。ある時それが友達に見つかって、めちゃくちゃにからかわれたことはあるけど……そのことは今でもあまり思い出したくない。

 あまり現実には興味がなかった。高校に入ってからも、行事にも、勉強にも、あまり興味が持てなかった。
 男の子と一緒に色々やる妄想にも飽きて、漫画やゲームにも飽きて、なんで自分が生きているのか分からなくなって、他の妄想も、いつの間にかできなくなっていた。
 大人になった、と言えば聞こえはいいけれど……私には、これをそういうポジティブな見方で片づけることができない。

 高校で体調を崩して休学し、高認を取ると同時に退学、その後通信制大学に通うことになった。課題をやるのは、そんなに苦ではなかった。
 元々文章を書くのは得意だったし、自分の頭で考えて、相手が欲しがっている言葉に自分オリジナルの意見を混ぜることは、ご飯を食べたりトイレに行ったりお風呂に入ったりするくらいの気楽さでできることだから、聞いていたよりも苦労することはなかった。
 
 スクーリングでも、周りは落ち着いた大人っぽい人が多いのと、時間的な余裕も高校よりはあったので、それほど大変な思いはしなかった。

 大学を卒業したはいいけれど、働きたいとは思えなかった。もちろん、人に言われるがままちょっとした就活をやってみたし、卒業したあと、三か月くらいは実際に働いてもみた。自分でも、よく三か月も働けたな、と思えるくらい、つらかったし、二度とごめんだと思った。両親に説得されて「もしかしたら体に合うかもしれないし」みたいな感じで、試しにやってみただけだった。無理なら無理で、別に誰も困らなかったし、私自身も困らなかった。
 いつの間にか友達と呼べるような人は私の周囲からいなくなり、私はどこにでもいそうな家事手伝いとして生きている。毎日疲れ果てて帰ってくる父は順調に出世しているらしいが、立場が高くなるほど仕事が増えて大変とのこと。やりがいはあるし、責任ある仕事をするのは好きだと言ってるから、私はただ「あっそう」と冷めた目で父を見つめるだけ。だって、そんな気持ち理解できないから。

 楽して生きていたい、と思う必要のないくらいに、楽して生きてきたような気がする。今更、頑張り方なんて分からないし、争い方はもっと分からない。

 子供のころは、つらい現実があるたびに妄想をすることによって何とか耐えていたような気がする。大人になると、妄想ができなくなって、つらい現実に耐える方法が分からなくなった。もしお酒が飲める人間なら、そこで馬鹿みたいなことをすることで、耐えられたかもしれない。それか、もうちょい下の意味でフットワークが軽くても、それで何とか耐えられたかもしれない。この年になっても、男性から声をかけられると心が引いてしまう。
 まぁでも、つらい思いをしなくても生きていけるなら、それはそれでいいのかなぁ、と思うのだ。

 どうしてこの時代の人々は、人を働かせたがるのだろうか。なぜ働くことを義務にしようとするのだろうか。別に、赤の他人が働こうが怠けようが、その人の勝手じゃないか。
 自分の生活がしんどいから、他の人もしんどい思いをしていて欲しいと思っているのだろうか。楽そうに生きている人間が、許せないのだろうか。まぁどうでもいいことだ。私とは関係ない。

 自分の人生が空っぽであることを、私は自覚している。私は自分が何もできずに死んでいくことを知っている。
 私は自分が幸せではないことを知っている。でも、目の前に幸せが売っていたとして、その値段が「努力」とか「意志」とか「根性」とか、そういうものであったなら、私はそれを買おうとは思わないだろう。
 私は、どうやら人より頭がいいらしいし、要領もいいらしい。コミュニケーション能力も高いらしい。ニートは成功体験が少ない人が多いとよく聞くが、私の場合は別に多くも少なくもないと思う。まぁ何をもって成功と言うかだけど、私は人並みの成功と人並みの失敗しかしていないし、そのどちらも、なるべくしてなった、と言う他はない。うまく行く場合は「うまく行くだろうな」と想像できていたし、うまく行かなかった場合でも「これは無理だろうな」と最初から諦めていたことばかりだった。

 そして私のその正確で現実的な想像は、妄想ではない想像は、私が結局誰とも出会わず、愛し合わず、ひとりきりで「まぁ、こんなもんか」と言いながら介護施設かどこかのベッドのうえでくたばることを示す。
 きっと、意味もなく長生きすることだろう。きっと、似たような人間と友達になることもあるだろう。ひとつも人に誇れるものはなく、成功も失敗も小さなもので、幼い頃のことばかり覚えているけれど、大人になってからはろくな経験をしていないし、たまたま何かあっても、どうでもいいことだと少し経てば忘れてしまう。
 ボケ防止のために、トランプとか、そういう遊びで時間をつぶす。本を読んで、いいなと思ったものを友達に勧める。友達から勧められた本の感想を語り合うのを明日の楽しみにする。

 私の人生に特別なものはない。特別な幸せもなければ、特別な悲惨さもない。どこにでもいる人間のひとりとして、ぼーっとしたまま生きてぼーっとしたまま死んでいくことだろう。

 それが受け入れられない、私の若い影が必死になって何かを頑張ろうとしている。怠惰な私はそれを「勝手にやってろ。どうせ何にもなりやしない」と冷めた目で眺めている。


*フィクションです

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