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《 想い、とは? 》 九話目


『わたしは、目に見えるものしか信じません』
 
 
こんなセリフを聞いたことがあるでしょうか。
または、ご自身が放ったことはありますか。
  
 
 
それ、本氣で言ってますか?
  
 

森羅万象、この世のすべてのモノは
“目に見えないもの” で、出来ていますよ。
 


「えっ、すべて?それは、さすがにウソでしょ」と、思いますか?
 

 
“結果として” 目に見えるカタチになったものと
“目に見えないままのもの”、が在るだけです。
 

  
それでは、文章にしてみましょう。
 

まずは、科学的な見地から。
そもそも、わたしたちの世界を構成している最小の物質は、あまりにも小さいために肉眼では見えません。それでも、存在はしています。当たり前ですね。

例えば、水は水素と酸素という原子からできており、その原子をさらに構成しているのが、電子と原子核です。さらにその原子核は、陽子と中性子に分けることができます。陽子と中性子は、クォークと呼ばれるこれ以上分割できない物質のことです。
 
このようなこれ以上、分けることができない物質を「素粒子」と云います。

世界は、この素粒子という小さな小さな「つぶ」で出来ているといったお話。
  
では、科学的な見地の話を別の例をもって説明してみましょう。
それは、例えば目の前に「木」があるとします。
  
 
『これは、赤松の木です。油分を多く含み、赤松から採れる煤は松煙墨という墨の材料になります。磨る墨として、赤松の煤は高級品で稀少なものです』
  
 
など。「名前」「種類」「活用方法」の話。
これが、科学的な見地で物事を説明するということ。

 
 
それでは、物語的な見地の話はどうでしょう。
同じく、目の前に「木」があるとします。
 

 
『これは、わたしが生まれるよりも前に、おじいちゃんが植えた木です。母の代からわたしに引き継がれ、今でも大切にお世話しています』

 
 

種類とか、活用方法ではありません。
そこには「誰」が関わっていて。
どんな「想い」が込められているのか。
そして、どんな「経緯」があるのか。

 
 

これが、“物語” です。


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ここからは、全てのものは “想い” からできていることについて、物語的なお話をしたいと思います。科学的なお話では、ありませんよ。
 
 
 
原初の、大元の、“想い”というものは
まさに『宇宙の意思』のことを云うのではないでしょうか。

宇宙創生の前をカオスと呼んだり、誕生をビックバンと呼んだり。
神話では、神が7日間で造られたとか。
始めに高天原があって・・・と様々に語られています。
 
そこには、宇宙の意思があったのです。
ホツマツタヱという古代の文献では、「宇宙の吐息」から全てが生まれたとされています。

そして、地球が生まれます。
 
そこには、地球の想いがあります。
地球は生命体である、それを “ガイア” と名付けた博士がいらっしゃいます。
(例の如く詳しいことは、ご自身でお調べください)
 
その生命体のバイオリズムや生態環境から、
水、大氣、風、草木、山、川、海などが生まれます。
 

地球が胎動し、生命体が生まれ、悠久の時を超えて何億年もかけて、地球にヒトが誕生したわけです。わたしたちの体は、“地球のかけら” からできています。
 
 
そして、いま目の前にあるiPadもスマホも。
ケータイ電話、紙、筆、コップ、本、文鎮、時計、辞書、お皿、プリンター、PC、名刺、ペン、ハサミ、墨、硯、みかん、コーヒー、、、
 
これら、ありとあらゆる物を作った人がいます。
作り出してくれた、自然の環境があります。
全てに、目には見えない “想い” が込められているのです。
 
  
 
わたしたちは、“想い”、“願い”、“祈り”、
そうやって生きています。
  

 
つづく。

書を筆で書き表すこと。文章を指で打つこと。違いはあれど、同じく“書く”こと。書くことを、生業にしております。応援いただけたら有り難い限りです。