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《 わたしって、誰だろう? 》 八話目

『14歳からの哲学 考えるための教科書』著:池田晶子
 
という本を、ご存知でしょうか?

当時、わたしが小学生〜中学生だった頃。
この「わたし」という存在性への疑問であったり、「死んだらどうなんだろう?」とか「生きるってなに?」とか「何のために生まれたきたの?」という疑問をずーっとどこかに抱えていて、それは時折モワッと湧き上がってきて、当時のわたしを困らせていたのでした。
 
 
そして、高校生になって「哲学」という言葉を知り、たまたま本屋で目についたこの一冊の本と出会ったことにより、今までのモヤモヤは解消され、生まれて初めて『考え方』を教わったのでした。
 

答えを、正解を求めるだけじゃない。
○とか✖️を付けられて、点数を付けられるだけじゃない。
そんな世界が在ることを、この本を通じて学びました。
 
 
もし、ご存知ではない方がいらっしゃいましたら、一読をオススメ致します。残念ながら、著者の池田晶子さんはすでに亡くなられております。ですが、そのエッセンスはこの本の中で生きています。
 
 
この記事の「わたしって、だれ?」という疑問にお応えするのは、もしかするとこの本を読んでもらわないと難しいかもしれません。

いやいや、たとえ読んだとしても。
これは一生をかけて考え続ける問いなのだと思います。答えや正解のない世界ですから。
 
 
では今回、わたしが記事としてまとめるのは、どういった内容なのかと言いますと。
ちょっと違う角度から記事にしようと思います。
 
 
さまざまな “わたし” が抱えている、『思い込み』。
これについて考えてみましょう。


 
漠然とした不安を抱えて生きていませんか?
ワケもなく、お金のことを心配したり、
来てもいない老後のことを、今から考えたり。
(明日、死ぬかもしれないのに。)
生きているかどうかもわからないのに30年ローンを組んだり、
なにか新しいことを始めようとすると
「危ないよ」と言われて引き止められたり、
(まだ、やってもいないのに。)
(もしくは、同じことをやったわけでもない人から言われたり)
親が言うことがすべて正しいと思ってしまったり、
できるできないを決めつけてから会話したり、
(自分にはどうせできないとか。)
(お前にはどうせできないだろ、とか。)
他者のことを特別に思い、自分を人より下げてみたり・・・。
 

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“それ” って、どこから来るんでしょうかね?
 
 
 
 

本当に。自分の内側からの、

魂からの、言葉ですか?
 
 
 
 

その “情報” の出所を、
今一度、見直してみませんか?
 
 
 
TVに出てる有名人が言っていたから。
雑誌で好きな芸能人が言っていたから。
ベストセラーの本でそう書かれていたから。
FBで流れてきた投稿に書いてあったから。
両親がそうやって自分のことを教育したから。
祖父母にいつも聞かされていたから。

  

・・・。

 

さて。

どこに “わたし”  がいるのでしょうか。

 
 
 

外からの情報を、自分自身の内側から湧き上がってきたモノだと、勘違いしてませんか?
 
外から得た情報を、
一旦落ち着いて飲み込んでみましょう。

それから「自分自身は、本当はどう思うのか?」を
感じてから、考えてから、味わってから、
言葉を発してみませんか。
 
 
 
それでも、外から得た情報と全く同じことになるのであれば、それはそれでいいのでしょう。自分で考えることを放棄せず得た情報には、きちんと“わたし”がのります。
 
 
 
いま、ここ。
いま、この瞬間。
 
 

“わたし” という存在が、しっかりと宿っている発言や行動には、同じくチカラがしっかりと宿ります。
 
逆に、誰かが言ったこと、本に書かれたことだけを、“わたし” をのせずに発したモノには自分が宿っていませんし、チカラも磁場も波動も感じられません。
 
 
ただ、それだけのことです。
 
 

“わたし” から発せられるメッセージには、 
“想い” がのり、それが伝わるのです。
 
 
つづく。

書を筆で書き表すこと。文章を指で打つこと。違いはあれど、同じく“書く”こと。書くことを、生業にしております。応援いただけたら有り難い限りです。