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大学でのサークル


コロナ以前の私の大学生活の大半を占めていた、サークルについて今日は書きたいと思います。
写真を振り返っても、よさこいのお祭りの写真が沢山でした。

なぜよさこいサークル?


運動不足が怖くて、なんか体を動かす、踊るサークルに入りたいと考えていました。ストリート系のダンスサークルもあったのですが、わたしにはちょっと怖すぎるかなと思って、そこに入るのはやめました。
よさこいサークルは新歓の時に素敵な先輩方が多いと感じたこと、結構押しが強かったこと(笑)、他大学とも合同のサークルだったので知り合いが増えそうと思ったこと、私生活を優先していいと言ってもらえたことが理由で入ることを決めました。

私とサークル

人数も多く、組織編成もあり、特に部署の幹部になるには選挙で選ばれる必要があるほどしっかり、かっちりしているところでした。

私は新体操をしていたこともあり、割と振りを覚えるのは得意でした。しかも全力で取り組むことも得意だったので、私にはピッタリのチームだと思いました。私はこのサークルが、サークルのみんなが大好きでした。
大学時代の親友もこのサークルに入っていたので、このサークルのおかげで仲が深まったというのもあります。
練習日以外にも自主練をしたり、練習後も河川敷で練習したり、『青春』をしていました。

様々な県のお祭りにいきました。長崎、熊本、福岡、鹿児島、島根、香川、愛知…それもほぼ毎週。
その中でも思い出深いものは、博多座で踊ったこと、佐世保のよさこいまつりで大賞をとったことです。
踊っている時間は本当に楽しかったし、それを見て喜んでくれている人がいるということが何よりも嬉しかったです。

大好き過ぎて2回の留学には法被と鳴子、扇子を持っていっていました。特に披露する場もありませんでしたが、私のお守りでした。


本当に大好きな組織だったので、幹部の選挙にも出ました。

コロナの規制が酷い時には、オンラインで練習や会議をしました。練習ではみんなが楽しんでくれるよう、さまざまな工夫をしました。恥も捨てて色んなことをしました。この時の写真を見ると今でも笑えます。


私のメンタルとサークル

でも、この大好きな組織の中でも悲しいことが2回ありました。1回目は、デンマーク留学中です。このサークルのことで友人と揉めてメンタルがボロボロになりました。留学中というのもあり、いつもより弱っていたのだと思いますが、とてもしんどかったです。

2回目はコロナ禍です。
私は大好きなよさこいとコロナの狭間でとても苦しみました。
私は練習を運営する部署のリーダーだったので、コロナ禍で規制されている中、多くの人が集まる練習は反対でした。ほとんどのお祭りも中止になり、練習する意味はほとんどありませんでした。もちろん練習で友人と会いたい、踊りたいという意見もあり、理解はできましたが納得はできませんでした。何かあった時に私はどうやっても責任が取れないと思ったし、何事も命には変えれないし、今は耐えるときだと思いました。
でもリーダーが消極的だと、みんなもモチベーションを無くすだろうし、私を支えてくれていたサブリーダーの子とも意見が合わず、ここは私が身を引くべきだと思い、私は3年生の途中で離脱しました。とても綺麗事にきこえますが、結局は逃げただけです。この時に学校の相談室や心療内科にも通いました。蕁麻疹が出たり、ご飯が食べれなくなったり、典型的な身体の不調も出てきていました。
最後まで続けられなかったことがとても悔しかったし、自分で選挙に出ると決めて、選挙で選んでもらったのにその使命を全うできなかったことへの申し訳なさでいっぱいでした。
でも自分の心のためには離れることが1番でした。

今となれば逃げるのも一つの手だと思えるので、後悔していないと言えば嘘になりますが、離れてよかったと思います。
でもコロナがなければどうなっていたのか、少し考える時もあります。
責める相手がいれば楽なのかもしれませんが、誰も悪くないからこそ責められないし、コロナを収束させるなんてことは私一人にはできる事じゃなかったのでどうすることも出来ませんでした。

このときを振り返ると、やはり傍で支えてくれた友人たちの存在がとても大きかったです。
1人だと本当にどうしようもなく、何の決断もできなかったと思います。味方が1人でもいると思えることが、本当に私にとっては大きなことでした。
だからこそ私も、色んな人の味方でいたいです。何かあった時に背中を押せる存在になりたいです。そして、逃げてもいいということを伝えたいです。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
あなたの明日が素敵なものでありますように!

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