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循環する生物と消費活動

この文章では心や感性を脳が受ける"情報"と比喩し、メカニズム的な表現の注釈が多々入ります。

生きることは消費されること。

長い生物の歴史から人類は最も複雑な消費の仕方をしている生き物です。芸術などにおける作品を作ることでの消費や、物質的に食べ物を接種することへの消費、対人関係における関係性の消費、この世界において生きる事は互いを消費することにあり、常に循環していくものだと考えます。

情報量が多い脳は現代社会では生きにくい。

"消費"という概念は情報と常に動態します。
近代のSNSの発達や日本人ならではのネガティブ思考に悪い影響を受けてしまい現代の人々は"情報過多"により毒された脳の使い方をしてしまいます。いい情報が目立たないのは、多くの人に平穏な心の余裕が備わっていないからと推察します。

悪目立ちするものが注意を引き、危機感の多い投稿や私達の生活を脅かす知識ばかりを得てしまい不安やストレスといった状況から抜け出せない"トラップ"にまんまとかかってしまいがちです。

私は自分にとって不快な気持ちになる情報を得た時に"毒を受ける"と表現します。その"悪い影響"に対しうまく処置をしなければ、次第に脳は疲弊し誤作動を起こし、日常生活を健康的に送る事自体が困難になっていきます。

脳のオーバーヒート〜対人恐怖〜

負荷をかける考え方やタスクを徐々に減らしていく事で気持ちが楽になっていきます。脳に負荷がかかるほとんどの理由が対人面での評価や悩みなどが多く挙げられます。

筆者の考える対人面での強ばりや不安を解く鍵は、精神科医のアルフレッド・アドラーが提唱した"嫌われる勇気"です。私は精神科にて、社会不安障害と診断されています。対人面でのストレスが生活をしていくことに大きく反映され、しばらくは日常生活がまともに送れないほどになりました。

歪曲された思考やストレスはそれぞれ原因が違う事により、心を楽にする方法を一緒くたにして、精神的自立などを促す思想や宗教観念などの精神論、または根性論などを混合するのは危険と知り、"原因"を探る事が最重要だと考えます。

麻薬的中毒性のあるインフルエンサー

〜情報から消費へ〜

商品が購買される消費に対しての関連性があるものといえば、巷に溢れかえるインフルエンサーの影響が大きく、多くの人によって消費されるものは"希少的価値"ではなく普遍的となり、使い捨てのように音楽が聴かれ、服が流行り廃り、トレンドに踊らされる私達はとても虚しい存在だとも言えます。この社会において、自分の幸せや自分の感覚を自分で決める事が最も重要になってきます。

さいごに…

〜筆者が考える、消費または情報について〜

消費の仕方が丁寧な人とその場限りな人がいます。
どの部分において軽いか重いかは人それぞれですが、添加物まみれの"即席麺"のような人間は個人的には苦手です。その場の感情や快楽を優先して、やりたい事をやる、したいことをする。それも一つの生き方ではありますが消費が激しく、杜撰(ずさん)になるほど、生き方や考え方も適当になってしまいます。

もちろん流されて生きる方が楽という処世術や結論に至って生きている人もいます。そこは否定しませんし、ストレスを受けて生きるくらいなら時には楽な方に流されてもかまいません。

個人の感想としては、自ら自分の価値を下げるような生き方だけは遠慮したいものです。互いを消費し合うことからは逃れられませんが、消費される時も自分の"要"となる大切だと思う気持ちや物は大切にしてほしいと思います。

消費に対しての心構えや情報に対する疑念などを考えるきっかけになればと思い、投稿しました。

製作者 リヴ

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