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よき仲間を得ることは、聖なる道のすべてである。

先日、野村克也監督(愛称ノムさん)が亡くなられた。
心よりご冥福をお祈りいたします。

金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流

私もノムさんの愛とユーモア溢れるボヤキが大好きでよくテレビで見ていましたし、著書も数冊読ませて頂き勉強しました。その中によく「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」と言う格言をおっしゃっていた。また昨日のノムさんの追悼番組でもよくこの格言が語られていました。改めて人生の目的をどこにおくかが大切なんだと思った次第です。

「人を残すは一流」を実践され本当に多くの選手や指導者を育てられ、プロ野球界のみならず多くの経営者やビジネスマンにも影響を与えて来られたノムさんはまさに一流の人だったわけです。が・・・

「人を残すは一流」なんだけど、どうしたら良いのだろう。。。

昨日のノムさん追悼番組を観ながら、自分に置き換えて「人を残すは一流」を実践できているかと考えると、出来てないなぁ。とため息が出てしまった。

じゃぁ、どうすれば良いのかと考えていると、ふと、お釈迦の言葉が浮かんできました・・・

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よき仲間を得ることは、聖なる道のすべてである。

◎釈尊(シャカ)と弟子のアーナンダとの問答にて
アーナンダが釈尊に問う。

「私どもが善き友をもち、善き仲間とともにあると言うことは、すでにこの聖なる道のなかばを成就したに等しいと思われます。この考え方は如何でしょうか?」
釈尊は答えます。
「アーナンダよ、それは違う。そういう考え方は正しくない。善き友をもち善き仲間とともにあると言うことは、この聖なる道のなかばにあるのではなく、まったくそのすべてなのである。

釈尊は、さらに言葉を続けられます。
「アーナンダよ、それは、このことを考えても解るではないか。みんなは、私をよき友とすることによって、老いねばならぬ身でありながら、老いより自由になることができるではないか。病まねばならぬ身でありながら、病に勝つことができるではないか。あるいはまた、死なねばならぬ身でありながら、死の怖れから免れることができるではないか。アーナンダよ、このことを考えてみても、よき友をもち、よき仲間のなかにあるということが、この聖なる道のすべてであるという意味が解るではないか」

ホームラン657本・三冠王・リーグ優勝、日本一・野村再生工場などの実績が凄すぎて、ついつい自分には無理や~っ!とか思っちゃいますが、ノムさんの「人を残すは一流」の原点は、よき友を得ること、よき仲間とともにあることであったと思うのですが如何でしょうか。

どれだけの指導力があるとか、よき仲間が多いとか少ないとかの比較ではなく、自分なりに「よき友、よき仲間」を得られるように、これからさらにご縁を大切に生きて行こうと思いました。

#よき仲間を得ることは 、聖なる道のすべてである

すべてはうまくいっている!

あなたも天才!

わたしも天才!

みんな天才!

これでいいのだ!

ありがとうございます(^^)

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