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『発信』を軽んじているときに思い出すべきこと。

『発信する意味は何なのか。』

もし、こう自分が思い始めてしまったら、傲慢になっているときだということを肝に銘じたい。

『発信を後回しにしたくなる程の仕事を抱えるとか言い出した未来の自分』に対してメッセージを残しておこうと今日のnoteを書いてみた。

以前よりも時間ができた今だから、冷静に物事がみれるから。

『伝わっているだろう』という甘えが生まれると、その甘えが全てに伝播すると思っている。

以前こんな記事を書いたのですが、伝えるって改めて奥が深い。


独立する前は、がむしゃらだった。

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そもそもコネも人脈もないので、コツコツと発信するしかなかった。

誰かに届くとか、誰かが読んでいるとか、たった一人の反応だけでも、ドキドキした。

反応が、だんだんお申し込みにつながり、喜んだ。

どこから知ったのか?と聞くと、誰かのいいねから飛んできたなどと、直接的に知らない人が来てくださるという流れがあった。

あの頃は、本当にあり得ないことだと感じていた。

そして、一つ一つを丁寧に積み重ねたことが巡り巡って、今の仕事を作っているのだなと思うと感慨深い。

反応をいただくだけで舞い上がっていたあの頃は、もっともっと伝えるに貪欲だったのかもしれない。

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独立して4年目でいろんなブランドの発信に関わらせていただいて、改めて自分の発信というものを見つめたいと思っている最近。

毎日投稿することを課していた、独立する前を思い出している。



『伝える』ことは、誰に強制されるものでもない。

1件1件足で営業をすることなく、自分の思いをオンライン上に書くだけで、それが営業になるということはいかに凄いことなのか。

私は集客などオンラインで積み重ねているけど、逆に、対面が主戦場の人の、行動量を見ていると、それは絶対無理と思う。

オンラインでの設備の整い方が、当たり前になっていると、その恩恵の素晴しさをついつい忘れる。

そして、人間の性なのか、『もっと楽したい。』って思い始める。

如何に楽をするのか?ご相談いただくこともあるが、ちょっと違和感はある。

伝えるほどのことがないものを、人に手に取ってほしいとか、共感してほしいとか、思うなんて傲慢じゃない。

『伝えよう』という意志がなくなった時点で、もう、終わりと考えてる。

想いが循環する仕事は終わりでは、なくなる。

誰にも強制されるものじゃないからこそ、自分が意志を持たないといけない。


とはいえ、伝えたいが見えてこない。

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人には、ふつふつとした何かや、想いやきっかけなんかが思い出せないなんて人もいると思う。

そういう人でも、本来、伝えたいことはあるはずだ。

これは、絶対。

まだ光があたっていなかったら、そこを掘り起こしていくことで、自分の想いに共感する人が集まったり、結局それが差別化になる。

なぜ、自分は今の仕事をしているのか?など、自分をどんどん掘り起こしていけば、必ず見つかる想いがある。


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今後伝えるということは、ダイエット的な存在になっていくのでは?ということを感じている。

やりたいし、やったほうがいいと思っているけど、本当の意味で続けられる人は数少ない。

想いを届けるということは、必要以上に、自分が目的を持って続けていく意志が必要だ。

この、意志を習慣にできるように、コツコツと今のタイミングで言葉を積み上げていこうと思っている。


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